詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「オッペンハイマー」の問題点、その2

2024-03-30 17:30:20 | 映画

 物理学者、数学者は、核分裂、核融合の夢を見るとき、あの映画のような光が飛び回るシーンを夢見るか、という疑問を書いた。私は彼らはイメージではなく、数式で夢見ると思ったからだ。これに対し、ある友人が「それではふつうのひとにはわからない」と言った。なるほど。では、ふつうのひとはあのシーンで、核分裂や核融合の仕組み、あるいはブラックホールのことがわかるのだろうか。私はふつうのひとのように想像力が豊かではないのか、あんなシーンを見ても、何も感じない。「もの」のなかで、電子や素粒子があんなふうに動いているとは想像できない。
 たしかに数式を書き並べられても、それが何を意味するかわからないが、しかし、彼らは数式で世界を理解しているということは理解できる。だって、アインシュタインはオッペンハイマーが持ってきた数式を一目見ただけで、それが何を意味しているか理解したし、別のシーンではある考えが提案されるとオッペンハイマーは黒板にすぐに数式を書き始めた。ほかのときも、黒板に数式を書いて、考えを整理している。だったら、夢のなかでもきっと数式を書いているに違いない。どこからか、数式があらわれてきて、それが消えていく、それを必死になってメモしている、覚えようとしている。それが数学者、理論物理学者の真実ではないのか。少なくとも、奇妙な、「2001年宇宙の旅」の模倣のようなシーン以外では、彼らの「頭脳」のあり方は、そんなふうに描かれていた。
 脱線して、「2001年宇宙の旅」について書いておくと、私がいちばん感動したのは、HALが宇宙飛行士にメモリーを一個ずつ削除されるとき、必死になって昔覚えた「デイジー」の歌を思い出し歌うシーンである。大きなカセットテープ(これを知らない若者もいるかもしれない)のようなメモリーの一つずつに、何かのメモリーが記録されており、それが連携している。そのメモリーが一つずつ失われ、HALは何も計算できなくなる、実行できなくなる。そのことが、「具体的」に、肉体に迫る形で表現されていた。あのとき、私はHALの「肉体」そのものを感じ、びっくりした。
 だから、何かアイデアが閃いた瞬間に、主人公たちが次々に数式を展開する、ある結論が提示されると、それを数式を自分で展開しながら確認するというシーンが映画のなかで展開されれば、私は、それに感動したと思う。主人公たちの肉体の動きを感じたと思う。その数式が、ふつうのひとにわかるかどうかなんて、関係がない。
 タイトルは忘れたが、アメリカのアポロ計画を裏側で支えた数学者(女性たち)を描いた映画でも、ふつうのひとにわかるかどうかなんか気にしないで、巨大な黒板に数式がびっしりと書かれるシーンがあったと思う。数式が何を意味しているか、その計算があっているかどうか、ふつうのひとにはわからないだろう。私ももちろんわからない。けれど、あ、すごい、彼女たちはこんなに長い数式を頭の中から引き出し、それを点検することができるのだということは、わかる。肉体の動きがわかるのである。それが自分にはできないこともわかり、わかるから、「すごい」と思う。「オンペンハイマー」で描かれていたの核分裂、核融合、物質内の電子や素粒子の動きは、そっくりそのままではないが、ある映像なら、ふつうのひとにも描かれるだろう、想像できるだろう。そうであるなら、それはやっぱり、「見え透いたうそ」なのである。観客を馬鹿にした「映像操作」なのである。

 この映画は、もうひとつ、観客を馬鹿にしている点がある。
 この映画は、原爆の開発と同時に、アメリカで起きた「赤狩り」を描いている。オッペンハイマーは共産主義の運動にある程度共感していた。そして、共産党員とつながりもあった。実際に「赤狩り」の対象にもなった。しかし、実際は、共産党員ではなかった。アメリカを裏切っていなかった。だから、一時失脚したが、最期には復権した、ということが、権力闘争をからめて描かれている。ここには、なんとも言えない気持ちの悪い、アメリカ特有の「隠蔽」がある。
 オッペンハイマーは共産党員ではなかった。共産主義者ではなかった。だから「正しい」。この「論理」はアメリカ主義そのものだろう。
 もしオッペンハイマーが共産主義者であり、共産主義者だけれど原爆を開発し、戦争終結を早めることに成功した(アメリカでは、たしか、原子爆弾は戦争終結早める効果があったという評価が存在する)というのであれば、彼はどのように「再評価」されるのだろうか。オッペンハイマーは彼の知っている知識を共産主義の国(ソ連)に提供し、その後の核配備競争を押し進め、アメリカを危機に陥れたとして弾圧されるのだろうか。
 しかし、オッペンハイマーが彼の知識を共産主義の国家のだれかに知識を提供しなくても、それぞれの国の物理学者、数学者は、核兵器の開発に成功しただろう。だいたい、その後の世界の動きを見れば、わかる。インドやパキスタン、イスラエル、さらに核兵器開発能力をもっているいくつかの国は、かならずしも共産主義の国ではない。そして、その国の科学者は、何もオッペンハイマーの知識だけを借りて核兵器をもっているわけではない。
 この映画は、明確に言っているわけではないが、暗に「アメリカ、あるいはその同盟国が核兵器を持つのは世界の安全に役立っているが、共産主義の国が核兵器を持つのは世界を危険に陥れることであり、許すことができない」と言っている。それがオッペンハイマー復権のほんとうの理由だ。この、明確にしない「アメリカ絶対主義」、共産主義の国が核兵器を持つことを許してはならないという思想こそがいちばん危険な問題である。そして、それを明確に言わないところが、とても陰険で、とても危険である。
 映画をよく見てみるといい。この映画では、共産主義のどこに問題があるかはいっさい描かれていない。共産主義だからダメ、共産党だからダメと、批判さえも放棄して、ただ主張している。アメリカは「自由主義」の国だから、それがいちばん。それ以外の考えは認めない、と言っているだけである。アメリカは「自由主義」の国家ではなく、「アメリカ第一主義(アメリカ絶対主義)」の国家である。
 この問題を脇に置いたまま、この映画を評価することはできない。
 この問題をごまかすために、赤狩りの問題を、「権力闘争」のドラマに仕立てているのである。私が、この権力闘争ドラマだけがおもしろいと思うのは、そのドラマを「落下の解剖学」のようにもっと掘り下げていけば、赤狩りの本質、アメリカ自由主義の本質が、別の形で浮き彫りになる可能性があると感じるからだ。いまのままでは、見えそうで見えない「ヒント」の「ヒント」がありそうな感じがするだけだが。


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