詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

こころは存在するか(26)

2024-03-19 22:44:10 | こころは存在するか

 時間は存在する。
 しかし、過去を考えるとき、時間は存在しない。「過去」という時間は存在しないというか、「過去」を考えるとき、時間のなかで「過去」「現在」「未来」という区別はなくなる。
 言い換えよう。
 過去の行為がいつまでも苦痛であるのは、時間とともに「過去」が過ぎ去らないからである。いつも「現在」として、私のそばにある。私を取り囲んでいる。
 時間は人間の意思、感情を無視して、人間のなかで「時制」を破壊して存在し続ける。物理や数学のときにつかっている時間、人間の意思や感情とは関係のない時間について考えても、意味はない。
 時間は存在しない、とはそういう意味である。

 和辻は、カントは「有るものと、単に考えられるにすぎないものを区別する」というようなことを書いている。
 単に考えられるにすぎぬもの、とは何か。
 数学的、物理学的な時間も、それだろう。
 また、精神、こころとは、考えられるにすぎぬものではないのか。それは、ほんとうは存在しない。
 一方、ことばはどうか。ことばは声(音)であり、文字である。それは、たしかに存在する。その存在を、私という「肉体」は受け止めることができる。耳で、目で。そして、それをつくりだすこともできる。声(喉)で、手で。
 ことばのなかには、「精神」とか「こころ」とか、人間が名付けたものがあるが、それは、やはり「ことば」であって、それが「精神」あるいは「こころ」かどうかは、わからない。だいたい、「ことば」はほんとうのことを語るだけではなく、うそをも語ることができる。「うその精神」「うそのこころ」。それを存在させてしまう力。ことば自身がもっている力。
 ことばは生きていて、ことばをつかう人間と戦っている。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(87)

2024-03-19 21:23:26 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「コリントの太陽を飲む……」にも「再生」ということばが登場する。これも、終わりから二行目である。

ずいと見渡せば世界は再生する、

 一行のみの引用と決めて書き始めたので、方針は変えないが、もし二行引用すれば、この詩と「艶やかな日、声のホラ貝……」の最後の二行がとても似ていることがもっと明確になる。
 ここに書かれている世界は「わが愛するもの」のことであり、それはギリシャということになる。詩人はいつもギリシャを見渡している。彼にはギリシャの全部が見える。
 「ずいと」ということばが、なんともいえず、肉体を刺戟してくる。実際に、見渡している、そのときの目つきが生きている。
 だから「世界は再生する」は、そのまま「肉体は再生する」という感じで響いてくる。「ずいと」をギリシャ語でなんというのか知らないが、詩人がなんと書いているのか知らないが、「ずいと」ということばのまっすぐな太さが、とてもすばらしい。中井以外の人間には思いつかない「訳語」だと思う。


 

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こころは存在するか(25)

2024-03-17 12:37:10 | こころは存在するか

 カントの「実践理性批判」について、和辻がいろいろ書いている。それを読んでいる途中に、私はノートにこんなことを書いている。

人を殺す。それが善いことか悪いことかは、実際にそれが行われたあとで判断される。

 もちろん「人を殺すことは悪いことである」。しかし、こういう道徳というか、定義というか、よくわからないが、それが真実かどうか、私は自分の肉体をとおして語ることができない。私は殺されたくない。だから、それを悪いことと感じている。つまり、利己心から、自己中心的な感覚から言っていることになる。
 しかし、実際に「人を殺す」、あるいは「人を殺すことにかかわる」場合は違うだろう。
 私が「頭のなか」で考える善悪を超えて、実際に人を殺したひとの肉体に何かが押し寄せてくるだろうと思う。
 もし、その「殺人」がボタンひとつで可能ならば、これは「肉体」で「肉体」を「殺す」こと以上に大きな問題となって押し寄せてくるに違いない。私はまだ見ていないが、近く公開される映画「オッペンハイマー」は、この問題に向き合っていると想像している。
 動詞、「肉体の動き」が引き寄せる「世界」、和辻は「世間(世の中)」ということばを好むが、それは「私という肉体」と、「私の肉体」が存在するとき、その近くに引き寄せてしまう「ひと」との関係であり(和辻は「間柄」と読んでいる)、その「広がり(空間)」と、自分のなかにある「時間」、つまり「間柄」は、常に変化し続けるものである。そして、その変化は「言語化」することがむずかしい。「ことば」はいつでもおくれてやってくる。つまり「直観」は「ことば」よりも先に動き、「肉体」を支配する。

