日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

たべもの今昔 (あぁ、家庭科の教科書)

2005-06-15 06:48:42 | あの頃(~昭和40年代)
昭和30年代後半、ちびまるこちゃんの時代と重なるのかどうか。
「パンは前日に焼いたものを使いましょう」家庭科の教科書にはそう記載がありました。
土曜日に食パンを買って、仲良し3人が友人宅でトーストしました。
翌日、再度集まって、教科書どおりに作ったのはゆで卵をマヨネーズ和えした卵サンドとりんごジャムを作ってのジャムサンド。
教科書と首っ引きで、りんごが焦げないようにかき混ぜ、ゆで卵がこぼれないように刻んだことでしょう。教科書どおりに切り分け、お皿に飾って完成です。
勿論出来上がったサンドイッチはおいしく食べたと思います。
数年後、調理サンドイッチが売られるようになって、ようやく思うようになったのです。
あの「パンは前日に焼いたものを使いましょう」の「焼いた」はパンを作ることの意味だったのです。
まったく「アハハ」の話です。
進学した高校も違い、その後友人とは話題にすることもなかったけれど、唯一トースターがあった友人宅で教科書どおりにと、率先してトーストしていたのは、自分ではなかったかしら、と「くすっ」と首を引っ込めがちにひとり恐縮したものです。
昨日近所のスーパーではチーズの陳列棚が巾4メートル近くもあることに気付きました。私には殆どが使ったこともない種類。このスーパーはチーズにこだわっているのだ!と棚を見渡しながら、昔日のことが思い出されたわけです。
その昔、本来のサンドイッチというものも知らずに、トーストしていた3人の姿が浮かび、苦笑いがこぼれてきてしまいました。
家庭科の教科書を参考にお菓子を作ろうと思っても田舎中学生・高校生には困ったことがありました。
「ベーキングパウダー」「コーンスターチ」が、行きつけのお店には売っていなくて揃わないのです。
よく判らずに「タンサン」で代用したことも…。
今は昔。懐かしい思い出です。
今のようにカラフルなお料理の本がない時代、でもいくつかの料理をそれで覚え、家庭科の教科書を下宿生活の荷物に入れたような気がします。
情報が簡単に手に入る時代ではなかったから、家庭科の教科書の役割も大きかったのでしょうね。
ささやかなエピソードです。
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低金利時代の損害金ご存知ですか。

2005-06-14 22:12:55 | 社会問題
最高裁は交通事故で死亡した少年の将来得られたであろう収入(逸失利益)に対して、中間利息控除(※)の利率5%を認めたとのこと。
※将来発生する収入は解決時からみて将来のことであり、その期間の利息相当分を差し引いた金額が支払われることになる。
個別に判断することは公平ではないとの理由らしい。
話は変わりますが、この低金利時代に銀行から事業用や住宅ローンのためにお金を借りた場合、借入金の損害金は何パーセントだと思いますか。
勿論、お金の貸し借りは契約ですから、個別に約束するのが本来ですが、一般の人が利用する住宅ローンなどの場合、契約の相手方は金融公庫や銀行あり、殆どの場合、契約書に既に印刷された細かい文字で記載されています。
その契約書は借り入れ金利については、真剣に吟味し(今は2パーセント程度でしょうか)ていると思いますが、支払いが遅れだ場合の損害金の利率は14.5パーセント。
借入金の金利が5から7パーセントであれば、返済が遅れたペナルティが2倍から3倍でだったのですが、昨今の低金利でも同率の損害金…。損害金は平常の金利を上回るのは納得なのですが、「損害金を約定金利の○倍を上限とする」という形にならないものかと思います。
住宅ローンの返済が数ヶ月遅れ、一旦期限の利益を失ってしまうと、残金全体に対して14.5パーセントの損害金が発生し、売却して返済を考えるにしても、競売になる場合も、返済完了までの利率で債務は増加するのです。
滞納することなく完済する人にとっては、直接自分の問題となることはありません。
金融機関にとっても、現状では借主に有利になる提言することはないでしょう。
例えばリストラなどで突然滞納、不動産を手放さざるを得なくなった人は自分の目の前の問題で一杯で、損害金の高利と返済金の大きさに驚くばかりで声を上げる余裕はありません。
貸主と借主の契約といっても、損害金利率の変更の申し出は弱い立場の借主からは見込めません。
よって、当事者からの声はあがりにくいのです。
これらを監督する立場は金融庁でしょうか。
厳しい銀行監査が行われている折、長らく据え置かれている損害金の基準変更は不可能なのでしょうか。
実際の損害額が少なくなれば、元本への充当額が増えることになり、不良債権の回収率アップにはなると思うのですが、いかがでしょうか。
先ごろのクールビスにしても、万博の弁当持込可が小泉さんの一声だったし、ここでも、お上が率先して実情にあった判断をして欲しいけれど…。契約の規制となるからお上が推奨するのは難しいのかな。
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大学の危機はこれで改善?

