谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(39)(創元社、2018年02月10日発行)
「音楽ふたたび」は「音楽」という詩を引き継いでいるのだろうか。
この詩でも「音楽」が具体的に何を指しているかはわからない。ピアノだけの曲なのか、ピアノを含んだ曲なのかもはっきりしない。
詩の主題は「時空を超えて」だから、「音楽」はわきに置かれたのかもしれない。具体的な「音楽」そのものではなく、抽象的な「音楽というもの」と人間(ぼく)との関係が書かれていることになる。
このとき、ここにとてもおもしろいことが起きている。
「音楽」にはいろいろな要素がある。メロディーがある。テンポ(リズム)がある。楽器があり、声がある。「音色」がある。
谷川は、この詩では、
と書いている。「音」だけにしぼっている。もちろん、この「音」は「メロディー」と読み替えることも、「テンポ」と読み替えることもできる。「音色」と読み替えることもできる。
でも、そうは言わずに「音」と言う。
これは、「音楽」をさらに抽象的に言いなおしたものか。
それとも「音楽」になる前の、一つの具体的な「音」へと帰っていくためのことばなのか。
どちらとも読めるが、私は「単独の音」と読みたい。
「音楽」はメロディー、テンポによって構成されているが、「構成された世界」になる前の「音」。「未生の音楽」の出発点としての「音」。孤独に震える音といってもいい。それが「ぼく」と「共鳴」する。メロディーでもテンポでもなく、「共鳴」が「音楽」を生み出していくのだと感じる。
が、それを強調する。もちろん「楽曲」が時空を超えてやってきてもいいのだけれど、完成された大きなものではなく、単独の小さなものが「時空を超えて」やってくる。「ぼく」に会いに来る。一個の星の光のように。
きっと、そうなのだと思う。
三連目に、こう書いてある。
一連目の「その音」は「初めての音」と言いなおされている。「初めて」なのだから、それは「一個」である。
巨大な沈黙と拮抗する「一個の音」。
それを思うと、宇宙の真ん中にほうりだされたような不安とよろこびを感じる。
「ある」ことの不思議さに、不安とよろこびを感じる。
この「生まれる」もいいなあ。
「生まれる」、そして「ある」。それが、何かに「なる」。何に「なる」のか、だれもわからない。
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「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
「音楽ふたたび」は「音楽」という詩を引き継いでいるのだろうか。
いつかどこかで
誰かがピアノを弾いた
時空を超えてその音がいまも
大気を震わせぼくの耳を愛撫する
この詩でも「音楽」が具体的に何を指しているかはわからない。ピアノだけの曲なのか、ピアノを含んだ曲なのかもはっきりしない。
詩の主題は「時空を超えて」だから、「音楽」はわきに置かれたのかもしれない。具体的な「音楽」そのものではなく、抽象的な「音楽というもの」と人間(ぼく)との関係が書かれていることになる。
このとき、ここにとてもおもしろいことが起きている。
「音楽」にはいろいろな要素がある。メロディーがある。テンポ(リズム)がある。楽器があり、声がある。「音色」がある。
谷川は、この詩では、
その音が
と書いている。「音」だけにしぼっている。もちろん、この「音」は「メロディー」と読み替えることも、「テンポ」と読み替えることもできる。「音色」と読み替えることもできる。
でも、そうは言わずに「音」と言う。
これは、「音楽」をさらに抽象的に言いなおしたものか。
それとも「音楽」になる前の、一つの具体的な「音」へと帰っていくためのことばなのか。
どちらとも読めるが、私は「単独の音」と読みたい。
「音楽」はメロディー、テンポによって構成されているが、「構成された世界」になる前の「音」。「未生の音楽」の出発点としての「音」。孤独に震える音といってもいい。それが「ぼく」と「共鳴」する。メロディーでもテンポでもなく、「共鳴」が「音楽」を生み出していくのだと感じる。
時空を超えて
が、それを強調する。もちろん「楽曲」が時空を超えてやってきてもいいのだけれど、完成された大きなものではなく、単独の小さなものが「時空を超えて」やってくる。「ぼく」に会いに来る。一個の星の光のように。
きっと、そうなのだと思う。
三連目に、こう書いてある。
初めての音はいつ生まれたのか
真空の宇宙のただ中に
なにものかからの暗号のように
ひそかに謎めいて
一連目の「その音」は「初めての音」と言いなおされている。「初めて」なのだから、それは「一個」である。
巨大な沈黙と拮抗する「一個の音」。
それを思うと、宇宙の真ん中にほうりだされたような不安とよろこびを感じる。
「ある」ことの不思議さに、不安とよろこびを感じる。
初めての音はいつ生まれたのか
この「生まれる」もいいなあ。
「生まれる」、そして「ある」。それが、何かに「なる」。何に「なる」のか、だれもわからない。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
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