詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

橋本篤『あした天気になあれ』

2024-06-16 14:07:39 | 詩集

橋本篤『あした天気になあれ』(編集工房ノア、2024年06月12日発行)

 橋本篤『あした天気になあれ』の表題になっている作品は、「セツさんの呼吸がときどき止まるようになった」と、はじまる。危険な状態である。点滴を増やすのではなく、減らす。そうすると「呼吸は楽になり 気分は穏やかになるのだ」という。そうした治療経過の後、詩は、こんなふうに終わる。

セツさんの部屋の隅に 分厚い一枚板の机がある
そこで書にむかっているセツさんをよく見かけた
かつては書道の先生で 弟子もとっていたという

そんな いつもの机の上に
誰が置いたのだろう ハラリと一枚の書
しっかりと 明るく のびやかに

  あした天気になあれ

 おだやかで明るい詩だ。セツさんが死んでしまったのか、まだ生きているのか、それは書かれていないが、死んだとしても、その死が明るく未来へ広がっている感じがいい。
 「一枚板の机」と「一枚の書」が響きあって、「一枚の書」なのに、がっしりした、どこにもいかない揺るぎなさがある。そこに書かれていることばが、「一枚板の机」のように、セツさんを支え続けたのだと教えてくれる。
 「化粧療法」は、認知症のケアのひとつとして取り入れられている。「化粧が始まると 表情はキリリと引き締まる」。最初は、明るい笑顔だが、

次第に笑みは消えていき
療法などという優しい雰囲気から
何やら別なものに変わっていく
のぞき込む鏡の中は 過去なのか未来なのか
それとも 見たことのない異次元の世界なのか
殺気漂う真剣勝負の世界が広がり始める

 これは「あした天気になあれ」の対極の世界である。橋本のことばは、そうした世界があることを示唆しただけで、それから先へ進まない。ここには、橋本の医師志としての「抑制」が働いているのだが、詩は治療ではなく「文学」なのだから、「殺気漂う真剣勝負の世界が広がり始める」と抽象的に世界を閉ざしてしまうのではなく、具体的に「異次元の世界」を押し広げてもらいたいと思う。
 その方が、より深い共感を呼び起こすと思う。
 なぜ、「より深い共感」になるか。それは、もしかすると、その世界が認知症のひとの世界ではなく、私たちそのものの世界でもあるからだ。「認知症の人の世界」とくくってしまうと、そこには「客観性」が優先して、「主観的な共感」が一歩引き下がってしまう。
 「あした天気になあれ」には、その書に込めた願い(文字を書くことで自分の生を整え続けたセツさんの願い)が、「主観的共感」として具体的な形になっている。ほかの書、乱れた文字、乱れたことばの書もあったかもしれない。けれども、誰か(それは橋本かもしれない)は「あした天気になあれ」を選ぶことで、セツさんといっしょに生きている。その「いっしょに生きている感じ」が「化粧療法」にもあればいいと思う。
 そして、それは、もしかしたら「共感」ではなく、「反感」や「恐怖」かもしれない。そのことを、最終連で、橋本はこう書いている。

そろそろ人生店じまい などとつぶやいて
気弱なロマンチストの男たちに比べて
おばあさまパワーは 世の雑音をものともせず
明日に向かって ますます燃えさかる

 これが「共感」にかわるためには(かえるためには)、どうしたって、「 殺気漂う真剣勝負の世界」の具体的な描写が必要なのである。起承転結の「転」は激烈であってほしい。
 
 「ホタル草」は、橋本の母のことを書いている。ひとり暮らしだったが、いまは高齢者施設にいる。住んでいた家は空き家になっている。

野草が大好きだった母 庭は花で溢れていた
多くの花たちは 趣味の水彩画に残っている

私はせめてもの親孝行にと
ホタル草だけは鉢に移して 施設のベランダまで運んだ
この はかなげな天使は 母のお気に入りの一つで
春から秋にかけて 空色のフリルを風になびかせながら
二つ三つと 咲きつづける

それから 半年はたっただろうか
母は昼間からも 寝入るようになり
ベランダのホタル草を 振り向くこともなくなった
私はこの花を 自分のマンションに引きとった

夜になると 母は 施設の一人部屋で
昼間にもまして深々と眠る
持ち帰った鉢植えが気になって、夜中
懐中電灯で照らしてみたことがある
ホタル草も深々と寝入っていた

 母とホタル草が静かに重なり、その重なりのなかで、橋本のこころが落ち着いているのがつたわってくる。とてもいい詩である。
 どんなふうにいい詩かというと。
 私はホタル草が、母の描いた水彩画のなかで「深々と寝入っている」のを思い浮かべたのだ。深々と眠っている母が、その夢のなかで、大好きなホタル草が、二つ三つ、眠っていくのを描いていると想像したのだ。
 そんなことは、もちろん書いていない。書いていないけれど、その書いていないことを、思わず想像させてしまうのが、いい詩なのである。そうした想像を支えることばが、詩のどこかに静かに存在している、世界を支えているというのが、いい詩なのである。

 


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