詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

山之口獏「大儀」、すぎえみこ「かたえくぼ」ほか

2023-10-12 22:29:36 | 現代詩講座

山之口獏「大儀」、すぎえみこ「かたえくぼ」ほか(朝日カルチャーセンター、2023年10月02日)

  受講生が、みんなと一緒に読みたいという作品、山之口獏「大儀」を持ってきた。

大儀  山之口獏

躓づいたら転んでゐたいのである
する話も咽喉の都合で話してゐたいのである
また、
久し振りの友人でも短か振りの友人でも誰とでも
逢へば直ぐに、
さよならを先に言ふて置きたいのである
あるいは、
食べたその後は、口も拭かないでぼんやりとしてゐた
 いのである
すべて、
おもふだけですませて、頭からふとんを被って沈殿し
 てゐたいのである
言いかえると、
空でも被って、側には海でもひろげて置いて、人生か
 何かを尻に敷いて、膝頭を抱いてその上に顎をのせ
 て背中を丸めてゐたいのである。

 「空でも被って、何かを尻に敷いて、がいいなあ。面倒なことを放り出していたい。後半が大きくていい」という。「自然体がいい。最後の三行がいい」「ゐたいのである、で統一している。何が起きてもかまわない感じ、悠然としている」と感想がつづく。
 私は意地悪な人間なので、こういう質問をしてみる。「大儀って、どういう意味?」
 すると、「めんどう」「億劫」「何もしたくない」という答えが当然のことのようにして返って来る。
 さて。
 「めんどう」「億劫」「何もしたくない」という気持ちが、どうして「大きな感じ」、「悠然とした感じ」、あるいは「自然体」というような印象に変わっていくのか。
 これは、なかなか難しい。「めんどうなこと、おっくうなこと」に出合うと、そんなことはしたくなくなる。「何もしたくない」。それが「大儀」だとして、その大儀の瞬間、最後の三行に書いてあるような「気持ち」にはない。「ああ、いやだ、いらいらするなあ」と言う感じが強いと思う。
 少なくとも、「大儀」と感じた瞬間は。
 そこから出発して、ことばが、少しずつ変わっていく。ことばが変わると、書いた人も変わってしまう。
 その変化が、この詩の、実は一番おもしろいところではないだろうか。
 そういうところに注目すると、この詩のなかで何が起きているかがわかる。
 この詩には「また、」「あるいは、」「すべて、」「言いかえると、」という、それ自体は何も伝えないことばが、威張って一行を独占している。この独立した一行でいちばん重要なのは「言いかえると、」だろう。
 そこで、私は質問するのである。
 「どういうとき、言いかえると、ということばをつかう?」
 「別のことを言いたいとき」「もっと伝えたい」「深く伝えたい」
 そうだね、この詩は単に「大儀である」ということだけを伝えたいのではなく、つまり「面倒である」というようなことだけを伝えたいのではない。誰もが知っている「大儀」とは別のものを伝えたいのである。「大儀だなあ」と言うだけでは伝わらない何かを伝えたい。考えてみれば、転んだときに起き上がるのも大儀である。食べたあと、口を拭くのも面倒である。そういうことは「おもふだけですませて」、ほかのことをしたい。それくらい「大儀である」。
 大儀なことは、「おもうだけですませて」、本当は別のことがしたい。思うだけでは終わらせたくない。それが最後のことばなのだ。
 何気なくつかわれているように見えるけれど、この詩では「おもうだけですませて、」ということばを「起承転結」の「転」にして、すべてを「言いかえる」。ここには、信じられないくらいの「大転換」が隠されている。
 最後の三行は、もちろん詩そのものだけれど、その詩の奥には、「また、」「あるいは、」「すべて、」「言いかえると、」という短いことばを動かしていくエネルギーがあって、そのエネルギーが最後に爆発し、解放されているのだと思う。
 だから、感動的。

かたえくぼ  すぎえみこ

さびしいこころは みみをすます
たのしいこころは かぜをさがす


わたしは わたしのきおくを
ととのえながら
いまの じかんをととのえる


きおくをやみに けすこともなく
ゆがめることもなく


まんなかにおいて
ちんもくでつつむ


そのちんもくのなかには


ささやかな よろこびを
わすれないうちにと
かきとめる かみがある


かろやかなこころは みちをさがす
かぜをうけるこころは たびをする

 「ひらがなで書かれていて、それが非常になめらかで、心地よい。四連目、特に、ちんもくでつつむ、がいい。詩でつつむ感じ」「最初の二行と最後の二行がとても印象的」「対になった構造は、すぎさんの詩では、あまりみない手法だと思う。詩の入り方がさっと入り、終わりがさりげなく終わるのがいい」
 作者は、四連目がいちばん書きたかった、と言う。
 私は、そのあとの五連目「そのちんもくのなかには」は、とても印象に残った。この一行が好きである。(講座で読んだときは「その ちんもくのなかには」と、一字の空白、空きがあった。)「その」ということばはなくても意味は同じである。「その」がなくても、読者は、直前の「ちんもく」以外の沈黙を考えない。
 しかし、「その」がある。
 「その」があると、意識がぐいと直前に書かれている「ちんもく」に引きつけられる。粘着力というか、牽引力が強く、ことばがその沈黙に集まって来る。ブラックホールのように、すべてを飲みこんで、ビッグバン(爆発)を起こす。
 この動きがいい。
 タイトルも、なかなかおもしろい。受講生は「思いつかないタイトル」という。作者は、両えくぼだと百%になってしまうので、それが避けた、と言った。

