三上智恵、大矢英代監督「沖縄スパイ戦史」(★★★★)
監督 三上智恵、大矢英代
第二次大戦末期の「沖縄戦」を描いたドキュメンタリー。少年ゲリラ兵、マラリア地獄、スパイ虐殺と三部で構成されている。背後に「陸軍中野学校」がある。「陸軍中野学校」の兵士が沖縄に潜入し、沖縄での戦争をより悲惨な結果へと導いた。
映画の最後に、戦争は国民を守らない、戦争が守るのは兵士(軍隊)と権力者だけであるというようなことが語られる。その視点で貫かれた作品である。
見ながら思ったことは、そういう沖縄戦をとおして見えてくる、「いま、起きていること」である。
佐川事件(森友学園事件)を、私は思い出しながら見ていた。
安倍が、安倍や昭恵が森友学園の土地売買に関与していたら、首相も国会議員も辞めると見得を切った。そのために佐川が資料の改竄をした。部下に改竄をさせた。その結果、近畿財務局の職員が自殺した。
これは「佐川学校」が引き起こした「財務省戦争」である。自殺した職員は、「少年ゲリラ兵」である。「少年ゲリラ兵」に採用されたのは、優秀な生徒たちである。単に体力的にすぐれているというよりも、頭脳的にもすぐれていた。それこそ成長していれば「陸軍中野学校」で士官になる教育を受けた(受けることができた)だろう少年たちである。彼らは、とても優れているが、少年だから(経験が不足しているから)、全体の状況までは見渡せない。全体の活動を組織できるわけではない。命じられるままに、命じられたことをする。「お前はひとりで陣地に帰れ」と山の中で突然言われて、必死になって逃げ延びるというようなこともさせられる。自殺した職員も優秀な能力をもった人間、選ばれた人間である。ふつうのひとは財務省の職員にはなれない。その彼は、「お前ひとりでやれ」と言われ、そうするしかなかったのだろう。「国民のために」働くのではなく、「ひとりの独裁者のために」働かされた。その「働き」が国民のために、どう役立つのか、はっきり知らされることもないままに、仕事を強いられた。職員は「少年」ではない。分別がある。だからこそ、「これは自分の仕事ではない」と苦悩して、自殺してしまった。
もし「陸軍中野学校の士官」が沖縄で「少年ゲリラ」を組織しなかったら、少年の多くは死なずに済んだだろう。同じように、もし佐川が資料の改竄を計画し、それを実行しなかったとしたら、近畿財務局の職員は自殺せずにすんだだろう。職員を自殺に追い込んだのは、安倍であり、佐川なのである。もちろん、それを明確に証明する「証拠」はない。だから安倍は開きおなっているのだが。
「マラリア地獄」からは、長期間拘留された籠池夫婦のことを思い出した。なぜ、逃亡する恐れもない人間、証拠を隠滅する恐れのない人間を長期にわたって拘留したのか。拘留している間に、籠池夫婦の生活の場で何がおこなわれたのか。だれも知らない。「マラリア地獄」ではマラリアの危険がある島に島民を閉じこめている間に、飼っていた牛などの家畜を全部軍部が取り上げている。食糧にしている。島民に食べさせるのではなく、軍が生き残るために、住民のものを奪っている。籠池夫婦を拘留している間、捜査当局は何をしたのか。籠池夫婦を守るための「資料」を、安倍を守るために奪ったということはないのか。その「資料」があれば籠池夫婦が生き延びることができるはずなのに、それを奪い、安倍を守るためにつかった(牛を食べるように、「資料」を消してしまった)ということはないのか。
権力者(軍隊)は、彼ら自身を守るためには何でもする。国民は、彼らを守るための「道具」に過ぎないと判断している。
「スパイ虐殺」からは、加計学園事件(前川事件)を連想した。
最近、文科省の官僚が次々に辞任に追い込まれた。もちろん「接待汚職」という「事実」があってのことなのだが、私はほかのことも「妄想」する。なぜ、文科省ばかり? ほかの官僚は「接待」を受けていない?
