詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2020年10月26日(月曜日)

2020-10-26 15:52:49 | 考える日記
 ある本に、こんなことが書いてある。

彼らは日ごとにますます険悪になる人種差別や反動の強化、ファシズムのきざしをちゃんと見ている。世界の未来に対して自分の国がいかなる責任をになっているかも知っている。しかし彼ら自身は、何に対しても責任がないと感じている。それは彼らが、この世界で何かをなすことができると思っていないからである。二十歳にして彼らは自己の思考は無益で、善意は無効だと確信しているのである。

 まるで日本の若者のことを書いているように感じてしまう。「人種差別」を「中国・韓国への差別」と書き換えれば、そのまま日本の若者に対して私が感じているとことと一致してしまう。ここに書いてあることに「政治を追認し、いまの自分を守ることだけが未来を生きることだと確信している」とつけくわえれば、いっそう、いまの若者に近づくだろう。
 そう気づいて、私は、かなりぞっとした。

 ある本とは、ボーヴォワールの「アメリカその日その日」である。ホーヴワールはこの「日記」を1947年に書いている。そのときボーヴォワールが見たものが、いまはさらに増幅された形で世界をおおっているということかもしれない。

 ところで。
 私が大学生の頃、ボーヴォワールの「第二の性」は北九州市立図書館では閲覧は可能だったが貸し出しは禁止だった。図書館の本は必ずしも借り出せるものではないし、図書館には読みたい本がそなえてあるわけではないということを教えてくれたのは、ボーヴォワールだった。必要な本(読みたいと思う本)は自分で買い揃えなければならないと覚悟できたのはボーヴォワールのおかげである。
 脱線したが。
 やはり読むべきはボーヴォワールである。活字が小さくてつらいが、人文書院の「全集」をやっと手にすることができた。「源氏物語」を手に入れたなんとかという人のように私はうきうきしている。

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