 「動詞」と書いて、こんなメモを残しているのにも気がついた。和辻は「ことば」を「日本語」のつかい方から切り開いていく。
 「幸せ」を「仕合わせ」と言い換えて(読み替えて)、それが一種の「共通項」になりうると書いている(ように、私は「誤読」する。)
 ひとは誰でも、何か「足りないもの」に囲まれて生きている。そして、その「欠けている」ものを補いながら生きているのだが、その「補う」という仕事をするとき、単にあるものを自分のものにするだけではなく(もちろん単独のものを自分に「組み合わせる」という方法もあるのだが)、何かと何かを組み合わせて補うことがある。Cが欠けているときAとBを組み合わせてCをつくり、それを自分のものにする。この「合わせる」という動詞、他動詞の動きに注目するならば、そこから「主体」という問題が浮かび上がってくる。他動詞には「主体=私(の肉体)」が必要である。「自発性」をもった「肉体」が必要である。まず「肉体」が必要であり、確実に存在するのは、その「肉体」だけである。「ことば=こころ(精神)」は、あとから付け足した何かである。あるいは「創造」した何かである。もちろん「創造したもの(創造されたもの)」が「ない」とは言わないが、それには「創造するもの」が必要である。だから、私は、そのことを意識するために、あえて「肉体」は存在するが、こころ(精神)は存在しないという。「ことば」は例外である。それは、声となり、文字となり、「肉体」で「いつ」「どこ」にあると確認できるのだから。

 

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(86)

2024-03-15 21:42:33 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「艶やかな日、声のホラ貝……」の最終連、その終わりから二行目。

わが愛するものはすべて絶えず再生し、

 この「すべて」は二連目で繰り返されている「ギリシャ」のことである。なぜ、「すべて」と書くのか。「すべて」が破壊されたからである。だから「すべて」と書かずにはいられない。そこには強い祈りがこめられている。「絶えず」も同じである。破壊されても、破壊されても、そのつど再生する。
 そういう「意味」とは別に。
 私は「わが愛する」の「わが」の表記に、ふいに胸をつかれた。「わが」に似たことばは、この詩では「私」が出てくる。「男」が出てくる。それから「我が手」「我が空」のように漢字で「我が」と書かれた部分がある。
 また、「わが」とは別の「きみ」ということばもある。
 たぶん、この「きみ」が「わが」に含まれている。つまり「わが」とひらがなで書くとき、そこには「われわれ」という響きがある。「われ」が愛し、「きみ」が愛するもの「すべて」というとき、それは「われわれすべて」ということになる。
 漢字で書かれていた「我が」が「わが」に変わった瞬間、世界が解き放たれ広がったように、私は感じたのだ。「わが愛するもの」の直前の行が「我が空は」であり、漢字とひらがなが並んでいることも、その印象を強くし、さらに最終行が再び「わが愛するものはすべて」と繰り返されることが、その印象をさらに強める。
 中井は、ふつうのひとなら統一してしまう表記をわざと不統一にすることで、ことばのニュアンスを深めていく。
 中井の耳は鋭いが、同じように目も鋭い。中井は、「文字を見ると色が見える」と語っていたが、見えるのは色だけではないのだろう。

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(85)

2024-03-14 23:41:54 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「夏の身体」。

不死の一瞬を再発見する。

 「不死」は「いのち」。生きているということ。しかし、この行が「生を再発見する」、あるいは「いのちを再発見する」だとしたら、たぶん、印象は弱くなる。
 「不死」は単純な「いのち/生」を意味しない。「不死」のなかにある「死」ということばが否定されることで、その奥から「いのち/生」が新しくよみがえってくる。「死」を越えて、よみがえってくる。この超越の運動が、詩の、ことばのいのちである。
 この詩には「比喩」がたくさんある。「ヴィーナスの丘」とは「恥丘」のことだが、こういう「比喩」は何かをあらわすのではなく、何かを隠すことによって、逆に隠されたものを思い出させるという働きをしている。「恥丘」(このことばは、もはや死語かもしれない)を「ヴィーナスの丘」ということばで隠す。すると、人間というのはスケベなものだから、その隠されたものを「見たい」と思い、探す。そして「恥丘」を見つけ出し、にたりと笑う。この「探し出す」という行為をあおるのが「比喩」なのである。つまり、「比喩」とは、挑発なのである。
 そう考えると、「不死の一瞬を再発見する。」の「一瞬」も、とてもおもしろい。挑発は、いつでも「一瞬」である。気づかないひとは、気づかない。「比喩」に感動するひとは多いが、「比喩による挑発」は「一瞬」のことである。感動しているひとは、「一瞬の挑発」を見逃している。詩人は「不死を再発見」したのではなく、不死の「一瞬」を再発見したのである。「不死」ということばの、そのことばのなかにある「衝突」を。

