月下獨酌 李白
花間一壷酒
獨酌無相親
挙杯迎明月 (「迎」は表示できないので、意味上あてた文字です)
対影成三人
花間(かかん) 一壷(こ)の酒
独り酌んで相親しむもの無し
杯を挙げて名月を迎えて
影に対して三人と成る
(「唐詩三百首 1」東洋文庫)
「成る」が「詩」である。
月と影と私。それは「人」ではない。しかし、「人」ととらえ、「三人」と見る。そして、それを「成る」と書く。
本当は三人ではないけれど、それを三人にしてしまう。そうした精神の動きのなかに「詩」がある。
「成る」ではなく、「なす」のである。そうした積極的な精神の動き、今までなかったものをつくりだす――そこに「詩」がある。「詩」を生み出す精神の動きがある。
醒時同交歓
酔後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢 (「遥」は意味上あてた文字です)
醒むる時 同(とも)に交歓し
酔うて後 各(おのおの)分散す
永く無情の遊びを結び
相期す雲漢遥かなるに
「無情」とは人間の情とは無関係ということである。
人間の情とは無関係なものを、一瞬の内に結びつける。そのときの劇的な運動の中に「詩」がある。
「成る」にも、そうした劇的な運動がある。