2005-06-11 18:21:02 | 社会問題
「受験生確保に囲い込み加熱」10日朝日新聞名古屋版夕刊1面
東海地方の大学で、愛知万博と抱き合わせでオープンキャンパス1泊2日旅行ツアー5,000円というのもあるという。
一方ではケーキバイキングや豪華プレゼントの出る大学もあるとのこと。
「大学受験生」に対するサービスを提供し、勧誘しようという思惑でしょう。
大学が売り物にするのは、大学で何を学べるか、どんな将来が目指せるか、といった悠長なことでは、受験生が集まらないと考えた苦肉の策なのでしょう。
いくら私立大学といっても、国からの助成金が入っていると思います。
少子化で受験生が集まらないと淘汰される時代になるとはいえ、民間企業のアイディア頂き!っていっても、文部科学省の管轄下では不具合なサービスじゃぁないでしょうか。
判っていても背に腹は変えられない、という声が聞こえてきそうですが、先日来の橋梁談合の件と同じように、それぞれ業界にどっぷり使っていると、立ち居地を忘れてしまい、「大学生」が「4年分の授業料を払ってくるお客さん」に見えているのでしょうか。
おっとりした大学教授を当てにしていてはどうしようもないと、担当事務局が突っ走ったのでしょうか。
娘が国立大学文科系の1年に入学した時、「このカリキュラム、(空き時間が多いから)詰めれば半分になる。4年間もいらないね」といったことを思い出しました。
一生懸命受験勉強して張り切って入学した娘に、私は返す言葉を捜してしまいました。
留学が決まって、マンツーマンで語学の特訓していた頃、「○○ちゃん、アルバイトもしないで、空いた時間何してるの?」と、聞かれたことも。
大学生が、4年間でそんな現状を学んで卒業するのは悲しいことです。



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レジ袋の思い出

2005-06-10 11:25:52 | 私の雑感あれこれ
「レジ袋の有料化」だそうす。
なんだか外交などの大きい問題に好進展が望めないから、号令をかけやすいところから「ちょっとずつ」との赴きもしないではありませんが…。
結婚したばかりの頃はスーパーの袋は茶色の紙袋でした。買い物袋持参から紙袋に変わりつつある頃だったのでしょうか。
私の若い頃の「ココロの覚書」には、当時仕事を辞めて主婦になり、買い物袋を下げてスーパーに買い物に行く生活がちょっと居心地が悪かった覚えが残っています。
「(資格試験の勉強のための)図書館通いしており、その帰り道に夕飯の買い物」と。
「ちょっと、寄り道だから紙袋を持っているのだよ」と。
そう自分自身に言い訳しておりました。
それから、すっかり世の中は簡便なほうに来てしまっていて、大勢は安直なレジ袋利用者。買い物袋を下げている人は、環境に深い理解のある人というイメージになっています。
ゴミの分別収集も徹底してきて、プラスチック包装容器類を区分けすると、「燃えるゴミ」は殆どなくなります。
だけれども、豆腐や醤油、味噌、砂糖とどれもこれもパック詰め、袋入りになったから、仕事帰りに「ちょっと買い物」ができるし、仕事と主婦の掛け持ちも可能になったことは確かだから、私的には『レジ袋は悪者』みたいに言うのは、ちょっとネ」と、いうところです。
散歩の時の犬のウンチ袋として、再利用しているし…。
でも、まあ、最近はゴミ捨てように再利用することもできなくなったし、もてあましている家庭が大勢なのだから、禁止は了解すべきことなのでしょうね。
上述のとおりのまったく個人的感傷から、私にとってのスーパーの袋は、「キッチュな主婦ですよ。まだまだ資格とって頑張るんです」と頑張っていた、若かった頃の思い出と結びついているんです。