 

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Estoy Loco por España(番外篇437)Obra, Sergio Estevez

2024-03-14 22:48:54 | estoy loco por espana

Obra, Sergio Estevez
la serie "Amores internos"

 Esta obra de Sergio también tiene una “sensación de cantidad” de vida. Todavía no ha decidido qué forma tomará este trabajo. Sin embargo, hay "señales". Está acostada boca abajo, con la espalda arqueada. Su cabeza y sus pies están en el aire. Tiene la cabeza torcida y el rostro vuelto hacia un lado, mirando a un hombre.
Quizás este "inacabado" no sea el punto de partida, sino el final. Terminó aquí sin poder formarse del todo. En otras palabras, puede ser un "fracaso".
 Sin embargo, una "obra fallida inacabada" tiene algo más fuerte que una "obra inacabada" que todavía está en producción. Fue rechazado y descartado como un fracaso, pero sigue ahí. Incluso si alguien le niega, aún puede seguir viviendo. Esta mujer fue abandonada por un hombre. Pero vivo. Queda un poder en el cuerpo de la mujer que nadie más puede negar. Es un poder que sólo se hace visible cuando se niega.
 Ehombre (escultor, Sergio) quedó tan sorprendido por esta repentina fuerza de vida que no sabía cómo mover las manos. Ese tipo de "inacabado" momentánea está aquí.

 このSergioの作品にも未完成のいのちの「量感」がある。どんな形になるのか、まだ、この作品は決めていない。ただ、「予兆」がある。腹を下にして、背中そらしている。頭と、足を宙に浮かせている。首をねじって、顔は横を向いている。男を見ている。
 もしかすると、この「未完成」は出発点ではなく、終わりなのかもしれない。完全な形になることができずに、ここで終わってしまった。つまり、「失敗作」なのかもしれない。
 しかし、それが「未完成の失敗作」である方が、制作中の「未完成」よりも、何か強いものを持っている。失敗作として、否定され、捨てられたのに、まだそこに存在している。だれかに否定されても、いのちは生きていくことができる。この女は、男に捨てられた。しかし、生きている。その他者には絶対に否定できない力が、女の肉体には残っている。それは否定されることによって初めて見えてくる力である。
 この突然のいのちの力に、彫刻家(男)は驚いて、手をどう動かしていいかわからなくなった。そういう瞬間的な「未完成」がここにある。

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(84)

2024-03-13 23:03:25 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「その夜をもはや知らぬ……」に、矛盾がある。
                  
その夜をもはや私は知らぬ、死の恐ろしい無名性を。

 「もはや知らぬ」ということば自体が矛盾である。「もはや知っている」という表現は可能でも、「もはや知らぬ」とは言えない。「知る」ことによって「状況/状態」が変わってしまうからである。
 「きみのことは、もう知らない」という言い方はある。これは、「私はもう関係しない」という意味である。いちばん近い言い方には「もう忘れた」がある。だが、この「もう忘れた」は、たとえば「昔、その本を読んだが、ストーリーはもう忘れた」という「忘れた」とはずいぶん違う。
 「きみのことは、もう知らない(きみのことは、もう忘れた)」というとき、「きみ」を「忘れようとしている」であって、実際は「忘れてはいない」。それは言いなおせば、「まだ覚えている」であり、「決して忘れない」と言うのに等しい。言っている相手(対象)が自分と切り離せないときに、切り離せないと自覚したときに、ひとはこういう「矛盾」した表現をつかうのである。

