そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

与えて豊かになる

2009-01-14 | アメリカ

インカ帝国は極めて高度な文明国家だった。国王ハチャピチは30もの国々を束ね収めた。彼は“奪って豊かになるのでなく、与えて豊かになる“国創りをおこなった。武器ではなく、食料を生産することで、インカは豊かになった。道路や橋などを造り、インフラの整備も熱心だった。

インカは山国としてその高度差を巧みに利用し、極めて多種類の農産物を生産し、灌漑も高度な技術で成し遂げた。インカの開発したジャガイモやトウガラシなどはその後の世界の食事情を大きく変えるほどの作物だった。

富を分配し弱者を守り、貧しい者を作ることなく医療の平等も行った。インカは現在では信じられないほどの福祉国家だったのである。文字を持たないことが、低い文明の証のように論ずるのは、西欧の歴史観である。

その西欧のスペインが南アメリカにたどり着いたのが、1532年である。スペインは武力を持たないこの国を、ほんの一握りの軍隊で制圧した。国中から金を集めさた王を、奸計をもって殺害した。

理想の国・エルドラドにたどり着きながらも、侵略者は富の象徴としてを詐取することを、第一としたのである。

これは現代の行き過ぎた資本主義体制と、たとえばブータンなどの体制と照らし合わせてみることができる。ブータン国王は、GNPではなくGNH(国民総幸福)を唱えている。Pは生産額であるが、Hは幸せということである。国民の幸福感を何よりも優先する体制を目的としている。国民の80%が幸福感を感じている現実がある。

バングラディッシュのユヌス氏の目標も同じような目線にある。貧者を作らないことが人間社会にとって最も必要なのである。争いは富を金銭や物欲で求めることで起きる。そして争いは、大きな格差を生じさせるのである。

武力で支配することがいかに愚かなことかを、歴史は何度も教訓化している。イスラエルは武力で支配をしようとしている。パレスチナのロケット弾は武力と言えるような代物でもなく、支配するためのものではない。

イスラエルは、自らが避難場所として110名を収容した学校を、空爆して46名を殺害した。ワルソ-ゲッツオーにガス室に送り込まれたユダヤ人は、半世紀を過ぎて富をもつと自らが同じことを行っている。

マイクロソフトもインテルもシオニストたちの集団である。CNNをはじめとする多くのアメリカのメディアも、パレスチナの報道を正確にはやらない。世界の富を独占しようとするアメリカが、貧者を作りさらにそれを追い込んでいる。パレスチナの死者は1000名を超えそうである。

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貧困のない世界が創られる

2009-01-13 | 政治と金

1年何冊かの本を読む。書籍の購入については、僻地いるためネットでの購入が圧倒的である。書評などから購入して馬鹿を見ることも少なくない。それでも、これはと思う本は、年に1冊程度である。

所が今年は様相が異なった。年頭から読み始めた本が、今年の一冊になりそうである。本の題は「貧困のない世界を創る」(ソーシアル・ビジネスと新しい資本主義と副題がある)早川書房。著者は、2006年度ノーベル平和賞を受賞したバングラディッシュの、ムハマド・ユヌス氏である。

無担保少額融資を掲げ、貧困者のためにグラミン銀行創設した人として知られている。10年以上前に彼のことを知ったが、とてもおぼつかない銀行運営のように思えたが、すでに30年以上も貧困と闘っている。

この成功から彼が得て教訓の言葉が、珠玉のように全編にちりばめたれている。利益を最大化するビジネスとして、既存の企業は存在する。これに対して彼は、ソーシアル・ビジネスを提唱する。ソーシアル・ビジネスは利益によってではなく動機によって動く企業であると規定する。

同じ金融でも、いわゆる投資家たちの考えはこれと全く異なる。今起きている不況は、本来は金融不況である。利潤追求の金貸しの行き詰まりの減少にしか過ぎない。本来投資は、社会的貢献のためになされる、非営利的目的でなければならないのではないか。

貧しい人々や恵まれない人たちによって所有され、社会的な利益は生み出さないかも知れないが、所有者である貧しい人たちを助けることになる。お金に触れることさえなかった貧しい人たちを相手にしながらも、返済率が98.6%にもなる。

世界銀行もグラミン銀行と同じように、貧困の撲滅を掲げているが現実にはすでに安定している人たちを活気づけるだけで、豊かな人たちを助けている。あるいは、これまでの社会は貧困は本人のせいにすることが多く、社会のシステムなどを見てはこなかったのではないか。

