詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

颯木あやこ『名づけ得ぬ馬』

2021-04-22 11:09:26 | 詩集

 

颯木あやこ『名づけ得ぬ馬』(思潮社、2021年04月09日発行)

 颯木あやこ『名づけ得ぬ馬』のことばは美しい。そして、美しいということは「わかる」というか、美しいと「感じる」のだけれど、それがなぜ美しいのかのかが、私にはよくわからない。心底、美しいなあ、という感嘆が漏れるわけではない。
 たとえば「刹那」。


砂漠に奔らせる馬群
絡まりあう文字のように

すぐさま逃げる
漆黒の脚
乱丁を残して

 ここに書かれているのは「馬群」だが、馬群ではなく、次の行に出てくる「絡まりあう文字」である。実際に存在するのは「絡まりあう文字」であり、「馬群」は比喩である。存在と比喩が逆転してる。
 「文字」をことばと読み替えるならば、これは詩の訪れ、インスピレーションが颯木を襲った瞬間(刹那)のことを書いていることになる。詩がやってきた。それをことばにしようとするが、インスピレーションは駆け抜けてしまった。「乱丁」、つまり学校文法に整えられた「文章」ではなく、何か乱れた(意味が通じない)印象だけを残して、駆け抜けてしまったということを書いているのだと思う。
 もし、私が「誤読」したように、「馬群」と「文字」が存在と比喩が逆転しているのだとしたら、この逆転という操作のなかに、颯木のことばの美しさの秘密のようなものがあると思う。そして、それは「逆転」という運動よりも、私には何か「操作」という意識の働きのようなものが強く感じられる。「運動」が直接私に迫ってくるのではなく、「操作された運動」の「操作」の方が印象に残る、ということである。そのために、美しいなと声が漏れるところまでいかない。寸前で、声が、息が止まる。
 これが、たぶん、私の「つまずき」である。「わかる」「感じる」けれど、どうも納得できないのである。美しい、けれど、納得できない。そういう思いが残る。

 しかし、「耳鳴り」で、私は「あっ」と叫んだ。


見て、
この胸をまっすぐ貫く
竜骨

三度 抱かれ
三度 溺れ
三度 沈んだが

そのたび
わたしのからだは 船へと進化
ついに 真っ白な帆が生え 金の竜骨が張り出した

 これは美しい。そして、「操作」を感じない。ことばが直接動いている。「三度 抱かれ/三度 溺れ/三度 沈んだが」というリズムはとても自然だし、勢いにのって次の連でことばが飛躍する。「三度……」は想像力を加速、暴走させる。
 さらに、次の連。


波が逆巻く あなたの心
しずけさ 横たわる あなたのからだ
ふかく冷たく青い あなたの思想


 これは「三度……」に呼応している。「心に抱かれ」「からだに溺れ」「思想に沈む」というわけではないが、ともかく「三度」なのである。「三」が自然に動いている。
 そのあと、


ああ
ときに温かな海流が わたしを抱いて放さない


 えっ。
 私の「あっ」は、ここで突然「えっ」に変わる。
 私の感じていた何かが、突然、遮られる。それは「透明」な「仕切り」である。そして、それが「透明」であることが、困るのだ。
 透明なガラス窓に小鳥がぶつかって落ちるように、私は、颯木の「透明な仕切り=操作」にぶつかって、颯木のことばについていけなくなるのである。
 颯木の書いている世界は美しい。
 でも、「ときに温かな海流が わたしを抱いて放さない」は、「透明な仕切り」越しに見る美しさであって、そこには「真っ白な帆が生え 金の竜骨が張り出した」が存在しない。美しい船が、突然「海」に変わってしまう。「船と海」の情景に変わってしまう。
 颯木のことばにあわせて「真っ白な帆が生え 金の竜骨が張り出した」船になっている私は、

熱く冷たい激流よ わたしを抱いて放すな

 と、無意識に叫んでしまっている。「わたし」は主語のまま、叫びだすだろうと思う。
 颯木の船と私の船は、そんなふうに分離してしまう。
 「わたし」を「三度」翻弄した海、「あなた」に翻弄されて船に変わった「わたし」が、「あなた」を「私を抱いて放さない」という具合に、奇妙な「客観」に落ち着くところが、どうも不思議なのである。

 詩がやってくる。詩が颯木を突き破ってあふれる。それは颯木が颯木でなくなるということ、生まれ変わるということだと思う。颯木は、そこで泣き叫び自己主張する、というのではなく、なんだか「健康で元気な赤ちゃんが生まれました」と他人になって報告しているような感じ。その「報告」をガラス窓越しに見ている感じ。
 私が颯木のことばの美しさにとまどう理由はそこだ。
 美しいを「報告」にしてしまってはいけないと思う。美しいかどうかは、読者が思えばいいことだ。「報告」ではなく、形(ことば)にならない声(赤ちゃんの産声のような自己主張)を聞きたい。

 (まだ途中までしか読んでいないので、詩集の後半にはもっと違った詩、ことばの運動があるのかもしれないが、思いついたことを書いておく。)

 

 

 

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1 コメント

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名付け得ぬ馬ーあやこ (大井川賢治)
2024-08-29 11:31:23
最後の連、/熱く冷たい激流よ、私を抱いて放すな/は、無い方がいいと感じます。(1)、(2)を通して読むと、やはり上手な詩ですね。美しいというか?透明というか?澄んでいる?というか。ほとんど無駄がないというか?
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