糸井茂莉『ノート/夜、波のように』(4)(書肆山田、2020年09月30日発行)
同じことを書いてしまうことになるが、もう少し糸井の詩について書いておく。77ページ。
腐敗、成熟、珠、観念の、抽象の、完成、と中断、ふたたび珠、希
求するもの、大なる白紙の、迂回、断念、不眠、と安堵、さらに墜
落、不意の歪みの、つめたい、そしていつもの捻れ、と訪れ、ずれ
「ちがう」をそれぞれのことばの間にさしはさむことができる、とすでに書いた。ほかにも「ちがう」と同様につかわれることばがある。
「ふたたび」「さらに」「そして」。
これは「ちがう」のように明確に前に存在するものを否定するわけではない。
それなのに、なぜ「ちがう」と「おなじ」なのか。
ともに「ことば(論理)」を前に動かすからである。「ふたたび」は「もどる」ということを意味するが、「方向性」を無視すれば、ともにことばを動かすために存在する。ことばを動かすために「ふたたび」「さらに」「そして」を糸井はつかっている。副詞や接続詞は、糸井にとっては動詞に分類されない動詞であり、それは動詞以上に動詞であるとさえいえるだろう。
そして、それがたどりつくのは「いつも」である。普遍。永遠。奇妙なことだが、どれだけ動いても、それは動いたことにならないのだ。だからこそ、ひたすら「動詞」になろうとする。
「ずれ」を、いま、ここに出現させようとする。
「ずれ」によって、存在がより明確になる。「ずれ」は何かをあいまいにするのではなく、むしろ「繊細な違い」を明確に意識させるための「方法(文体/コンテキスト)」なのだ。
111 から112 ページ。「メモ 空腹でみじめにすうすうする寝床で」
野生のルッコラと無花果とカテージチーズのサラダ(塩はふらずに
ブラックペパーの粗挽きとオリーブオイルで。柿と春菊でも)
ツナのリエット(自家製。他のもろもろももちろん自家製)
野兎のマスタード焼き(トマト味にするかクリーム味にするか。裏
山に仕掛けた罠にかかるまで)
くたくたに煮た莢隠元(冷めたとき薄茶色になるまで煮込む。筋は
しっかり取ること)
タルトタタン(ホールで焼くなら小ぶりのリンゴ十個分)
バニラアイスに濃いエスプレッソをかけて
「献立」である。最後の一行にだけ括弧入りの補足がない。私は、ここに、とても注目してしまった。ここには「ずれ」というと大げさだが、意識の「分裂」がないのだ。集中している。
あ、そうか。
糸井にも「絶対」というものがあるのだ。私は、この行に出会うまで、糸井に「絶対」というものがあるとすれば、「ずれ(ちがう、という主張)」、その「ずれ」をつくりだしていく動詞の動き(動詞になること)だと思って読んできた。そして、こういう運動では結局「虚無」が「永遠」になってしまうぞと考えたが、どこかで糸井は踏みとどまっている。それがどこか、ぱっと詩集を読んできただけではわからない。でも、そうした何かが「ある」はずだと、この一行から、私は感じた。
それを探して提出するのが「批評(あるいは研究)」というものなのだろうけれど、私は「批評/研究」をめざしているわけではないので、そのままにしておく。気が向いたら、そのとき探してみるかもしれない。
思うのは。
「バニラアイスに濃いエスプレッソをかけて」というのが「日本発祥(?)のデザート」ではないということ。メインが日本料理ではないから当然なのだが、この「日本発祥ではない」ということは、糸井のことばにとっては重要なことなのだと思う。
いままで比較してきた高貝にかこつけていうと、高貝はこういう「外国発祥」のもの、ことばをつかって高貝の肉体(つまり、思想/ことば)を動かしてはいない。糸井は、高貝のように、日本文学の古典に通じるようなことばの深みへ降りていこうとはしない。高貝も糸井も「繊細」なのだが、その「繊細」には絶対に相いれないものがある。
だからね。(というのは補足だが。)
ある詩集(詩)を「繊細」だとか「精緻」だとかというだけで「批評」にしてしまってはいけないのだ。「繊細だけれど、強靱さを感じる」「精緻だけれど、それを支えるしなやかな強さがある」というようなことは、実は、詩集や詩を読まずに書ける「ことば」なのだ。そして、そういうことばのいいかげんさをごまかすために、はやりの「西洋思想のことば」をくっつけるのも、やはり何も読まずにも書けることだろうと私は感じている。「論理」というのはいつでも「後出しじゃんけん」で逃げきることができる「嘘」だからである。
と書いているこの私のことばも、もちろん「嘘」である。
だから、私は「嘘」を叩き壊すために、明日はまた別のことを書く。
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