伊藤比呂美「チャパラル」(「現代詩手帖」2018年12月号)
伊藤比呂美「チャパラル」(初出『たそがれてゆく子さん』、8月)。
と始まる。つづきを読むと「竜舌蘭」の類の草木のように思えるが、よくわからない。「翻訳できない」という行を含んで、チャパラルの野(山)を歩く。
そのあと、最終連。
「見た」「聞いた」が繰り返される。知覚動詞をとりはらうと「神話」になる。でも、伊藤は、これを「神話」にしない。あくまで伊藤個人の体験に閉じ込める。
繰り返される「見た」「聞いた」は、一連目に出てきた「知った」と、どう違うのだろうか。私は違わないと思う。伊藤にとって「見る」「聞く」は「知る」ことである。「知る」というのは、最終連のことばを借りて言えば「出会う」である。だから「別れる」はきっと「記憶する」である。「忘れない」である。
で、この「知る」「記憶する」「忘れない」を、私は「見た」「聞いた」というこことばがつかわれていない部分に補って読む。
それはうさぎの尻尾だと「知った」。そのうさぎの尻尾を「記憶する」。そのうさぎの尻尾を「忘れない」。
ここから最初の連に戻る。
は、
この土地に二十数年住み果てて
チャパラルということばを「記憶した/忘れない」
そう読み直すと、そうか、伊藤は「この土地」をいずれ離れるという意識をこめて書いているのだな、と「誤読」できる。すでに「離れた」のかもしれない。でも、けっして「忘れない」。そのために書く。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」10・11月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074787
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
伊藤比呂美「チャパラル」(初出『たそがれてゆく子さん』、8月)。
この土地に二十数年住み果てて
チャパラルということばを知った
と始まる。つづきを読むと「竜舌蘭」の類の草木のように思えるが、よくわからない。「翻訳できない」という行を含んで、チャパラルの野(山)を歩く。
そのあと、最終連。
どんぐりが生るのを見た
コヨーテの呼ぶのを聞いた
コヨーテの食べ残しを見た
それはうさぎの尻尾だった
月がのぼるのを見た
日がしずむのを見た
日がのぼるのを見た
雨が降るのを見た
雷が鳴るのを聞いた
人と出会って、人と別れた
花が咲くのを見た
咲いた花が枯れるのを見た
枯れ果てたのを見た
「見た」「聞いた」が繰り返される。知覚動詞をとりはらうと「神話」になる。でも、伊藤は、これを「神話」にしない。あくまで伊藤個人の体験に閉じ込める。
繰り返される「見た」「聞いた」は、一連目に出てきた「知った」と、どう違うのだろうか。私は違わないと思う。伊藤にとって「見る」「聞く」は「知る」ことである。「知る」というのは、最終連のことばを借りて言えば「出会う」である。だから「別れる」はきっと「記憶する」である。「忘れない」である。
で、この「知る」「記憶する」「忘れない」を、私は「見た」「聞いた」というこことばがつかわれていない部分に補って読む。
それはうさぎの尻尾だった
それはうさぎの尻尾だと「知った」。そのうさぎの尻尾を「記憶する」。そのうさぎの尻尾を「忘れない」。
ここから最初の連に戻る。
この土地に二十数年住み果てて
チャパラルということばを知った
は、
この土地に二十数年住み果てて
チャパラルということばを「記憶した/忘れない」
そう読み直すと、そうか、伊藤は「この土地」をいずれ離れるという意識をこめて書いているのだな、と「誤読」できる。すでに「離れた」のかもしれない。でも、けっして「忘れない」。そのために書く。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして2500円(送料、別途注文部数によって変更になります)の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」10・11月の詩の批評を一冊にまとめました。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074787
オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
たそがれてゆく子さん (単行本) | |
クリエーター情報なし | |
中央公論新社 |