「利益」が万能の社会のシステムがおかしいのである。この本は、あるいはユヌス氏の主張は、これまで経済を学んできた人たちには、理解できないことかもしれない。現場で、一次産業にかかわり国の形態を底辺から見つめる者にとって、極めて分かりやすい論理と実践に満ちた本である。

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減反政策を根底から見直すべき

2009-01-12 | 政治と金

石破農水大臣が、減反政策の見直しを掲げた。昨年6月に、福田内閣の町村官房長官の発言もあった。価格維持のために、農協関係者はこぞって反対であろうと思われる。

減反政策は政策としても、農業の論理としてもおかしな政策である。政策と言われるが、現実には立法などによるしっかりとした考えのもとにとられたものではないのである。言うならば、単年度ごとの方針・対策でしかないのである。

当初は価格維持のためにとられた「生産量」の制限対策であった。価格維持対策でありながら、市場価格には全無関心な妙な対策である。70年ころから行われてもうすでに、40年近くになる。(単年度の対策であるから始まりも判然としない)

生産をしない者に対して補助金を出す前代未聞の、あるいは世界史になかったような農業政策である。この40年ほどの間に、豊芦原瑞穂の国の日本の、農家の生産意欲は削がれ、農村の原風景は大きく変貌し、生態系は変化し、農村文化は失われてしまった。

そして何よりも、農村から人がいなくなった。担い手をなくした農村・へき地には限界集落と呼ばれる地域が400以上になってしまった。政策に忠実で減産・減収入であった農家と、不誠実に生産し続け増産・増収入の農家が出現する不合理性も払拭されていない。地域で取り組ませるため、農家の対立や不信を育む元にもなった。

減反政策を維持しなければ価格が維持できないと、農協関係者や大規模農家は主張するであろうが、こうして農村が失った数多くのものは、減反政策にあることだけは事実である。

細川内閣の時に自由化に踏み切り、高関税と引き換えにミニマムアクセス(MA)米として、一定量の輸入を義務付けられた。このいやいや輸入されるMA米は極めて、低品質であり食用としては販売するには無理があった。売れないMA米は不正の温床になって先ごろようやく摘発された。このような生産調整しながら、低品質米を輸入する矛盾も政策の禍根である。

Photo生産調整をなくすと、どんどん生産されて価格が下がる。だから減反せよとの声もある。果たしてそうであろうか。疲弊した農村にそんな力があるだろうか。それよりも、どんどん下がる米の価格を横目に生産抑制される農家の方が苦しく無人に満ちているだろう。生産者対策として、消費者価格維持のための補助金を出せばいいのでないか。

石破大臣の提案は「幅広い論議を重ねる」ようであるが、世界的な食料問題が起きている中で、農家の生産を抑える矛盾はこれからも容認されるとはい思えない。

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トキを自然界に

2009-01-10 | 政治と金

080925 佐渡でトキが放鳥された。日本のトキは絶滅したから中国から持ってきたトキを、人工飼育して育てた。10羽放鳥されたが1羽死亡していた。自然界で生き残れなかったのである。

これを巡って論争が展開されている。新潟県知事は給餌してでも保護すべきだと主張している。環境庁はしばらくはこのままでいくつもりである。知事たちは餌をばらまくとまで言っていた。

02080925 個体がかわいそうなのは良く解るが、、ここは環境庁の言うように自然界での彼らの必死の生き残ろうとする生命力を見つめるべきである。

日本でトキが絶滅したのは、人の身勝手な開発と生産効率を追求する産業へと農業を追いやった結果である。貴重ではあるが経った1羽が死んだからと言って、騒ぐことではない。もっと大きな問題をトキの絶滅は訴えているのだ。

090109やるべきことは、彼らが必死に餌を探すと安全な餌が得られるような環境を作ってやることである。ここで、餌付けをやってトキの個体数を増やしてもそれ程大きな意味がない。そうして生き残った個体が増えたとしても、子孫をどのように残せるというのであろうか。

佐渡の米作り農家は、多少生産性が落ちるが、岩澤信夫さんの勧める不耕起無農薬農法を進めようとしている。トキが繁殖した暁には、トキ米としてのブランド化を目指している。もうすでにシラサギは戻っていると聞く。

こうした動きと連動しながら、情に流されることなくトキには厳しい自然界の生存を体験していただきたいと思っている。いよいよだめな時には保護すれば良いのであって、彼らが生き残って繁殖することを期待したいものである。

