「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)
田原という詩人の名前も初めて出会う。初めて出会う詩人のことばは新鮮だ。
この最初の1行に私は驚いてしまう。傘を差していたなら、思わず傘を放してしまうだろう。
「垂直に落下する梅の香り」。私は梅の香りが垂直に落下するとは思ってみなかった。香りそのものが落下するものとは感じたことがない。
私は急いで梅の記憶を歩き回る。梅は庭のすみにあった。親類の家には梅の畑があった。梅干しをつくるためのものだ。自給自足のための梅だ。私は青梅が好きだった。産毛が雨をはじき返している。その苦い実が好きだった。その香りは垂直に降ってなどこない。私の印象では水平に広がっていく。だからその香りを嗅ぐためには、固い枝をむりやり引き下ろすか、実を引きちぎるしかない。
雨は垂直に降る。香りも垂直に振れば、雨には濡れない。これは論理的なことではある。しかし、そうした「論理」とは違った何かが私を驚かす。
どの行にも驚いてしまう。日本語なのに、ひとつひとつのことばは全部理解できるのに、そこで展開する世界は、私が一度も見たことがないものだ。現実に、という意味だけではなく、どんな文学作品のなかでも出会ったことがない。
「シルク・ロード」「地平線」という大陸を超え、宇宙に飛んだ視線は、突然キノコに戻ってくる。
この言語の宇宙は、どんな場所で育まれてきたのか。どこからこんな自由を獲得してきたのか。
北川の自由とも林の自由とも違う。
私のまったく知らない自由がある。
こうした作品に突然出会うので詩を読むのがやめられなくなる。
田原という詩人の名前も初めて出会う。初めて出会う詩人のことばは新鮮だ。
垂直に落下する梅の香りは梅雨に濡れない
この最初の1行に私は驚いてしまう。傘を差していたなら、思わず傘を放してしまうだろう。
「垂直に落下する梅の香り」。私は梅の香りが垂直に落下するとは思ってみなかった。香りそのものが落下するものとは感じたことがない。
私は急いで梅の記憶を歩き回る。梅は庭のすみにあった。親類の家には梅の畑があった。梅干しをつくるためのものだ。自給自足のための梅だ。私は青梅が好きだった。産毛が雨をはじき返している。その苦い実が好きだった。その香りは垂直に降ってなどこない。私の印象では水平に広がっていく。だからその香りを嗅ぐためには、固い枝をむりやり引き下ろすか、実を引きちぎるしかない。
雨は垂直に降る。香りも垂直に振れば、雨には濡れない。これは論理的なことではある。しかし、そうした「論理」とは違った何かが私を驚かす。
風にたわむ傘の上で口ごもる雨の滴りは
シルク・ロードを旅したがっている
濡れたのは足元から消えた地平線だけ
どの行にも驚いてしまう。日本語なのに、ひとつひとつのことばは全部理解できるのに、そこで展開する世界は、私が一度も見たことがないものだ。現実に、という意味だけではなく、どんな文学作品のなかでも出会ったことがない。
山は風のこだまを隠して
スポンジのように雨水を貪婪(どんらん)に吸い込む
木の葉は思いきり雨粒を浴びながら緑を深めていく
空の奥にくすぶっている太陽はみずからの裸を待ちあぐむ
かびが密かに月の裏側にはびこっていくうちに
朽木はキノコの形を構想している
「シルク・ロード」「地平線」という大陸を超え、宇宙に飛んだ視線は、突然キノコに戻ってくる。
この言語の宇宙は、どんな場所で育まれてきたのか。どこからこんな自由を獲得してきたのか。
北川の自由とも林の自由とも違う。
私のまったく知らない自由がある。
こうした作品に突然出会うので詩を読むのがやめられなくなる。