文科省には前川前次官によって教育を受けた職員がいるはずだ。前川のように、政権の「腐敗」を指摘する人間がまた出てくるかもしれない。そういう職員は、安倍から見れば「スパイ」だろう。敵側に通じている人間に見えるだろう。処分してしまえ、ということだ。辞任することになった官僚が実際に「スパイ(政権を裏切る)」かどうかは問題ではない。政権は、職員の細部の行動を把握している、いつでも「処分」できるぞ、ということを見せつければ、それでいい。政権に逆らえば、「証拠」をでっちあげて追い込むこともできる。すでに私たちは、前川が「風俗店通い」というレッテルで誹謗・中傷されたことを見ている。
権力は権力を守るためになら何でもする。そして、そのために平気で他人を利用する。また、それに協力する人(組織)も出てくる。いったん「スパイ虐殺」の動きがはじまれば、「スパイ」は捏造され、処分される。
ここから、これから起きることも予想できる。
安倍は憲法改正をもくろんでいる。独裁者になって、戦争を引き起し、軍隊を指揮する、国民を支配するという野望を持っている。
その安倍を批判する活動をすると、どうなるだろうか。「言論の自由(思想の自由)」は憲法で保障されている。だから安倍批判をしたからといって、「スパイ虐殺」のようになことは起きない。弾圧はされない、と思うかもしれない。しかし、安倍批判そのものではなく、ほかのことを取り上げて、個人を批判し、抹殺するということがあるのではないか。前川を「風俗店通いをしている不道徳な人間」とレッテルを貼ったように。それこそ、「風俗店に出入りしているのを見た」「妻以外の女(夫以外の男)とホテルに入るのを見た」(山尾事件、だ)ということで「人格攻撃」をする。「人格的に問題がある」、だから安倍の改憲論を批判する資格はない、という具合だ。「秘密」を公開されたくなかったら、安倍批判を辞めろ、という間接的な弾圧だ。
いま書いたように、こういうことはすでに起きている。もう起きていることは、これからさらに起きるのだ。前川とか、山尾とか、ふつうの市民ではない人間だけを対象として起きるのではなく、ただ街頭でビラ配りをした、デモに参加した、安倍批判の映画を見に行ったという市民を対象にしても起きるだろう。
そして、そういうことが起きると、「密告」が起きる。自分を守るために、他人を「密告」する。「密告」することが、「権力側である」という証拠になり、保身につながるからである。
安倍のもとで、こういうことははじまっている。
逆の「証拠」で、それを「証明」できる。女性をレイプした安倍の「知人」は、逮捕 されなかった。「セクハラ罪はない」と麻生は言った。「LGBTのひとは生産性がない」と言った杉田は擁護された。安倍の「知人/友人」なら、どんなことをしても守ってもらえる。しかし、そうでなければ徹底的に批判される。
こういう「戦い」は見えにくいが、日本はすでに「内戦状態」であり、安倍は独裁者として平然と生きている。
あ、沖縄のことを書き忘れた。
沖縄に米軍基地があるかぎり、沖縄は攻撃対象になる。「沖縄戦」は再び起きる。そのとき、沖縄県民を「自衛隊」は守らない。米軍は、もっと守らない。沖縄県民の反対を押し切って、辺野古基地の建設が進んでいる。そのために全国から機動隊までもが動員されている。権力、軍隊は、国民を犠牲にしても何もと思わない、ということが現実として証明されている。私たちは、いま、その現実の真っ只中にいる。
「沖縄戦」は、はじまっている。
(2018年09月24日、KBCシネマ1)
*
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監督 三上智恵、大矢英代
第二次大戦末期の「沖縄戦」を描いたドキュメンタリー。少年ゲリラ兵、マラリア地獄、スパイ虐殺と三部で構成されている。背後に「陸軍中野学校」がある。「陸軍中野学校」の兵士が沖縄に潜入し、沖縄での戦争をより悲惨な結果へと導いた。
映画の最後に、戦争は国民を守らない、戦争が守るのは兵士(軍隊)と権力者だけであるというようなことが語られる。その視点で貫かれた作品である。
見ながら思ったことは、そういう沖縄戦をとおして見えてくる、「いま、起きていること」である。
佐川事件(森友学園事件)を、私は思い出しながら見ていた。
安倍が、安倍や昭恵が森友学園の土地売買に関与していたら、首相も国会議員も辞めると見得を切った。そのために佐川が資料の改竄をした。部下に改竄をさせた。その結果、近畿財務局の職員が自殺した。
これは「佐川学校」が引き起こした「財務省戦争」である。自殺した職員は、「少年ゲリラ兵」である。「少年ゲリラ兵」に採用されたのは、優秀な生徒たちである。単に体力的にすぐれているというよりも、頭脳的にもすぐれていた。それこそ成長していれば「陸軍中野学校」で士官になる教育を受けた(受けることができた)だろう少年たちである。彼らは、とても優れているが、少年だから(経験が不足しているから)、全体の状況までは見渡せない。全体の活動を組織できるわけではない。命じられるままに、命じられたことをする。「お前はひとりで陣地に帰れ」と山の中で突然言われて、必死になって逃げ延びるというようなこともさせられる。自殺した職員も優秀な能力をもった人間、選ばれた人間である。ふつうのひとは財務省の職員にはなれない。その彼は、「お前ひとりでやれ」と言われ、そうするしかなかったのだろう。「国民のために」働くのではなく、「ひとりの独裁者のために」働かされた。その「働き」が国民のために、どう役立つのか、はっきり知らされることもないままに、仕事を強いられた。職員は「少年」ではない。分別がある。だからこそ、「これは自分の仕事ではない」と苦悩して、自殺してしまった。
もし「陸軍中野学校の士官」が沖縄で「少年ゲリラ」を組織しなかったら、少年の多くは死なずに済んだだろう。同じように、もし佐川が資料の改竄を計画し、それを実行しなかったとしたら、近畿財務局の職員は自殺せずにすんだだろう。職員を自殺に追い込んだのは、安倍であり、佐川なのである。もちろん、それを明確に証明する「証拠」はない。だから安倍は開きおなっているのだが。
「マラリア地獄」からは、長期間拘留された籠池夫婦のことを思い出した。なぜ、逃亡する恐れもない人間、証拠を隠滅する恐れのない人間を長期にわたって拘留したのか。拘留している間に、籠池夫婦の生活の場で何がおこなわれたのか。だれも知らない。「マラリア地獄」ではマラリアの危険がある島に島民を閉じこめている間に、飼っていた牛などの家畜を全部軍部が取り上げている。食糧にしている。島民に食べさせるのではなく、軍が生き残るために、住民のものを奪っている。籠池夫婦を拘留している間、捜査当局は何をしたのか。籠池夫婦を守るための「資料」を、安倍を守るために奪ったということはないのか。その「資料」があれば籠池夫婦が生き延びることができるはずなのに、それを奪い、安倍を守るためにつかった(牛を食べるように、「資料」を消してしまった)ということはないのか。
権力者(軍隊)は、彼ら自身を守るためには何でもする。国民は、彼らを守るための「道具」に過ぎないと判断している。
「スパイ虐殺」からは、加計学園事件(前川事件)を連想した。
最近、文科省の官僚が次々に辞任に追い込まれた。もちろん「接待汚職」という「事実」があってのことなのだが、私はほかのことも「妄想」する。なぜ、文科省ばかり? ほかの官僚は「接待」を受けていない?