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泥沼の元凶はアメリカである

2009-01-09 | アメリカ

Israel_will_be_at_the_receiving_end国連の安保理が、イスラエルのガザ侵攻の即時停戦決議を採択した。アラブ諸Un090109 国の要求を入れて、声明ではなく決議として採択したのであるが、例によってアメリカはこれに対し棄権した。効力は一層弱い者になった。

イスラエルのオルメルトはこれを拒否した。9日も地上侵攻を止めていない。空Reuters_view090109 爆も続行している。死者は782名になったが、ほどなく1000名になり史上最悪の事態になるものと予測される。

信じられないのが、これによってイスラエルはガザあるいはパレスチナなどの中東の人々を完全に制圧できたと思っていることである。戦いは武器があるのでやるのではない。憎しみが行Palestinians_have_been_killed_in_thうものである。もっともアメリカは金儲けのためにやっているが。ユダヤ人は自らの歴史から何を学んできたのであろう。

アメリカの支援があるおかげでイスラエルは強硬になれるのである。国家的規模などを考えると、アメリカの方が罪が重いかもしれない。ライスは平然と石つぶて10_op_israel_peace01_4を投げるパレスチナ人を非難する。僅かのロケット砲が戦闘と言える状況にはなっていない。

Palestinianmancarriesb001 エジプトによる仲介にたいして、ハマスは「ガザの封鎖解除」が先決とこれを拒否した。それらに先立つ、サルコジの提案もイスラエルは拒否をしている。

ガザ地区は武力で制圧は可能であるかもしれないが、中東全体に更なる大きな戦争の火種を残すことになる。ようやくイラクの戦火が下火になってきたにもかかわらず、あるいはそれを見越したイスラエルの戦闘行為であるかもしれないが、中東は泥沼状態に入ったGaza_war_diary090105001 といえる。

日本では国会で社民党の質問に対して、首相が戦闘が終わらなければ何もできないと、全くとぼけたことを発言している。サルコジはそうした意味でも評価されるべきであるが、アメリカ追従の国策では存在感すら示せない。

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派遣法は誰のため

2009-01-08 | 市場経済

どう見ても地震などの災害後の炊き出しに見える、年越し派遣村が大賑わいである。もちろんこれは天災などではなく、小泉・竹中改革路線が生み出した人災である。

大手電機会社に勤める友人が、大阪の本社を離れ北海道に5年ほど転勤して来た。20年ほど前の話である。転勤前には、同じ課にほんの数パーセントの「ハケン」社員がいた。本社に帰ってみると、それが30%近くになっていたそうである。

自分より年上の立派な社員でも20代の若僧でも、みな同じ日給8000円ほどである。いかな55り優秀な人材もいたが、派遣される会社が一年で交代させる。労働組合は作れない。使う方が個人指名できないが、優秀な人材は指摘するといったん辞めた後でまた来る。

雇用関係は会社同士の間でなされる。派遣されてきた社員は、現実に勤めている会社には雇用関係はなく、文句はいえない。不満があると馘首(すげ替え)されるだけである。友人は、この 制度は日本を壊すと断じた。

1985年に労働派遣法が成立したが、この間に企業は人件費を大幅に削減できたために、内部留保に努める余裕がしっかりできたのである。派遣法は、企業家たちにとって厄介な労働組合法を飛び越える、福音の法律であった。

日本が壊れるには少々時間がかかったが、企業が潤い労働者たちがさまよう姿の原点はここにあった。

民主党は方針転換をして、共産党や社民党や国民新党との協議に入った。派遣法の廃案を提示するようである。今年中には、民主党を中心にした政府ができる。どんな内容になるのか注目したい。

しかし、もうすこし都会の橋の下や公園で暮らすホームレスや派遣村に目をやるのではなく、日本中を見渡してもらいた。この国の田舎には、400を超える限界集落がある。資源も手段も立派にある農地が放棄されようとしている。派遣ではなく担い手として、彼らをここにもってこれないのだろうか。

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何が何だか解らない定額給付金

2009-01-07 | 政治と金

当初定額給付金は、収入の低い人への生活支援として提示された。「収入の多い者は受け取るな」というのであった。収入の多い人はいくらかでもめた記憶も覚めていない。収入を確認するのは大変だと、事務を請け負う自治体から反対されて、制限をなくした。

首相は、高額収入者は受け取るな。さもしいことを望むな、矜持を持って対応しろと、高額収入について語った。制度は国民すべてに差別なく対象にしているが、特定の者に自主的に受け取るなというのは制度でもなければ法律でもない。

年内に給付するとまで言っていた。何よりスピードが大切だと麻生首相は明快に答えていた。スピードはダウンして年を越した。この時点で大きく内容が変わってしまった。やむなく経済刺激、景気浮揚とすることにした。お金持ちの閣僚まで金は受け取って使うなどと言っている。麻生の発言は何だったのか?

