詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之を読む(100)

2015-06-26 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
嵯峨信之を読む(100) 

152 氷嶋

 萩原朔太郎の「氷島」を意識して書かれた詩なのだろうか。

いつまでもひとり戸外に立つて
あの裏切り者が吹くすすりなくような口笛を信じるな

 「すすりなく口笛」は朔太郎の音楽を感じさせる。それを「信じるな」と嵯峨は書く。朔太郎とは違う音楽の詩を嵯峨は目指している、ということの表明だろうか。あるいは、その音楽に惑わされずに、音楽の底にあるものを掴み取れというのか。

彼の内部をひた走る針鼠をみつめよ

 この三行目は、音楽よりも苦悩をみつめるべきだという主張に聞こえる。

すべて屍の眼は断罪のきびしさに見開いたままだ
一つの星に飾られた氷嶋
その永劫の墓場へむかつて一列の漂体はどこまでもながれてゆく

 この終わりの三行は、嵯峨の音楽が、たしかに朔太郎とは異なっていることを教えてくれる。嵯峨の場合、漢語(漢字熟語)が肉体から分離している。精神は肉体の不透明さを拒絶している。精神で肉体をととのえるという感じがする。
 「屍の眼は断罪のきびしさに見開いたままだ」ということばは、嵯峨が「音楽」さえも「眼」で見ようとしていると感じさせる。「眼」で聞くという感じがしない。見ることをやめれば、もっと音楽がやわらかくなるのに、と思ってしまう。


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