父が死んだ年齢に近づいてきたせいか、しきりに死について考えるようになった。私は父の死に目(臨終)には立ち会っていないのだが、葬式のあと、いや焼骨のあと自宅に帰ったとき、姉が「父が自宅の前の道から碁石が峰を見ていた」とぽつりと漏らした。それは死ぬ直前のことではなく、たぶん手術後、いったん退院したときのことなのだろうが、まるで碁石が峰を見ながら死んでいったという具合に聞こえた。私はすぐに父がいただろう道に出てみた。道の向こうに田んぼが広がり、その向こうに山が見える。いつも見える山である。見慣れた山である。しかし、驚いた。それは変わらぬ山であったが、何かが違う。違うものが見える。山を見ていた父の姿が消え、父が隠していたものが見える、と感じたのである。父の肉体の形が透明になり、その透明ななかに碁石が峰が見えた。それは碁石が峰というよりも、「透明」としか呼びようのない光のようでもあった。何かはっきりとはわからないが、そういうことが起きる。
いま、それを「死から始まる世界」と感じている。
これは、唐突な考えだが、すべては「死後」から始まるのである。
私はいま和辻哲郎を読み返しているが、読み返しながら、和辻が考えたことはなんだったのかは、和辻が死んで、もう和辻が何か新しいことばを書かなくなったからこそ、私にとって問題なのだ。和辻が生きていれば、和辻が考える。しかし、和辻のことばはすでに本のなかで完結している。その終わったところから、私は考える。そのとき、和辻の「隠していたもの」が見える。私が、私自身で見なければならないものが、その「透明」が見えると感じる。
これは、私が和辻を超えるという意味ではない。
何も理解できずにただ和辻のことばのなかをさまよい歩くだけなのだろうけれど、そのとき見るのは、私にとっては、やはり「和辻のことばが隠していた世界」なのである。私が見なければならない「透明」なのである。
どこに書いてあったのか忘れたが(いま読んでいる第七巻を読み返してみたが、傍線を引いた部分に出てこない)、和辻のことばのなかに、「死は、直観的な何か(たとえば魂)が存在することを求める」ということばがある。このときの「死は」というのは主語ではない。主語は書かれていないが「生(いのち=肉体)」である。その「肉体」が本質=思惟の純粋直観がとらえるものを求める。純粋直観が何かを探しに行くのである。
死んでも動くものはある。しかし、それは「死」のなかにあるのではなく、また「死」から分離してあるのではなく、ただ「死んでも動くものはある」ということばのなかにこそある。そういうことを超越的に直観する、と書いて……。
私は、これを「直観は超越的である」と書き直したくなる。書きながら、そう書くべきだったと思いなおす。
このとき、なぜか私は道元を思い出している。道元は、たとえば「超越的に直観する」という文章に向き合ったとき、ことばの順序を入れ換えて「直観は超越的である」という風に書き換えていないか。「直観即超越」「超越即直観」。ことばは、いれかわることでさらに強く結びつく。区別がなくなる。融合する。「即」は「透明」かもしれない。
「父は碁石が峰を見ていた」を私自身の肉体で反復し直したとき、「死」を破壊して、何かが瞬間的に見えた。それが、私の父が私に残してくれたものである。
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