増田耕三『庭の蜻蛉』(現代日本詩人選100、NO4(竹林館、2024年09月01日発行)
増田耕三『庭の蜻蛉』の巻頭の詩「こおろぎ橋」。
こおろぎ橋を渡ったのは
三十年ほど前のこと
まだ妻も子もなく
若さを失いかけた私が
昼のなかの橋を渡った
別れたのちの届けようのない想いが
りんりんと染みるように
歩み去ったひとのかかとの音が
響いていた橋のたもと
こおろぎ橋を渡ったのは
三十年ほど前のこと
とてもていねいに書かれていて、とてもよくまとまっている。
二連目の「若さを失いかけた私」というのは、いまの感想というよりも、青春独特の「喪失の先取り」のような感覚だと思う。センチメンタルというのは、ほんとうは失っていないのに失ったと思うときに、みょうな輝きを見せる。「昼のなかの橋」の「昼のなかの」という焦点の当て方が「若さを失いかけた」という感覚と向き合って、「撞着語」のように響く。
三連目は「うた」になりすぎているが、四連目で、最初の連を繰り返すことで、走りすぎた「うた」を、平凡な「うた」にひきもどしている。それが、落ち着きを生んでいる。
この作品が増田の代表作かと言われれば、すこし悩むが、何篇かの作品を選ぶときには、その候補として残したくなる詩である。
「九月の詩」は、詩集のおわりから二篇目の作品。
もうすぐ、九月が終わるというのに
一向に姿を現さない
私を置き去りにしたまま
「九月の詩」はいったいどこに
いったのだろうか
降り終えた
雨の気配だけが残されている
失った人のいた、九月
いや、
失われた人など
もうどこにもいやあしない
さばさばと消えた
きりで
三、四連目。こう書かずには、詩を締めくくった気にならないのかもしれない。しかし、その二連はない方が「中途半端」な感じで、逆にいいのではないだろうか。「中途半端」は「余韻」と言い換えることができると思う。
そうした方が、「 もうすぐ、九月が終わるというのに」「失った人のいた、九月」の読点「、」の呼応が美しく響くと思う。
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