水蜜  青柳俊哉

古代の朝 緑の雨がふる
桃やかえるが囁く 

畝(うね)の中のこみちを
口ずさみながら渡っていく天使の少年 
ほぐされた黒い土に滴がはねる 
うかびあがる水蜜を農夫が素早く掬い取る
いくすじか土や草に光が点り
瞼をひらくように
誰かが囁きかえす

古代の神性を ひとがうまれるころの
情感を 野に灯しながら少年が
霊歌を奏でる

 「自然、農夫のイメージを抱くことができた」「桃が囁く、というのはおもしろい。古代というのは、どれくらいの古代かなあ、吉野ヶ里くらいかなあ」と言う声に対し、作者は「人が生まれる前、あるいは生まれるころ」を想定している。天使はおおげさすぎたかな、という」
 たぶん「天使の少年」とことばが重なっているから、イメージが濃くなりすぎるのかもしれない。
 しかし三連目には「少年」があり、それと呼応させるためには「天使の少年」と書かなければならなかったのかもしれない。呼応といえば、「囁く」と「囁きかえす」という呼応もあるが、「緑の雨」に対して「滴」があり、「うかびあがる」には「掬い取る」がある。「緑の雨」は「いくすじ」と呼応するし、「滴」は「光(が点り)」と呼応するだろう。「光が点り」は「野に灯し」と呼応する。ことばの呼応が、情景が立体的にしている。
 最終行の「霊歌」がよくわからないという声が聞かれた。「霊歌」に呼応することばがないからかもしれない。「囁く」に対して「霊歌を奏でる」が呼応している、かもしれない。「囁く」と「奏でる」が呼応しているかもしれないが、私も「霊歌」は「天使」以上に、全体の中では、ことばとして浮いていると思う。

風鈴  池田清子

風鈴が鳴っている
最近越してきた家からか
扇風機を止めてみる

虫の音を
かき分け かき消して
澄んで 届く

風鈴が鳴っている


泣いてる?

よしきりは鳴く
ひぐらしは鳴く
とか 詩われてきたのに

ごめんごめん

風鈴も 鳴っている

 「朗読を聞いて、風鈴が生きているものとしてあつかわれているのを感じた。黙読したときは二連目が詩的だと思った。朗読を聞いたあとは、最終行に向かって意識が動いているのがわかった」「風鈴の音から静かさが伝わって来る。鳴ると泣くの書き分けもおもしろい」
 風鈴が鳴っている。虫の声は泣くか鳴くか。風鈴は、どっちだろう。泣くだろうか。よしきりは鳴く、ひぐらしは鳴く。そうであるなら、風鈴も鳴る。この「も」に作者のいいたいことが集約されているのだと思うが、少し論理的すぎないだろうか。
 ほんとうは、どう思いたいのだろうか。
 思ったことを書くのも詩だが、思いたいことを書くのも詩である。山之口獏の「大儀」のように。山之口獏の書いている最後の三行は、思ったことというよりも、思いたいこと、つまり、そこには欲望がこめられている。「大儀」なとき、つまり私たちが、あれやこれなのなかで生きる力を失いかけたとき、その失いかけた欲望を呼び覚ます何かが書かれている。

 

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Estoy Loco por España(番外篇401)Obra, Jesus Coyto Pablo

2023-10-12 17:16:18 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo
"aquel lugar" 100 X 81  1990, Óleo lino

 Me dijo la voz: "Estaré esperando en aquel lugar", y la voz colgó el teléfono. Era la voz que había escuchado antes, pero no podía identificar quien me llamó. Aunque no sabía dónde estaba aquel lugar, lo recordé. Aquel lugar donde te perdí. Me dijiste que abriera los ojos, y cuando lo hice, una negrura gloriosa me tragó aquel lugar. Una luz negra iluminó una ciudad como un espejismo. "Vamos a aquel lugar". Dicho esto, me dejaste atrás. Puedo ver aquel lugar. Pero no sé cómo hacerlo. Aquel lugar. Además, ¿estás esperando aquella ciudad espejismo, o el lugar donde viste el espejismo? La voz que dice: "En aquel lugar te espero", se convierte en una luz negra que me obliga a cerrar los ojos, removiendo mis recuerdos.

 「あの場所で待っている」と告げて、その電話は切れた。聞いたことがある声だったが、はっきりと断定できない。だから、あの場所がどこなのか、それもわからないはずなのに、私は、あの場所を思い出してしまった。君を見失った、あの場所。目を開けていい、と言われて目を開けると、輝かしい黒が、私を飲みこんだ、あの場所。黒い光が蜃気楼のような街を浮かび上がらせていた。「あの場所へ行こう」。そう告げて、君は私を置き去りにした。あの場所は見える。だが、どうやって行けばいいのかわからない。あの場所。それに、君が待っているのは、あの蜃気楼の街なのか、それとも蜃気楼を見た場所なのか。「あの場所で待っている」という声が、思わず目をつぶってしまうしかない黒い光になって、私の記憶をかき混ぜる。

 

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