その夜をもはや私は知らぬ、死の恐ろしい無名性を。

 「夜」を「忘れる」ことはできても、「死の恐ろしい無名性を」(名前をひとりひとり数え上げていることができない死、つまり無数の死、戦争で死ぬと多くの場合個人名は消え「人数」になってしまう、その無名性を)、詩人は決して「忘れない」と言っているのだ。「無数のひと」に、無数であるから無名になってしまう戦争の死。そういうことが起きたことを「忘れない」。詩人は、そう言っている。
 「その夜をもはや知らぬ」は、少しことばを変えながら、詩のなかで繰り返される。その繰り返されることばという点から「狂えるザクロの木」を読み返すと、また、違ったものが見えてくる。
 「その夜をもはや知らぬ……」という表現のなかには、慟哭がからみついた矛盾がある。ことばを繰り返すたびに、隠されていた奥にあるもの、慟哭が噴出して出てくる。それを明るみに出すために詩人はことばを繰り返している。ことば「矛盾」にこそ目を向けろと。
 同じことが「狂えるザクロの木」にも言えるだろう。狂っているのはザクロではない。狂っているのはザクロ以外のものである。ことばのなかに隠された矛盾が読み取れないとしたら、それは「世界」が狂っているかもしれない。ザクロを狂わせた「世界」の方こそ、狂っているのであり、ザクロが狂ってしまったのはザクロが正常だからである。


 

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こころは存在するか(24)

2024-03-12 22:43:11 | こころは存在するか

 フォイエルバッハから和辻が引き出していることばでは、「思惟は有から出る。有が思惟から出るのではない」が刺戟的である。「有」と呼んでいるものは「人間存在」であるが、これを「肉体(あるいは実践)」と読み替えると、「思惟は肉体(実践)から生まれる。思惟から肉体が生まれるのではない」になる。
 人間とは、まず「肉体」なのである。「思惟」や「ことば」は嘘をつくかもしれないが、「肉体」は基本的に嘘がつけない。
 机の上にコップがある。水がある。喉が渇いている。その水が安全かどうか、わからない。しかし、目の前の相手がそれを飲んで見せてくれたら、「ことば」が通じなくても(相手が外国人だとしても)それは安全だとわかり(直観することができ)、飲むことができる。もちろん相手があらかじめ「解毒剤」のようなものを飲んでいて「安全」について嘘をついていることもありうるが、それは特別な場合である。たいていは「肉体」の「行為」を「真実」と判断していいだろう。「真実」はいつでも「ことば」として定着する前に、「肉体」が「直観」するものである。
 「ことば」が嘘を含むのは、ことばというものが人間関係のなかで生まれてくるものだからだ。「ことば」は、その「場(社会/共同体)」のものでもある。しかし、同時に「ことば」は個人が動かすことができるものである。だからこそ、相手が知っている「ことば」を利用して、ひとは「嘘」をつくのである。

 こう書きながら、私は、野沢啓の「隠喩論」を思い出している。
 「隠喩」が成り立つためには、すでに「ことば」が存在しなくてはならない。集団でつかっている「ことば」の「意味」を否定し、それを「個人的な意味」に変えるとき、そこに比喩というものが成り立つ。「共有されている意味」をゆがめてしまう。否定してしまう。そして、否定することによって、逆に「ことば」がその奥底に含んでいるものを生かして見せる。それが比喩の「いのち(運動)」である。
 だから、あらゆる「比喩(隠喩であろうと、暗喩であろうと、直喩であろうと)」は詩が特権的にもっている「技法」ではなく、あらゆるジャンルにおいて展開されるものである。もしどうしても「特権」を主張するなら、それは「個人/人間」の特権であって、「ジャンル(社会)」の特権ではない。
 ベルグソンは「ベルグソン語」で書き(私は、翻訳された日本語で読んでいるのだが)、和辻は「和辻語」で書く。そこに「同じことば(日本語)」が書かれていたとしても、それは「みかけ」のことである。ほんとうは、違うのである。それぞれが「絶対的な個人語」で書くからこそ、私はそれを「私語(谷内語)」に翻訳する。「誤訳」する。「誤読」する。その「誤読」を修正するのは、辞書ではない。「肉体」である。「動詞」である。「ことば」を読んだとき、そのことばが生まれてきたときの「肉体の動き」を想像できるかどうか、私の「肉体」で追いかけることができるかどうか。それが問題なのだ。
 精神は存在しない。ことばも存在しない。「思惟」というような、ひとをたぶらかすような奇妙なものもない。あるのは「ことば」である。そして、それは「肉体」が生み出したものである。

