詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

佐々木幹郎「ここだけの話」

2018-12-16 12:36:57 | 2018年代表詩選を読む
佐々木幹郎「ここだけの話」(「現代詩手帖」2018年12月号)

 佐々木幹郎「ここだけの話」(初出「みらいらん」2号、7月)にもわからないことがある。

この声は不思議だ
おふ おふ おふ と
曇天を糸のように連なって通りすぎていく
泣きガラスからの 伝言があり
姿もないのに 黒い電線の垂れ下がる 空の一角

 「この声」の持ち主が書かれていない。「曇天を糸のように連なって通りすぎていく」から想像すると、鳥の声のようである。「天」を通っていくのだから。さらに「泣きガラス」が伝言をつたえようとしているのだから。
 福間の詩のつづきで言うと、「固有名詞」がわからない。鳥の名前(鳥だと仮定して)がわからない。だが、その「声」は抽象ではない。つまり、意味ではない。「肉体」があるというか、「存在感」がある。「おふ おふ おふ」は佐々木のとらえた「声」であり、他の人がことばにすれば違ったものになるかもしれない。「カーカー」「ぽっぽっぽ」「ちゅんちゅん」という具合に「定型」になっているとは思えない。

この声は不思議だ
いくたびもわたしの小さな部屋を訪れる
朝の光の 言葉がずれていくときの 生きものの息づかい
おふ おふ おふ
わたしは 手にとられる「わたし」だから

 「わたしの小さな部屋を訪れる」と佐々木は書くが、私は「わたしの肉体を訪れる」と「誤読」する。佐々木の肉体が声を聞く。声は耳から入ってきて、佐々木の肉体を動かす。「おふ おふ おふふ」という声といっしょに「息」になる。「息づかい」になる。その「声」が息を整えるのだ。
 「言葉がずれていく」というのは、複雑な表現だが、そこに「朝」が関係してくると、そうかもしれないなあ、と感じる。夜の、夢のことば。朝の、現実のことば(目覚めのことば)。そこには「ずれ」があるかもしれない。というよりも、私たちは、ことばを微妙にずらして(ずれをつくりだして)、夜と昼を分けていないだろうか。夢と現実をわけていないだろうか。
 「おふ おふ おふ」は、夢と現実、夜と日中(朝)をわたっていくときの、佐々木の「息づかい」になる。佐々木は見えない鳥と一体化して動いていく。
 「わたしは 手にとられる「わたし」だから」は、よくわからない一行。「声」に導かれ、同時に「声」になって、「夜(夢)のわたし」から「日中(現実)のわたし」へと手を取られ(手を引かれ)、あるいは逆に手を取って(手を引いて)、動いていくときの姿かもしれないと想像する。手を取るわたし、手を取られるわたし。どちらが「主語」(主役)か、わからない。佐々木が鳥の声を聞いているのか、鳥は佐々木に聞かれた声を聞いているのか、鳥は佐々木に聞かれた声を知っているのか、(おふ おふ おふと鳴いたことはないと異議を唱えることはないのか)、その声はほんとうに「おふ おふ おふ」なのか、佐々木の「肉体」を通るから「おふ おふ おふ」という声になるのか、わからない。
 わからないけれど、そのわからなさのなかに、私は「佐々木」を感じる。あ、ここに佐々木がいるなと感じる。姿を隠すのではなく、姿をあらわそうともがいている感じがする。福間が「政治家、役人」という一般名詞のなかに姿を隠してしまうのとはまったく逆の動きを感じる。

太陽の舌にちろりと舐められるまで 眠っていよう
籠のなかの りんごみたいに
禿げ頭になっても 頑固に
皺だらけになって縮んでも 断固
リサイクルされない
おふ おふ おふ

 「禿げ頭になっても 頑固に/皺だらけになって縮んでも 断固」は「りんご」の比喩なのかもしれないが、佐々木の自画像にもみえる。老人になっても「リサイクル」されるなんて、まっぴらごめん。わたしは鳥になって飛んでゆきます。「おふ おふ おふ」と笑っているようにも感じる。

 私の感想は「誤読」だが、「誤読」できることが、私はうれしい。
 「正解」なんか、気にしない。ことばは人の気持ちを知るというよりも、自分の中にどんな気持ちがあるかを見つけだすためにある、と私は考えている。




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