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大画面テレビも、広告では薄くダイエット?

2005-06-09 15:57:46 | 私の雑感あれこれ
「エプソン 大画面テレビ 体感フェア」に行ってきました。
大画面テレビが、プラズマや液晶よりもずっとお値打ちで提供とあったので、興味を持ったのですが、新聞やパンフレットの写真と実物の重量感が随分違います。
プラズマや液晶よりも厚みがあるとは思っていたけれど、新聞やパンフレットの画面の写真と実物とが違ッてみえます。
薄さを伝えようと斜めからのスッキリした写真もありますが、その角度で実物を見ると、後ろの厚み部分が実際には見えてしまうのです。パンフレットには上から見た厚みも図解してあるには有るんですが、インパクトの強い写真は修正されていると思えてなりません。
体感してこられた方で、そう思われた方ありませんか。
ダイエットの広告みても、半信半疑なのと同じように、今の世の中、電気製品も広告見ただけでは半信半疑であるべきなのでしょうか。
だから、パンフレットだけではなく、実際見て、体感して欲しいのかな?
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やっぱり現実は電気代節約なんですね。

2005-06-09 07:13:03 | 私の雑感あれこれ
久しぶりで娘からの電話。
「今日は職場で6時半に一斉に電気を消す日だったから、早く帰れた」と。
東京都心のその職場は家賃管理費が高いらしく、冬に予定枠を超えた暖房費の使い過ぎで電気が切れたという話もあったらしい。
残業時間の短縮を考える一貫として、そんな話を話題にしたら、月1回6時半で電気を切る日を設けて実施することになったそうだ。
「するとね、みんな早めに仕事を片付けようとするのか、6時半にはみんな帰って私が最後だった」と。
①冷暖房及び照明の電気代節約⇒温暖化防止効果
②共働き夫婦も早期帰宅で子育て時間の確保⇒少子化に歯止め
で、いいことずくめじゃあないですか。
それで、仕事の質が落ちないという実績を残せれば、これに越したことはありません。
電話を切った後、去年の今ごろは終電がないからタクシーで帰ったと話していたことを思い出した。
今の試みが軌道にのって、月1回を週1回にと徐々に増やしていって、率先垂範の部署となれたらいいね。
と心の中でエールを送っている。
小泉首相、中川経済産業相、そして環境相の小池様
クールビズもいいけれど、温暖化防止の上に子育て時間の確保にもなります。
「効果対コスト」を吟味して、この提案もお上からしてはいかがですか。