 

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こころは存在するか(23)

2024-03-11 22:52:12 | こころは存在するか

 和辻哲郎全集9。「人間の学としての倫理学」のなかで、和辻は「歴史学」とは「実践哲学」である、と書いている。私が知っている「学校教育」では「歴史」は「ストーリー」で、たしかに誰が、いつ、どこで、何をしたかを教えられたが、それは「実践」ではなかった。歴史上の人物の「実践」について教えられたが、それは「私の実践」とは何の関係もなかった。「歴史上の人物」はいたが、個人はどこにもいなかった。だから、私には「学校教育の歴史」というのもがぜんぜん理解できなかった。
 私が「歴史」がおもしろいと感じたのは、和辻の「鎖国」を読んでからだ。そこには「歴史上の人物」のほかに、無名の「個人」がいた。スペインを出発し、世界を一周してきた船が、スペイン(だったと思う)近づく。スペインの船と出会う。そのとき、「きょうは何月何日」という話がでる。世界を一周してきた船の航海士は、日付が一日違っていることに気がつく。毎日日記をつけていたから、間違えるはずがないのに。この驚き、この発見のなかに「実践」がある。「毎日日記をつける」という、なんとも地味な「実践」だが、そこには「地味」な行為(実践=肉体の記録/記憶)だけがもっている「真実(事実)」がある。そして、それが「発見」につながっていく。「発見」といっていいのかどうか、まあ、わからないのだが「地球には日付変更線がある」という発見に。そのころは「日付変更線」とはいわなかっただろうが……。そして、その「日付変更線」は「ことば」としては存在するが、その「線」を実際には誰も見ていない。そういう「線」の発見。それは、その「線」の「創造」でもある。「実践=肉体の記録/記憶」が「ことば」を生み出しているのである。「肉体(行動/実践)」が「ことば」をつくりだしていく。「肉体」がその「ことば」を必要とするからである。

 ちょっと飛躍して。

 和辻はヘーゲルから「自己直観」ということばを導き出している。(「直観」はベルグソンが大事にしたことばである。和辻も、それを大事にしていると私は感じている。)そしてそこから「人倫=精神」という考えに発展させる。この「人倫」は「行動」であり、「精神」は「ことば」である。「肉体(行動/実践)」は「ことば」であり、それはときとして「ことば」を「創造する」、生み出す。
 和辻は

心の肉体化

ということばも書いている。「顔つき、身ぶり、姿勢」などを指しているのだが、私は、この「心」を「精神」と読み替え、「精神(心)=顔つき、身ぶり、姿勢」ととらえ直した上で、「ことばの肉体化」と「誤読」をすすめていく。「顔つき、身ぶり、姿勢」から私が聞き取るのは「ことば」である。「悲しんでいる」「喜んでいる」「驚いている」。なんでもいいが、「ことば」として、つかみとっている。

 ここから「日付変更線」の発見(あるいは、創造)に飛躍するのは、飛躍のしすぎかもしれないが、何か人間が実践をとおして「共有してきたもの」が「ことば」になる。そして、それは何も「歴史的人物」の「肉体(行動/実践)」だけが生み出したものではなく、丁寧に生きてきた「無数のひとり」が「他の無数のひとり」と出会うことで生み出してきたものだと思う。
 「無数のひとり」を、私は「個人」と呼んでいるのだが。「無数のひとり」は「無数の肉体」として学校教育の「歴史」では切り捨てられているが、この「無数のひとり」がいなければ「ことば」もないのだと思う。

 「こころは存在するか」という問い、「こころは存在しない」という答えは、「肉体(無数のひとり)」の「実践」から出発しなければならないという私自身の「決めごと」なのである。

 

 

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こころは存在するか(22)

2024-03-09 23:26:36 | こころは存在するか

 和辻哲郎全集9。「倫理」について考えながら、和辻は、こんなことを書いている。

〈間・仲〉は生ける動的な間であり、従って自由な創造を意味する。

 この「自由な創造」ということばを読みながら、私は、そこにベルグソンとの共通性を感じる。「生きる」とは「自由な創造」をすることである。

 和辻は「日本語」にこだわって、ことばの「意味」をおいかけているが、きょう読んだ部分では「存在」、「存」と「在」の区別が刺戟的である。「存する」「在る」は、ともに「ある」という意味でつかっているが、そのつかい方は微妙に違う。
 「存」の反対のことばは「失」であり、それは時間的な意味をもつ。「生存」ということばの反対のことばは「忘失」である。「生存」とは主体的な行動をすること(創造すること)である。その「創造」には「自己自身」と「もの」を含む。
 一方「在」の反対のことばは「去」であり、場所的な意味をもつ。「不在」とは「ある場所に人がいない」ということであり、それはつねに「社会的」な場所とかかわりをもつ。