文科省には前川前次官によって教育を受けた職員がいるはずだ。前川のように、政権の「腐敗」を指摘する人間がまた出てくるかもしれない。そういう職員は、安倍から見れば「スパイ」だろう。敵側に通じている人間に見えるだろう。処分してしまえ、ということだ。辞任することになった官僚が実際に「スパイ(政権を裏切る)」かどうかは問題ではない。政権は、職員の細部の行動を把握している、いつでも「処分」できるぞ、ということを見せつければ、それでいい。政権に逆らえば、「証拠」をでっちあげて追い込むこともできる。すでに私たちは、前川が「風俗店通い」というレッテルで誹謗・中傷されたことを見ている。
権力は権力を守るためになら何でもする。そして、そのために平気で他人を利用する。また、それに協力する人(組織)も出てくる。いったん「スパイ虐殺」の動きがはじまれば、「スパイ」は捏造され、処分される。
ここから、これから起きることも予想できる。
安倍は憲法改正をもくろんでいる。独裁者になって、戦争を引き起し、軍隊を指揮する、国民を支配するという野望を持っている。
その安倍を批判する活動をすると、どうなるだろうか。「言論の自由(思想の自由)」は憲法で保障されている。だから安倍批判をしたからといって、「スパイ虐殺」のようになことは起きない。弾圧はされない、と思うかもしれない。しかし、安倍批判そのものではなく、ほかのことを取り上げて、個人を批判し、抹殺するということがあるのではないか。前川を「風俗店通いをしている不道徳な人間」とレッテルを貼ったように。それこそ、「風俗店に出入りしているのを見た」「妻以外の女(夫以外の男)とホテルに入るのを見た」(山尾事件、だ)ということで「人格攻撃」をする。「人格的に問題がある」、だから安倍の改憲論を批判する資格はない、という具合だ。「秘密」を公開されたくなかったら、安倍批判を辞めろ、という間接的な弾圧だ。
いま書いたように、こういうことはすでに起きている。もう起きていることは、これからさらに起きるのだ。前川とか、山尾とか、ふつうの市民ではない人間だけを対象として起きるのではなく、ただ街頭でビラ配りをした、デモに参加した、安倍批判の映画を見に行ったという市民を対象にしても起きるだろう。
そして、そういうことが起きると、「密告」が起きる。自分を守るために、他人を「密告」する。「密告」することが、「権力側である」という証拠になり、保身につながるからである。
安倍のもとで、こういうことははじまっている。
逆の「証拠」で、それを「証明」できる。女性をレイプした安倍の「知人」は、逮捕 されなかった。「セクハラ罪はない」と麻生は言った。「LGBTのひとは生産性がない」と言った杉田は擁護された。安倍の「知人/友人」なら、どんなことをしても守ってもらえる。しかし、そうでなければ徹底的に批判される。
こういう「戦い」は見えにくいが、日本はすでに「内戦状態」であり、安倍は独裁者として平然と生きている。
あ、沖縄のことを書き忘れた。
沖縄に米軍基地があるかぎり、沖縄は攻撃対象になる。「沖縄戦」は再び起きる。そのとき、沖縄県民を「自衛隊」は守らない。米軍は、もっと守らない。沖縄県民の反対を押し切って、辺野古基地の建設が進んでいる。そのために全国から機動隊までもが動員されている。権力、軍隊は、国民を犠牲にしても何もと思わない、ということが現実として証明されている。私たちは、いま、その現実の真っ只中にいる。
「沖縄戦」は、はじまっている。
(2018年09月24日、KBCシネマ1)
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「映画館に行こう」にご参加下さい。
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