詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

16 犬

2019-04-24 11:45:02 | アルメ時代
16 犬



木枯らしの底辺を犬が走っていく
あの犬は何度も見たことがある
茶色のどこにでもいるただの雑種だ
夏は脳を沸騰させ冬は脳からこごえる
だからといって過敏ではない
少し毛の汚れた犬である
水銀灯の硬質な光をのがれて
郵便局の裏で時々吐瀉物を食べている
縄張りを持たないからいつも小走りである
飼い犬の鎖の長さの一鼻先をかすめることを得意としている
立ち止まるのは信号を渡るときだけである
けっして一匹では渡らない
人の影に隠れて渡る
よらば大樹の影ということばを曲解している
そのくせ知恵があると自負している
低い視線を持っている
そのことが自慢であるのか
足元をするりとぬけてゆき
ズボンの裾を気にする男を振り返ったりもする
尻尾をクリルと曲げて
すっとんきょうなリズムで
春には恋人をつれて歩いたこともあったが
どうせ行きずりだと思っているのか
耳が折れタビをはいた駄犬であった
毛並みのいいのには手をださない
相手のいるのにも手をださない
つまらない自制心だけはある
ようするに痛い目にあいたくないだけである
分を守ることが大切だとつぶやいているが
欲望だけはあるらしく
秋には赤鼻のセックスをなめ
最後かもしれないたかぶりにふるえていた
横丁を曲がり路地を抜け
高速道路下の安全地帯へたどりつく前に
肥満体の飼い犬に横取りされて
高い高い空を眺めることもあった
草を噛んで吐いて草を噛んで吐いて
胃と腸をしずめる日日を繰り返し
水に映った自画像を消すように
蓋のはがれたドブ水をなめた午後
名前を呼ばれることだけを求めて
改札口にまぎれこんだりもした
もはやだれも出歩かない深更
激しく心をひきつけたのは
二丁目の電器屋がしまい忘れたビクターの犬である
思い出したように通るトラックのライトに浮かび
再び闇にのまれて微動だにしない
汗と毛のにおいを持たず一点を見つめて思索している
昼間は水をぶっかけられるので近づきはしないが
かならず反対側を通って観察する
(不動の姿勢 ふむ
あれがいわゆる悟りというものだろうか)
小走りで考える
考えながら走りながらも
ガキとだけはぶつからぬ発射神経を持っている
とりわけ雨上がりには注意する
閉じ込められたからといって反動で過激になるやつは嫌いだ
呼ばれても振り向かない
近づいてきたらぐっとひきつけて突然走り出す
それが今風だと信じている
似たようなブチと真顔で話し合うこともある
聞こえないふりをするのは賛成だ
しかし少しずつ足を速めて逃げ出す方がよかないかね
相槌はそうかねの一点張りである
つまりスタイルは変えない主義である
体になじんだものだけを信じている
保守的と呼ばれることを恥じない
ただ反動的という批判には開き直れない
火曜日は葵ビルのゴミ出し場に弁当のクズが出る
菜食主義者なので必ずカツが残っている
といった最新情報はすぐにおいかける
行けばきまって先着者に追い払われる
それでもこりるといったことがない
覇気がないなどという中傷は耳に入らない
楽しみはかぎなれない小便の上に小便をかけることである
そのために見慣れないチビを尾行することもある
間違っても強いやつの上にはかけない
一匹狼だと思い込んでいる
ビル風にあおられながら
きょうは荒野を疾走しているつもりである



(アルメ238 、1985年12月25日)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 池澤夏樹のカヴァフィス(1... | トップ | スティーブン・スピルバーグ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

アルメ時代」カテゴリの最新記事