 あるコスタリカ人(私は彼のもとで半年間スペイン語を勉強した)が、和辻の「風土」を読み、「日本人論だ」と言ったが、和辻は、人間を空間と時間とにおいてとらえている。人間の空間性と時間性は、人間の風土性、歴史性としてあらわれてくる。だから「風土」で和辻が書いているのは「日本人論である」というのは、確かにその通りだと思う。日本人は、日本の風土のなかで、どんなふうに日本人を「創造」してきたか。

 「存在」に似たことばに「有る」「ある」がある。「有る」は「所有」ということばがあるように「有(も)つ」ということでもある。ひとが己自身を有つ、「存」は自覚的に自分自身をもつことである。
 だから「心は把持すればあり、捨つればなし」というような言い方も成り立つ。
 これは、誰のことばだったか。
 私は「こころは存在しない」と考えている。で、その場合、その「心」と呼ばれているものに私は何をあてはめるか。「ことば」あてはめる。「ことば」は確かにある。私は、それを書いているし、読んでいる。
 「こころは存在しない」と書くことは、一種の矛盾だが、つまり「存在しない」ならそれを「ことば」にすることはできないのだから。私は「方便」として「こころ」ということばをつかっていることになる。「こころ」のかわりに、目や手や足がある。腹もある。性器もある。それは、いわゆる「こころ」と同じように、自分の意思で動かすことができることもあるが、意思では制御できないこともある。このときの「制御不能」の状態を、すべて「ことば」にすることができれば、とてもおもしろいだろう。「ことばの持続」として展開できれば、とてもおもしろいだろう。そのとき「創造」されるのは、「文学」か「哲学」か「心理学」かわからないが。

 

 

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中井久夫訳『現代ギリシャ詩選』読む(83)

2024-03-07 00:12:50 | 中井久夫「ギリシャ詩選」を読む

 「狂えるザクロの木」は強烈な詩である。朝の中庭。南風が吹き抜けている。そこに、一本の木。

おお、あれが狂ったザクロの木か、

 これは一行全体ではなく、一行の後半部分であり、この「おお、あれが狂ったザクロの木か、」ということばが詩のなかで何回も繰り返される。しかし、それは正確な繰り返しではない。二度目からは「おお、あれが狂ったザクロの木か?」と疑問符がつく。最初の「おお、あれが狂ったザクロの木か、」と疑問符ではなく、読点「、」である。
 これは非常に大きな違いである。中井は、その「違い」を書き分けている。(原文に疑問符があるか、ないか。私は、それを知らないが。)
 最初の「おお、あれが狂ったザクロの木か、」は疑問ではなく、確信である。見た瞬間に「狂ったザクロの木」と直観した。その直観を明確に示しているのが「あの」という指示代名詞である。
 「あの」ということばで何かを指し示すとき、その「あの」は発話者と聞く人とのあいだに「共有」されている。詩人は、そのザクロの木について何度も聞いたことがある。聞いて知っているから「あの」ということばが出てきた。そして、直観で確かにそうだと思ったから、疑問符なしで、疑問符というよりはむしろ感嘆符「!」を、詠嘆をこめて、そのことばが知らず知らずに漏れて出たのである。
 それからである。
 その「あの」、聞いて知っている「あのザクロの木」、その知っている「もの」は何なのか。それを詩人は次々にことばにしている。知っていると思っていること、「あの」と呼ばれるためのエピソード(特徴)をつぎつぎにあげていく。イメージが太陽の光のように広がり、散らばる。そのイメージの、どれが「核心」なのか。それは、わからない。そのザクロが「あのザクロ」だと確信している。しかし、「あの」が一体なのなのか、それをひとつのものとしてはつかめない。それは、詩人が、そのザクロをとおして、ほんとうに見たかったのは何なのか、という厳しい自問でもある。
 「これが、あの(みんなが言っている)狂ったザクロの木ですか?」と詩人が質問し、だれかが「そうです、これが狂ったザクロの木です」と答えたとしても、それは詩人にとっては「答え」ではない。「答え」は詩人にしかわからない。自分で判断するしかない。この苦しみ。
 直観には、何の苦しみもなかったのに。
 タイトルが「狂える」となまなましい形で書かれているのも、中井の書き分け(訳の工夫)である。直観は、ザクロの木と一体になって、いま「狂っている」のである。「狂える詩人」になって、ことばがもがいている。
 見た瞬間の「直観」だけが、絶対的な正しさとして、存在している。それを証明するのが、疑問符のない「おお、あれが狂ったザクロの木か、」である。