はじめに2兆円をばらまくことだけが決まっていたのである。公明党の思惑を通した形の選挙対策であった。選挙はやらないことになった。

要するに何も考えずに、選挙対策のバラ撒きをやろうとしていただけで、引っ込みがつかなくなっても続けると言っているのである。少額ならともかく、2兆円もの大金である。生活支援にしても景気浮揚策にしても、2兆円もあればもっと具体的に効果的に取り組めることがあるはずである。

グリーンスパンが責任逃れに言った「100年に1度の経済危機」のフレーズが、盛んに引き合いに出される世界状況である。こんな不毛な論議を重ね、党利党略に固執する日本の国会は何のためのものであるか。

それに比べて、地方自治体などは様々なアイディアを出している。東京都のある区では、定額給付金を寄付してくれると、地方税をできる範囲で下げようと言っている。大阪の橋下知事は、給付を年収400万以下にして残った金で、校舎を耐震構造にしようと言っている。どれも政府が反対するだろうから非現実的であるが、地方の方が具体的な取り組みを考えている。

政策には明確な目的が設定されていなければならない。その目的について最大の効果を求める方法を検討しなければならない。そのために論争を重ね政策を練り上げるのが、立法府の国会である。

官僚と世襲議員に乗っ取られた中央政権は、そろそろ思考過程においても、権力構造においても、民主的制度の上からも限界に近づいているように思える。

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改革が足らないという連中

2009-01-04 | 政治と金

元旦のNHKの討論番組を見た。どうしても許せないのが、竹中平蔵である。小泉改革の張本人であるこの男が、現在起きている状況は改革が足らなかったためだというのである。

私(竹中)たちが進めていた改革がとん挫したから、現在の状況があるというのである。自らが内閣から離れる時に、次を託して推薦した阿部や福田がまずかったというのである。自らが委任したことは棚上げである。そして、自分はさっさと議員辞職してしまう無責任さである。彼に投票した国民はいい面の皮である。

小泉・竹中の掲げた改革の本丸は、郵政の民営化である。民営化された郵政事業は、四つほどに分割されて経営が危ぶまれている。もともと郵政事業は黒字であり、国に何の負担もかけていなかったのである。私たちのような僻地は、極度に人員が削減されて、特定局のいくつかはすでに廃止までカウントダウンの状況にある。

非正規雇用についても、雇用の多様化を掲げて企業が守られて、日本は好景気がしばらく続いたと竹中は言う。この男は、企業収益の向上については言及したが、非正規雇用は当然のととであると発言している。労働の規制緩和が企業を救い日本の株価を上げたというのである。

首になった派遣社員たちをボランティアたちが、炊き出しをやっている光景が報道されている。まるで、震災の後のようである。震災は天災であるが、これは明らかな人災である。しかも小泉・竹中構造改革で切られた、派遣社員たちの哀れな姿である。

これでは社会不安が続くし、消費も伸びないどころか年金や保健の受け皿もない、哀れな社会現象でしかない。世界第2位の経済大国の個人賃金は現在19位だそうである。少数の富める人たちを生み出す社会は、大量の貧困層によって支えられている。

企業の利益はまず株主に配分されさらに運営者に還元される。次には企業内に留保される。この間に株主への配当は5倍以上になり運営者たちは3倍以上の所得を得ている。かつての企業主は、解雇を恥と思っていた。企業モラルの消えた社会は、小泉・竹中カイカクによって更に非情になってきたのである。それを当の本人はまだ足らないというのである。

竹中はさらに企業の減税を進め中ればならないと発言する怖ろしい、現状比認識である。いま日本社会は所得再配分を目的とした、課税対策をやらなければならない。消費税への動きは明らかにこれに反するのである。

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経済より環境を優先する時代である

2009-01-03 | 政治と金

日本政府は、WTO理念推進のためには、ロシアが車の輸入関税を高くしたことを引き合いにして、規制緩和を批判した。グローバル化のためには、こうした規制緩和を認めるわけにはならないのであろう。しかし、ロシアが行った輸入規制は、国内企業を守るためには当然のことであろう。

