谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(28)
(小さな黄色の花)
小さな黄色の花に
小さい白い蝶がとまった
見る歓び
今日が始まる
大きな混沌に
宿る
小さな秩序
タンブラーが
指を離れ
床へ落ちていく
一瞬
時を
凍らせる
言葉という破片
*
「見る歓び」を、私は、花の歓び、蝶の歓びと読みたい。床に落ち砕けるガラス。そのとき「凍る」のも、ガラスのことば、床のことばと読みたい。ことばは詩人だけのものではない。
*
(姿なく)
姿なく
その道を行く
あのひとは誰?
時を嘲り
死を友として
未知の幻へ
人をいざない
終わりなく
問いつつ
答え
かりそめの
コーダに憩う
あのひとは
誰?
*
姿がない。でも、どうして「あのひと」が見えたのか。「その道」は実在なのか。最初に存在するのは「道」なのか「ひと」なのか。私は「ひと」と読む。「ひと」を思い浮かべたとき、そこに「道」が始まる。
*
(昨夜から)
昨夜から今朝へ
夢無く
生きた
幾万の
胎児とともに
秋桜の
蕾とともに
眠りの
無心
目覚めの
苦に
些事の
淡い
光
*
「目覚めの/苦に」の「に」は何だろうか。後に何が省略されているのか。この問は「些事」か。私は判断しない。ただ、この「に」につまずいた、と書く。その瞬間、見えたとも言えない「光」、暗い光を感じた。
*
(水平線で)
水平線で
陽炎に
揺れている
遠い誰か
そこへと
夢が
泳いで行く
頑なに
沈黙する
椅子と
机
言葉の
無垢受胎の
幻
*
「頑な」と「無垢」。「頑な」には意思があるが、「無垢」には意思がない。だから「頑な」には拒絶感がともなうのに、「無垢」は逆に拒絶感がない。「無垢」がさまよいだすのは「幻」に騙されてか。