 

 

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Estoy Loco por España(番外篇436)Obra, Lola Santo

2024-03-05 15:17:44 | estoy loco por espana

Obra, Lola Santos

 Hay una “sensación de cantidad” de vida. Siento la energía que nació de la tierra y seguirá naciendo.
 "Material" que aún no ha tomado forma y se acumula debajo de las rodillas. Éstas ahora cambiarán y se convertirán en patas. En ese momento nacen brazos y cabezas al mismo tiempo.
 Caderas, glúteos y senos fuertes. El cuerpo de una mujer crea un "cuerpo completo" que aún no existe. Esta obra muestra la fuerza de la escultura griega.

 いのちの「量感」がある。大地から生まれてきて、これからさらに生まれていく、というエネルギーを感じる。
 膝の下にかたまっている、まだ形になっていない「素材」。それがこれから変化して足になる。そのとき同時に腕が生まれ、頭が生まれる。
 強い腰、尻、乳房。女の肉体は、そこからまだ存在しない「全身」を生み出していく。ギリシャ彫刻が持っている強さが、この作品にある。

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こころは存在するか(21)

2024-03-05 14:48:26 | こころは存在するか

 行動は自分に欠けているものの獲得を目指すか、存在しないものの創造を目指す、とベルグソンは書くのだが、この「存在しないもの」を単にいまそこにないものではなく、「無」と考えるとどうなるか。
 「無を創る」。
 「無になる」とか「無我の境地」ということばが日本語にはあるが、「無を創る」というのは、それとは違う。「有」の否定(「有」からの解放)ではなく、「有」とは関係なく(「有」を踏まえず、「有」を基盤とせず)、「無を創る」。

 ベルグソンのなかに「絶対的な無」ということばが出てくる。これは「全体の観念」であり、しかもそこに精神のひとつの運動が加わっている。「否定」という運動だ。
 ある事物から他の事物へと飛び移る。飛躍する。ひとつのところに身を置くことを拒む。ひとつのところに身を置くことを否定する。そして、自分の「現在」の位置を、自分が立ち去った(拒否、否定した)位置との関係において規定する。
 その瞬間にあらわれる「無」というもの。それが絶対的。
 このメモは、どこまでがベルグソンのことばで、どこからが私のことばなのか、実はわからない。ノートのメモに、引用したことばのページが書いてないので、探し出せない。 私が注目したのは「運動」ということばである。「飛び移る」「飛躍する」は「運動」のひとつだが、運動するのは「肉体」である。ベルグソンは「精神」と書いていると思うが、「身を置く」の「身」には「肉体」にほかならないし、「精神」の運動であってもベルグソンはそれを納得するとき「身」を関係させている。「身を置く」は比喩ではない。現実であり、「精神」ということばこそ「比喩」なのだ。
 デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言ったが、ベルグソンなら「我行動する、ゆえに我あり」と言うのではないか、と私は想像している。

 いま書いていることは「比喩」か。比喩よりもなぞめいている「暗喩」か。
 「暗喩」とは何か。それは「構想」である。存在しないものを、存在するものによって描き出すことだ。それはつねに動く。肉体を動かす。
 この「比喩/暗喩」の反対のものは何か。「概念」である。「概念」の抽出。
 そうならないようにしないといけない。
 「概念」を書くこと、たとえば、ベルグソンを読み、そのことばを利用して体験以外のことを書くことは、「体験(肉体)」を殺すことである。--きょうの反省。

 

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Estoy Loco por España(番外篇436)Obra, Jesus Coyto Pablo