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年金の話

2005-06-08 11:35:55 | 社会問題
年金行政はどうなっているのだろう。
「未納者が多くて、将来パンク状態らしい」
「いや国がやっているから大丈夫なハズ」
と、どれをとっても推測の域を出ないところが心もとない。
この国に籍があるから、そのルールに則っていくのがどおりと思いたいのだけれど、天下りが談合に関与していた、とか、社会保険庁の経費の支出に不明朗なところがあるとか、ぼろぼろと欠陥が暴露されてくると、国が決めたルールといっても、構成メンバーである人が決めたものであり、結構利権の巣窟かも?と思うと、ため息が出る。
6年程前だったろうか。所得ゼロであっても二十歳過ぎれば国民年金納付義務が発生するので、滞納通知が来たことがあった。「所得がないので納められない」と滞納通知送付先に連絡すると、「世帯主に収入があるから納付義務が本人に発生するとの回答だった」二十歳を過ぎると大人ですと、成人式までやっておきながら、親を頼れとのシステムはおかしいのではないかと問いただしても、こちらではそれ以上のことは言えませんとのこと。
それはそうだけれど、ずっと制度の欠陥のような気がしていた。
注)その後、本人の無所得を証せば免除申請可能になった。
もうひとつ制度としてアンバランスだと思っていること。
年金受給者が高齢になってからでも入籍した場合、配偶者は自分の死亡時まで遺族年金を受け取れるという今のしくみについて。
個別の場合をとやかく言うつもりはないのだけれど…。
80歳超えのお年寄りのところに60代の親切な介護士さんが来て、ロマンスが芽生えるのも微笑ましい話です。好ましいと思った相手に、自分の財産を渡すのも自由です。
だけれども、後年になって配偶者となった人が、その後ずっと年金(遺族)受給資格を引き継ぐというのは、年金が不足だと連呼している現状では制度が甘いような気がします。遺族年金は納付期間を共に過ごしてきた配偶者に受け取る権利が及ぶものではないでしょうか。
先に述べた無所得者に納付義務を負わせるのも矛盾だったし、納付にまったく関わってもいなくても受給資格が保証されるのもアンバランスのように思える。
納付金に対応する受給額も知らされず、ただ信じろといわれて納めている年金。
私の意見としては、現状の年金事情がこんな不確かなものであるならば、いっそのこと規模を縮小して最低生活を保障する程度(生活保護よりは少し上、程度)の給付を保証することとしたらどうだろうか。
そして、余裕のある人は各自が民間の機関を利用するなりして、自分の意思で資産形成したほうが余程明朗な気がする。
かっては、国民から集められた年金資金で国のインフラ整備をすることも必要だったと思うけれど、戦後60年情況は随分様変わりしたのだから。
小さな政府実現の一助となるだろうし、民間への業務の移譲ともなるだろうに。


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クールビズ1週間 雑感

2005-06-08 07:50:16 | 社会問題
テレビや新聞でクールビズのニュースが行き交っている。「冷房の設定温度を26度から28度に引き揚げることが出来て…」と。
エネルギー節約になるというのである。その前に電気代節約があるけど、そんな言い方はなされない。
マスコミに答えている人たちは会社という組織の一員であり、誰も自分の財布から電気代を払っていないからだろう。
事務所開設時、税理士さんに帳簿のつけ方の説明を受けた。
その時に、初めは経費の節約に心したものですよ。少しぐらいの暑さ寒さは堪えられるので、来客がある前になって冷房をつけたりたと、ご自分の体験を語ってくださったことを覚えている。
自分の財布から出す電気代であれば、28度OKだろうし上着も脱ぐけれど、組織が大きくなると見えるのは上司の視線だったり、来客の好感度だったりするから話は複雑になる。
そして、お上の号令がないとちっとも話が前に進まないというのが現実だったのだろう。
虚礼廃止ゃ過剰包装の自粛の類に似ているのだろうか。
しかしながら、勝手に言わせてもらえるならば、美的には日本の中年男性のスーツは馬子にも衣装、だったのかな、とは思う(笑)。
それが現実。まったく自分のことを棚にあげてと、つぶてが飛んできそうですが…。
だからといって暑いのに堪えろと言ってるのではありません。クールビス賛成です。
根付くといいですね。
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映画「キングダムオブヘブン」を観る。