他国の経済発展に寄与することなどないのである。ロシアは一時値上がりした原油価格の暴落で、このような内需を進める政策をとったのである。考えてみると、日本はこのような国内経済、産業の振興を一方的に海外に委ねることで、経済成長してきた。その犠牲になったのが日本の農業であり、林業である。

中国はひょっとすると、昨年起きた金融恐慌を最も望まれる形で乗り切ることになるかもしれない。内容はどうあれ、中国は社会主義体制と自負している。この国の主な5銀行は国営である。国民へのコントロールはお手の物である。道路一つ作るにしても、巨大なダムを建設するにしても、誰はばかることなくどんどん作っている。

その中国が、格差社会にどうやら取り組み始めたようである。農民の戸籍の移動を、かなり緩和するようである。さらに、内需拡大のために地方の人たちが電化製品を購入すると20%ほどの補助をするそうである。

世界の四分の一の人口を抱える中国である。内需拡大が成功すれば、中国は世界経済とかけ離れた存在になる。あるいは自主経済圏を構築することになる。

いま最も求められるのは、こうした経済圏の分散化である。WTOの唱えるグローバル化は、投資家やファンドマネーなどを肥大化させることにつながった。経済学者たちや財界人たちの言い分を聞く時ではなく、水や空気や動物や森を観察する人たちの声を聞く時である。

真のグローバル化とは、地球上のあらゆる人類が共有する、水や空気が汚染されないことを真っ先に取り組むべきである。食料やエネルギーなどを量的にも質的にも安全で安心なものを得るためには、WTOの理念を見直さなければならない。地域で生産されたものを優先して、国境を超えて遠隔地からの搬入を極力少なくするべきである。

現在の温暖化に限ることない環境の悪化を考える時、環境問題と経済のグローバル化は真っ向から反する。世界経済が多極化する中で、特定の国家あるいは少数の人たちの富の蓄積に貢献する制度は見直さなければならない。

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こりゃ政界再編でなく政党再編だろ

2009-01-02 | 政治と金

今年中に必ず総選挙がおこなわれる。いつになるかが問題であるが、現状では任期いっぱいの9月になるものと思われる。選挙にすっかり怯えづいた麻生ならそうなる。首のすげ替えが行われるとその直後になるが、そんなエネルギーは自民党にはない。

民主党も麻生なら組みし易いと思っている。麻生なら民主党が必ず勝つことになる。問題は勝ち方である。民主党は第一党になっても単独過半数は無理であろうし、選挙協力をすでに社民党や国民新党と約束している。結局連立になる。

連立になると、自民党の一部があちこちと小連合を組むことになるだろうが、その中に民主党が必ず入ることになる。

つまり、選挙後は政界再編が起きるものと思われる。現状の民主党の前原たちは、自民党の加藤紘一たちのグループに比べると、彼らの方がよっぽど急進的な右寄りの思想を持っている。

日本の自民党と民主党は、アメリカの民主党と共和党のような歴史があるわけではないい。日本の民主党には、自民党の中で育ってきた歴史があるくらいである。アメリカの2大政党ほどの違いが、我が国の自民党と民主党にはない。

政界再編もひょっとしたら、大連立ということになるかもしれない。これでは大政翼賛会で民主主義が機能しない。小沢一郎の頭の中には福田と協議したこの構想は、消えてはいないだろう。

小沢民主党はアフガニスタンへの自衛隊の海外派兵を認めるようだし、海賊対策と称してソマリア沖に海上自衛隊を出すつもりのようでもある。大連立のとりあえずの目標はこの辺りにあり、次に憲法改正をにらんでいるように思える。大連立は消えてはいない。

小選挙区制になって、政党の縛りが強くなってしまった。国会議員は各運営委員会や予算委員会などでは、委員として協議し発言して評決に加わるのが原則である。ところが、現在では国会議員は党の方針に逆らうことはできない。党首や幹事長が決定したことに逆らうと、公認が得られないからである。小選挙区制は少数政党を葬ることに加えて、議員の国会での意思をも拘束するのである。

選挙後に政界再編することも民主的とは思えないが、選挙前に態度を隠さなければ公認されない議員の自衛手段も解らなくはない。こうして見ると、選挙後に行われる動きは、「政界再編」などではなく単なる「政党再編」でしかないことが解る。

国民に選択肢をなくさせ、非民主的運営の政治状況は国民から遠くなるばかりである。見せかけの烏合集散を繰り返しても、日本の政治は閉塞状況から脱することはできないであろう。

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羅臼港

春誓い羅臼港