2024-03-02 13:17:47 | estoy loco por espana

Obra, Jesus Coyto Pablo
Serie "Protocolos" años 90, Oxido oleo sobre hierro, 90 x 70 cm

   Los colores empiezan a desmoronarse. Hay cosas que sobreviven incluso cuando se desmoronan los colores. No es tristeza. No es soledad. Es similar a la tristeza, pero no se puede llamar tristeza. Es similar a la soledad, pero no se puede llamar soledad. Algo que sé pero no puedo expresar con palabras. Eso es lo que nace. Y se quéda ahí. Ni siquiera es un recuerdo. Es similar a los recuerdos, pero no quiero llamarlos recuerdos.
   Recordar no significa regresar al pasado. Recordar significa sacar el pasado al presente. Las palabras japonesas "思い出す(recordar)" y "引っ張り出す(sacar)" tienen en común el verbo "出す(llevar algo a fuera)". Lo que sobrevive, Jesús nos lo ofrece(差し出す). Ofrecer tiene en común la palabra "出す" también.
   Veo los colores de Jesús por lengua japonesa.

 色が壊れていく。壊れていきながら生き残るものがある。悲しみではない。寂しさではない。悲しみに似ているが、悲しみと呼べないもの。寂しさに似ているが、寂しさと呼べないもの。知っているが、ことばにならないもの。それが生まれてくる。そして、そこにとどまる。思い出でもない。思い出に似ているが、思い出と呼びたくないもの。
 思い出すということは、過去へ帰ることではない。過去を現在に引っ張りだすことだ。日本語の「思い出す」「引っ張り出す」には「出す」という動詞が共通する。生き残ったものを、Jesus は差し出す。このことばにも「出す」が共通する。
  私は日本語でJesus の色を見る。

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こころは存在するか(20)

2024-03-02 12:34:19 | こころは存在するか

私は多なる一であり、一なる多である

 このことばがベルグソンのなかに出てくる。「なる」を「即」と「誤読」すれば「多即一、一即多」であり、「多」を「色」と、「一」を「理(空)」読み替えれば「色即是空、空即是色」になるだろう。このとき「なる」は英語で言えば「be動詞」になるのかもしれないが、「なる」を「なす」、つまり「為す」あるいは「生す」と読み替えれば、それはすべて「私」という「肉体」によって誕生する世界になる。
 私がベルグソンに親近感を覚えるのは、こういう「誤読」を誘ってくれるからである。ベルグソンのことばのどこかに、私が知らずになじんできた「東洋」のことばがある。
 「多」を「色」と私は書き換えたが、これは「私が出会った、私以外の存在」であり、それは「意識が存在として分類しているもの」というものであり、「私(肉体)」を抜きにしては存在し得ない。意識は単独では存在せず、常に「肉体」とともにある。むしろ「肉体(いのち)」が理解しているものを「ことば」にしたものが「意識(知性)」である。

 こんなことばもある。

直観は生命の方向に進み、知性は逆の方向に進む。

 「直観は生命の方向に進む」とは、直観はいのちを維持・継続・持続させることを目指す、ということ。そのために「知性」をつかう。つまり、「知性は逆の方向に進む」とは、知性は「もの」の方に進むということ。「もの」を「無機物」と言いなおすと(ほんとうは有機物も含むのだが、とりあえず)、それは、人間は「もの」を解体し、別のもの(いままで存在しなかったもの)をつくるとき、そこには知性が働いているということである。簡単に言えば、鉄鉱石から鉄をつくり、その鉄から橋をつくる、ビルの骨組みをつくる、あるいはさまざまな機械をつくる。鉄鉱石を鉄鉱石ではなくしてしまう。そうすることで、「いのち」の維持・継続・持続をはかる。「生きやすく」する。
 しかし、「人間」は解体できない。解体すると「殺人」である。鉄鉱石から、武器をつくり、戦争を有利に進めるということも、人間はしてしまうのだが、これは少し脇に置いておく。
 実は、「殺人」以外の、「人間の解体」も、あるには、ある。「いのち」を「労働力」に解体し、「肉体」を拘束することができる。ひとつの方向に「限定」して動かすことができる。しかし、これもまた別の問題である。
 ベルグソンが言っているのは、直観は持続を目指し、知性は切断を目指すということである。そして、その接点に「肉体」があると、私は考えている。「存在するのは肉体だけ」というのは、そういうことである。


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