2005-06-06 14:39:04 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
十字軍の話だと聞いていたので、時代考証されたその頃のヨーロッパを知れるかなという誠に安直な発想で「キングダムオブヘブン」を観にいった。
1180年代フランスの農村。子供の死を悲しみ自殺した妻が葬られるシーンから始まる。
街道の鍛冶屋バリアンのもとに十字軍を率いた男ゴットフリーが父親と名乗って現れ、聖地エルサレムへ共に行こうと誘う。
港から船に乗り換え、イタリア語が聞かれなくなったところにその王国はあると。
その地は建造物が軒を連ね、沢山の人で溢れているが、キリスト教徒とイスラム教徒の争いは繰り返されており、王の信頼が厚かった父も戦で傷を負い命を落とす。頼病を病んでいた王が病に倒れ、後を継いだ王女の許婚は王国の軍を引き連れて、イスラム教徒サラディンの軍と戦いに挑み惨敗してしまう。
バリアンは、宗教を信じているわけではないけれど民衆の命は守らなければならないと考えた。
このままではこの町は滅ぼされてしまう、とバリオンは民衆に訴える。
弱小の戦力ながら、巧妙な作戦で何とかサラディンとの和睦に持ち込み、民衆を引き連れてエルサレムからヨーロッパの地へと引き上げる。
帰還の途中、イギリスの王リチャードから、「君は名に聞くゴットフリーの息子バリアンか」と尋ねられ、バリアンは答える「鍛冶屋です」と。
一緒に映画を観た夫によるとサラディンと獅子王リチャードとの和解の話は聞いたことがあるとのこと。そのイギリス王リチャードが彼の地で和睦を結ぶ直前にこのような経緯があったとを、この映画が採りあげているのだろう (私は世界史に詳しくないので、創作話か史実は知らないけれど)。
「十字軍とサラディンの和睦」イスラムの世界に十字軍が大軍を連ねて向かった時代の光明だったのだろうに…。
最後に、それから1000年を経た今もこの地で争いは終わっていないとテロップが流れた。
私たちアジア人にとって十字軍は宗教的にも民族的にも距離があるけれど、ヨーロッパ人(そしてヨーロッパ出身のアメリカ人)、イスラム人の目にはこの映画はどう映るのだろうか。
ちなみ映画で描かれた時代は1180年代であり日本では戦国時代にあたる。豪族の勢力争いが絶えず1192年に鎌倉幕府が開府。まったく地域的には離れていても、いずこでも多くの血が流されていたわけである。
そして今日もイスラムの地から聞こえてくるニュースに、似通ったところがあるのは、まったく残念です。
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『モッタイナイデス』

2005-06-03 06:21:52 | 私の雑感あれこれ
昨日は昼前から雨。
午後、傘をさしながら所用で街中を歩いていると、デパートの前で『モッタイナイデス』と会話する小さな声が聞こえてきた。
若いブルネットと金髪の二人の女性(近頃は外国人と注を入れるべきなんですね。笑)が、中年の日本女性に伝えるためにいっているのだと察することが出来た。
デパートの入り口で若い二人は、濡れた傘をビニール袋に入れようとしていた。
一歩前にいた中年女性は、二人の仕草が目に入り、「それは使用済みのビニール袋で、こちらの機械に傘を差し込むのですよ」と教えようとしていた。それに対して、にこやかに上記の言葉が聞こえたというわけです。
そのデパートの他の入り口にも傘を袋に入れる機械(『傘ポン』と命名されていた)がおいてあり、傘を袋に入れる手間にまで機械が顔を出すのは日本だけだろうなと微苦笑。
その場面の話はそれだけのことです。
少し前、アフリカ人でノーベル平和賞をもらった女性(名前を調べず相すみません)が、日本にきて『モッタイナイ』という言葉(と節約の精神)を学んだので、自分の国でも広めたいと言っておられたのをテレビで見ていたから、外国の人が話す日本語の『モッタイナイデス』が耳に残ったのです。
…が、『モッタイナイ』の使い手が反対です。
『モッタイナイ』精神の輸出かなと、ニュースでは相槌を打っていたのに、どっこい「『モツタイナイ』精神の輸入も必要ですよ!」という警告も出ているようです。
そう思われませんか?

実は私もビルに入る時にしぼめると3段にたたまれてしまう傘だったのでビニール袋は使えないなーと思案していたところだったので、ささやかな顛末ですが、ちょっと心に留まりました。
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