嵯峨信之を読む(100)
152 氷嶋
萩原朔太郎の「氷島」を意識して書かれた詩なのだろうか。
「すすりなく口笛」は朔太郎の音楽を感じさせる。それを「信じるな」と嵯峨は書く。朔太郎とは違う音楽の詩を嵯峨は目指している、ということの表明だろうか。あるいは、その音楽に惑わされずに、音楽の底にあるものを掴み取れというのか。
この三行目は、音楽よりも苦悩をみつめるべきだという主張に聞こえる。
この終わりの三行は、嵯峨の音楽が、たしかに朔太郎とは異なっていることを教えてくれる。嵯峨の場合、漢語(漢字熟語)が肉体から分離している。精神は肉体の不透明さを拒絶している。精神で肉体をととのえるという感じがする。
「屍の眼は断罪のきびしさに見開いたままだ」ということばは、嵯峨が「音楽」さえも「眼」で見ようとしていると感じさせる。「眼」で聞くという感じがしない。見ることをやめれば、もっと音楽がやわらかくなるのに、と思ってしまう。
152 氷嶋
萩原朔太郎の「氷島」を意識して書かれた詩なのだろうか。
いつまでもひとり戸外に立つて
あの裏切り者が吹くすすりなくような口笛を信じるな
「すすりなく口笛」は朔太郎の音楽を感じさせる。それを「信じるな」と嵯峨は書く。朔太郎とは違う音楽の詩を嵯峨は目指している、ということの表明だろうか。あるいは、その音楽に惑わされずに、音楽の底にあるものを掴み取れというのか。
彼の内部をひた走る針鼠をみつめよ
この三行目は、音楽よりも苦悩をみつめるべきだという主張に聞こえる。
すべて屍の眼は断罪のきびしさに見開いたままだ
一つの星に飾られた氷嶋
その永劫の墓場へむかつて一列の漂体はどこまでもながれてゆく
この終わりの三行は、嵯峨の音楽が、たしかに朔太郎とは異なっていることを教えてくれる。嵯峨の場合、漢語(漢字熟語)が肉体から分離している。精神は肉体の不透明さを拒絶している。精神で肉体をととのえるという感じがする。
「屍の眼は断罪のきびしさに見開いたままだ」ということばは、嵯峨が「音楽」さえも「眼」で見ようとしていると感じさせる。「眼」で聞くという感じがしない。見ることをやめれば、もっと音楽がやわらかくなるのに、と思ってしまう。