詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

林達夫と「勉強」

2023-10-18 22:55:22 | 考える日記

 ようやく「林達夫著作集」の再読を終えた。これから読み始める本(中井久夫や林達夫より古い本)のための、なんというか、「ウォーミングアップ」のつもりで、中井久夫のエッセイ、中井久夫著作集、林達夫著作集と読み進んできたのだが、正月から10か月もかかってしまった。このままでは、死ぬまでに読みたい本を読み終えることができない、とかなしくなる。
 福大病院の検診には、診察券もマスクも忘れてしまった。物忘れが激しくなったし、検査の結果も、予想はしていたがつらいものがあった。
 でも。
 林達夫には励まされる。晩年になってから、ロルカに出会い、スペイン語の勉強をはじめている。NHKのラジオ講座で。かつて勉強したことがあるロシア語もラジオ講座で復習している。何歳になっても、勉強している。
 そういえば。
 林達夫の文章には、よく「勉強」ということばが出てくる。生涯、勉強をつづけた人なのだ。林達夫からはいろいろ学んだが、この「勉強」ということばは、林達夫の思想をとてもよくあらわしていると思う。
 林達夫は、いろいろなことに対して、異論・反論を書いている。ある「学問」に対して、別の視点を提供している。それは、多くの「学問」が何ごとかを整理・要約するのに対して、その整理・要約された「学問の周辺」を勉強して、領域をひろげるという作業のように思える。
 「山」には頂点がある。そして、山にはすそ野がある。それだけではなく、山には「周辺」がある。山は、思いもかけないところから始まっている。どこから山へ上りはじめるか。それは、「きり」がない。「きり」がないとわかっているのに、林達夫は、そんなことはない、と信じて「周辺」をひろげ、そのために勉強している。
 「勉強」ということばに触れるたびに、私は、林達夫の書いているあれこれを思い出し、自然と、それをまねしたくなる。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(46)

2023-10-18 22:21:27 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む


 「紀元前二百年」。

我等の共通ギリシャ語、

 「我等のギリシャ語」ではなく、「我等の共通ギリシャ語」。こういうとき、その「我等」のなかには「異質」が存在するということである。「異質」を超えて「共通」がある。そのとき、単に「我等の共通言語」といわずに「ギリシャ語」という。
 ここには乱暴な「思い上がり」のようなものがある。その「思い上がり」のために、たぶん、ギリシャはローマに屈した。

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