詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岸野昭彦『ら・その他』

2020-11-16 10:40:21 | 詩集
岸野昭彦『ら・その他』(七月堂、2020年11月01日発行)

 岸野昭彦『ら・その他』に「接続詞は単独では夢見られない」という魅力的な一行がある。「魅力的」というのは、想像力を刺戟される、「誤読」したくなる、という意味である。岸野のことばを置いてきぼりにして、私は勝手なことを考えてしまう。
 ほんとうに接続詞は単独では夢見られないのだろうか。
 それは「生きる」という詩のなかに出てくる。

ついに 失われたものがあって
その後に立ち尽くす日々
しかし そのような日々のあろうはずもない
陽は傾き 陽は硬く傾き
その下を滅びつつある野鼠の生まれ続けるしかし

の空白 として
移動する樹木の重ねられる非の歳月を空白 として
あるいは
接続詞は単独では夢見られない
にせよ夢見られない日々の不透明な連続で
あるにせよ
ヒカリが襲う星屑たちを別の名で呼べあるいは
不治の病 と呼ぶにせよ
支えよそして
立て

 この詩のなかの「接続詞」はどれか。「しかし」「あるいは」「そして」。それぞれに「働き」がある。「しかし」はそれまで語られてきたこととは違うことを語るときにつかう。「あるいは」は違うことを語ることもあれば同じことを語ることもある。「そして」はたぶん同じことを語るときにつかうことが多い。それがなんであれ、いままで語ってきたことを、さらに別なことばで押し広げるときにつかう。
 「接続詞は単独では夢見られない」は「接続詞は単独では存在することができない」ということだ。「存在する」を「夢見る」と岸野は考えていることになる。
 でも「夢見る」とは何? 「夢」とは何?
 簡単に言えば「現実ではないこと」が「夢」だろう。
 ここから逆に(?)考えれば、「接続詞は現実ではないこと」と結びついてこそ、「接続詞」の役割を果たすことになる。「夢」を「精神の力で見るもの」と言い直せば、「接続詞は、現実に触れながら、その現実を超えて精神の世界へとことばを動かしていくための踏み台」ということになるだろう。
 本来は「不連続」であるものを、ことばの力で「連続/接続」させてしまうのが「接続詞」の働きなのである。
 この詩のなかには「日」ということばがある。それは「陽」になり、「碑」を呼び、さらに「非」へと変化する。「非」は「あらず」である。「ない」である。「ない」ものにつながっていくための「接続詞」が存在する。
 ここからはさらに飛躍して、ほんとうに存在するのは「接続詞」だけであるということもできる。何かを「接続させてしまう意識」だけが存在する。それ以外のものは極端に言えば「存在」ではない。
 それらは常に「別の名」で呼ぶことができるのである。「星屑」を「不治の病」とさえ呼ぶことができる。「比喩」によって「存在」を隠し、同時に「存在」を新しい形で定義して、そこに出現させる。
 「失われたもの」は、そこには「ない」のだが、この「ない」を「失われたものがある」と逆の形で言うことができる。「失われる」という「こと(事件)」が「ある」から、何かが「ない」ということになる。あらゆることが「ことば」のなかで動く。その動きが「ある」。そして、その「ある」のなかには「接続詞」が隠れている。
 「なろうはず」も「ない」。「滅びつつある」ものが「生まれ続ける」。この「矛盾」を接続する「力/あるいは場」とはどういうものか。
 岸野は「空白」ということばで語ろうとしている。
 この詩集には、多くの「空白」が出てくる。「空白」としての「接続詞」、「無」としての「接続詞」、「非」そのものとしての「接続詞」。「生きる」とは「接続詞」になって存在するということか。
 「結論」は書かないでおこう。
 岸野のことばは「結論」を求めてはいない。ただ「接続詞」として世界のなかを動いていくことをめざしている。動いていくとき、そこに微妙な「ずれ」のようなものがはじまる。
 たとえば、「陽は傾き」は「陽は硬く傾き」と「硬く」を補って言い直さざるを得ないような「ずれ」が生まれる。この微妙な「ずれ」の促すものとして「接続詞」がある。このときの「私」の存在を「旅」では、こう書いている。

頁の白い余白、から光りはじめている薄い旅を、こぼれ
る滴を伝うように、そう、壊れていくのだ、私は。

 「壊れていく」は「壊していく」でもある。「私」は「私」を「壊す」。それまで「接続」していた関係を壊し、新しい関係を「余白」のなかで展開する。「余白」のなかで新しい世界があらわれる。生み出される。
 「壊れる/壊す」と「ら」のなかでは、「かけら」と呼ばれる。

美しいかけら。ら。かそけきひびき。うなだれる透明な
ひかりをはこぶもの。または、もぬけのから。方舟、の
もののかたち、からもとおく。

 「かけら」はかけらですらなく「ら」になっている。その「ら」から「もぬけのから」が生まれる(接続される)。「もぬけのから」は「もぬけの殻」であり、「空」なのだが、それは「……から(助詞/格助詞/接続助詞)」にも変化してしまう。
 岸野が書いているのは、そういう「時間(生きている現場)」である。「今日という時間」の一連目と三連目を引用しておく。

雲を見ている。しかし、私がここで雲を見ていることを、
誰も知らない。青い空に、キリンのかたちをした雲が浮
かび、ゆっくりとながれていく。とおいものが、とおい
ままに私の心に触れ、そのキリンの首のあたりからすぐ
にかたちを崩し、どこへともなくちぎれていく。

なにもない空に、白雲がおとずれていて、ふしぎなかた
ちをえがきながら何もかもがまた消えていき、ただ時間
だけがのこっている。そんな気もする。雲のなかにある
私という存在。または、私のなかにある、雲という存在。
誰もいない部屋にひとりでいて、それがさびしいのかど
うか、よくわからない。

 私は、この「わからない」が好きである。





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