谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(40)(創元社、2018年02月10日発行)
「モーツァルト、モーツァルト」。高橋悠治の演奏を聞いたときのことを書いている。私は次の三行がとても好きだ。
音楽が乱れる。不完全になる。それを谷川は「物音」になると書いているのだが、私はここに「音楽」があると思う。ふいにあらわれた、そのときだけの「音楽」。あ、これを聴きたい、と突然思った。
そして思い出したことがある。何年か前、ニューヨークへ行った。ヴィレッジバンガードだったと思うが、ジャズを聴きにいった。目当ての演奏家が出演しているからではなく、ニューヨークへ来たからジャズクラブへ行ってみたかったというだけのことである。誰が演奏したのか、何と言う曲だったかも忘れた。しかし、忘れられない体験をした。演奏の途中に「ゴーッ」と音がする。地下鉄の走る音だ。これを聞いた瞬間、「あ、これがジャズなのだ(音楽なのだ)」と実感した。生活が、そのまわりにそのまま、ある。暮らしが共存している。暮らしといっしょに「音楽」が響いている。
これはCDや、音響が完全なホールでは味わうことのできない「楽しさ」である。
谷川が書いているのは、私の体験した「暮らし」とは違うものだが、「完全な音楽(理想の音楽)」が乱れる瞬間の「物音」。そこに「音楽」では表現できない何かがある。谷川が書きたいことは、そういうことではないかもしれないが、私は、聴いてもいない高橋のピアノのその瞬間の「乱れ」を思い、「音楽」を感じる。
谷川が書こうとしていることは何か。前後を含めて引用し直してみる。
「時間」とは「生きる時間(生きている時間/人生)」を指しているのだろう。「ぼくらがこの世から消え失せる」を言いなおしたものだろう。
「時間(限りある人生)」の反対のものは「永遠」である。「永遠」を「完璧なもの」と言いなおせば、それは「音楽」であり、「音楽を完璧なもの」というとき、「物音」は「不完全なもの」と言いなおすことができる。「時間」と「永遠」との対比に、「物音」と「音楽」の対比が重なる。私には、そう感じられる。
「永遠(完璧な存在)」のなかで、一瞬「不完全なもの(時間)」が自己主張する。「意味」のなかで、一瞬「無意味」が自己主張する。この「無意味」を、私は美しいと思う。「意味」を拒絶して、それでもそこに「存在している」。「ある」ことの、無防備な美しさを感じる。
これは「きいている」の最終連に出てきた、
の「無意味(ナンセンス)」に似ている。
美しくて、しかも「強い」。
ふうつ、あらゆるものは「意味」によって補強される。「意味」をもつことによって強くなる。重要になる、と考えられていると思う。「意味」があるから大切にされる。
けれど、そうではなくて、「意味」から解放されて、ただそこに「ある」ことがとても不思議に刺戟的な瞬間がある。いや、「頭を殴られる」という感じに似ているかな。「あ、そうか、こういうものがあるのだ」と、その存在に気づかされる。
それは、気づいた瞬間(いま)は、「意味」がない。しかし、いつかきっと「未知の意味」になると思う。「未生の意味」が「無意味」のなかに「自己主張している」と感じるのだ。
谷川はモーツァルトを「定義」して、
と書いている。「オナラやウンコ」は、やはり、ふつうは「意味」から逸脱して「ある」ものだと思う。「意味から逸脱している」けれど、それは生きていくとき全体に「不可欠」なのものだ。「生きている」証のようなものだ。「生きている時間」を「定義」している何かなのだ。
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「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「モーツァルト、モーツァルト」。高橋悠治の演奏を聞いたときのことを書いている。私は次の三行がとても好きだ。
譜めくりの女優の卵が譜をめくりそこねて
一瞬悠治は片手になって音楽はたゆたい
ぼくらの暮らしの中の物音のひとつとなり
音楽が乱れる。不完全になる。それを谷川は「物音」になると書いているのだが、私はここに「音楽」があると思う。ふいにあらわれた、そのときだけの「音楽」。あ、これを聴きたい、と突然思った。
そして思い出したことがある。何年か前、ニューヨークへ行った。ヴィレッジバンガードだったと思うが、ジャズを聴きにいった。目当ての演奏家が出演しているからではなく、ニューヨークへ来たからジャズクラブへ行ってみたかったというだけのことである。誰が演奏したのか、何と言う曲だったかも忘れた。しかし、忘れられない体験をした。演奏の途中に「ゴーッ」と音がする。地下鉄の走る音だ。これを聞いた瞬間、「あ、これがジャズなのだ(音楽なのだ)」と実感した。生活が、そのまわりにそのまま、ある。暮らしが共存している。暮らしといっしょに「音楽」が響いている。
これはCDや、音響が完全なホールでは味わうことのできない「楽しさ」である。
谷川が書いているのは、私の体験した「暮らし」とは違うものだが、「完全な音楽(理想の音楽)」が乱れる瞬間の「物音」。そこに「音楽」では表現できない何かがある。谷川が書きたいことは、そういうことではないかもしれないが、私は、聴いてもいない高橋のピアノのその瞬間の「乱れ」を思い、「音楽」を感じる。
谷川が書こうとしていることは何か。前後を含めて引用し直してみる。
疾走なんかしないでぼくらの隣で
モーツァルトは待ってくれている
いつかぼくらがこの世から消えて失せるのを
譜めくりの女優の卵が譜をめくりそこねて
一瞬悠治は片手になって音楽はたゆたい
ぼくらの暮らしの中の物音のひとつとなり
そのくせ時計には決してできないやりかたで
時間を定義した
「時間」とは「生きる時間(生きている時間/人生)」を指しているのだろう。「ぼくらがこの世から消え失せる」を言いなおしたものだろう。
「時間(限りある人生)」の反対のものは「永遠」である。「永遠」を「完璧なもの」と言いなおせば、それは「音楽」であり、「音楽を完璧なもの」というとき、「物音」は「不完全なもの」と言いなおすことができる。「時間」と「永遠」との対比に、「物音」と「音楽」の対比が重なる。私には、そう感じられる。
「永遠(完璧な存在)」のなかで、一瞬「不完全なもの(時間)」が自己主張する。「意味」のなかで、一瞬「無意味」が自己主張する。この「無意味」を、私は美しいと思う。「意味」を拒絶して、それでもそこに「存在している」。「ある」ことの、無防備な美しさを感じる。
これは「きいている」の最終連に出てきた、
ねこのひげの さきっちょで
きみのおへその おくで
の「無意味(ナンセンス)」に似ている。
美しくて、しかも「強い」。
ふうつ、あらゆるものは「意味」によって補強される。「意味」をもつことによって強くなる。重要になる、と考えられていると思う。「意味」があるから大切にされる。
けれど、そうではなくて、「意味」から解放されて、ただそこに「ある」ことがとても不思議に刺戟的な瞬間がある。いや、「頭を殴られる」という感じに似ているかな。「あ、そうか、こういうものがあるのだ」と、その存在に気づかされる。
それは、気づいた瞬間(いま)は、「意味」がない。しかし、いつかきっと「未知の意味」になると思う。「未生の意味」が「無意味」のなかに「自己主張している」と感じるのだ。
谷川はモーツァルトを「定義」して、
オナラやウンコが大好きだった男
と書いている。「オナラやウンコ」は、やはり、ふつうは「意味」から逸脱して「ある」ものだと思う。「意味から逸脱している」けれど、それは生きていくとき全体に「不可欠」なのものだ。「生きている」証のようなものだ。「生きている時間」を「定義」している何かなのだ。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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