詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

為平澪『生きた亡者』

2020-10-28 10:29:04 | 詩集


為平澪『生きた亡者』(モノクローム・プロジェクト、2020年10月19日発行)

 為平澪『生きた亡者』を読むには体力がいる。「肉体」が弱っているときは、読むのがつらい。いちばん軽そうな(?)「台所」でも、私の「肉体」はとても苦しくなる。

そこには多くの家族がいて
大きな机の上に並べられた
温かいものを食べていた

それぞれが思うことを
なんとなく話して それとなく呑み込めば
喉元は 一晩中潤った

 「大家族」の食卓の風景として読むことができるが、家族が多いだけで、その家族につながりが感じられない。「大きな机」というのも「食卓」とは違う感じがする。「卓」と「机」がどう違うのか。見かけは同じようだが「卓」には「卓越」というようなことばがあるように、何か特別なものという感じが含まれるが「机」にはそれがない。「卓」ならば「食べるためにつくった特別なもの、食べ物を大切にするという意識が卓にこめられている」と強引に「意味づけ」できるが、「机」ではそれができない。そのために何か「殺伐」という感じを受けてしまう。
 さらに、

喉元は 一晩中潤った

 とは、どういうことだろうか。「温かいものを食べて」「喉元が」「潤う」というのはたしかにそういうことがあるだろうけれど、私の肉体は「喉元」を意識しない。食べたときは「腹」だ。
 なぜ、「喉元」なのか。
 その前の「話す」「呑み込む」が「喉」に関係している。
 こでは、だれも食べていないのだ。少なくとも「食べる」ということを楽しんでいない。「それぞれが思うこと」を「話す」。ことばが発せられる。そして、そのことばは発せられるだけではなく、ときには「声」にならずに「呑み込まれる」ときもある。そのとき自分の声を呑み込むだけではなく、他人の「肉体にいれたくないことば」も「呑み込む」のである。「喉」のなかで自分のことばと他人のことばがぶつかる。その衝撃を「呑み込む」と言ってもいい。
 こんなことが「潤い」であるはずがない。でも為平は「潤った」と書いている。しかも「一晩中」。
 ここには書かれていることば(ことばになっていることば)とは別のことばが沈んでいる。それこそ、ことばそのものに「呑み込まれている」。
 そういう「いやな感じ」が漂っている。

天井の蛍光灯が点滅を始めた頃
台所まで来られない人や
作ったご飯を食べられない人もでてきて
暗い所で食事をとる人が だんだん増えた

そうして皆 使っていた茶碗や
茶渋のついた湯飲を
机の上に置いたまま 先に壊れていった

 「来られない」「食べられない」という否定を含むことばが「暗い」で増幅され、「壊れる」ということばにたどりつく。いやだなあ。しかも「壊れていった」のは茶碗、湯飲ではなく「皆」(人間)なのだ。
 これ為平は、念入りに、こう言い直す。

カタチあるモノはいつかは壊れるというけれど
いのちある人のほうが簡単にひび割れる

 困るのは、それが「ひび割れる」ということだろう完全に「割れてしまう」のではなく、カタチはまだ残っている。遠くから見れば「ひび」はわからないかもしれない。しかし、遠くから見ればわからないからこそ問題は根深い。もしかすると「ひび」は本人にしかわからないかもしれない。そういう「傷」というものがある。

温かいものを求めて ひとり
夜の台所で湯を沸かす
電気ポットを点けると 青白い光に
埃をかぶった食器棚がうかびあがる

 「多くの家族」がいたのに、ここでは「ひとり」しかいない。しかも、この「ひとり」は台所の電気をつけずに、電気ポットにだけスイッチを入れる。そうすると、その小さなランプが台所の食器棚を照らす。埃を浮かびあがらせる。
 私は完全に気が滅入ってしまう。

夜に積もる底冷えした何かがこみあげて
沸騰した水は泡を作ってあふれかえる

 「あふれええる」のは「沸騰した水」ではないだろう。だいたい、「湯」をわざわざ「沸騰した水」と分析的(?)にいう必要もない。でも、為平にとっては「湯」ではなく「沸騰した水」なのだ。しかも、それは「泡」をつくっている。そこまで執拗に「もの」を分析しないと落ち着かない。
 この、なんといえばいいのか「湯」という変化してしまったものを拒絶し、それがあった「元の形」にこだわって言い直すということばの運動が、きっと詩の(詩集の)全体を貫いている。
 それはそれですごいことだと思うが、きょうの私の肉体は、そういう「元の姿(ひとり/他人と隔絶した個人)」にこだわることばの運動に、どうもついていけない。ぞっとしてしまう。

 私は「おばさんパレード」というタイトルで女性の詩集の感想をまとめてみたいなあと思っているが、そのとき思い描く「おばさん」というのは、簡単に言えば「意地悪おばさん(おばあさん、であってもいいなあ)」。自分の生き方に開き直って、それをさらけだす。批判できるなら、どうぞ批判して。反撃してやるからね。そういう感じ。逞しい。生きてるものが勝ちなんだから。この「勝ち」は「価値」なんだよなあ。つまり「肉体になった思想」。私は、そういう「ことば」が好き。
 為平のことばも「さらけだし」には違いないが、開き直りの「肯定感」ない。それが私にはつらい。「肯定感」のなさにひかれる人もいると思うが、私にはつらい。





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2 コメント

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為平 生きた亡者 (大井川賢治)
2024-09-03 14:02:41
再考。現代の高齢者社会における、高齢者の末期の過程を、象徴している詩とも、言えるのではないだろうか?
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為平  「生きた亡者」 (大井川賢治)
2024-09-01 23:54:55
暗いと言えば暗いですね。大勢の家族の中の孤独、群衆の中の孤独、でもよく分ります。共感できます。ある種、心地よくひたれます^^^
返信する

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