ソウル南大門の放火焼失事件が起きたのは昨年(08年)の
2月10日。
事件発生から1年を迎えようとしている今、韓国メディアでは
南大門関連の報道が増えている。
今日、「ヲタク」が興味深く目を通したのは、朝鮮王朝末期の
南大門付近の様子を撮った写真と、その解説。
歴史の勉強をかね2枚の写真の解説部分を翻訳練習してみた。
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■100여년전의 숭례문
100年前の南大門
(連合ニュース 2月8日)
지금으로부터 100여년전 찍은 것으로 추정되는 숭례문의
모습. 1890년대 촬영으로 추정되며 숭례문과 연결된
부분의 서울성곽 형태가 적군의 침입을 막기 위해 문
주변부의 성곽을 좁게 만든 옹성이었음을 알 수 있다.
今から100年以上前に撮影されたと推定される南大門の姿。
1890年代の撮影と推定され、南大門につながるソウル城郭の
形態が、敵軍の侵入を防ぐため門周辺の城郭を狭くした「甕城」(※)
であったことがわかる。
(※)「甕城(おうじょう)」の説明についてはコチラ。
제물포에서 세창양행을 설립한 독일인 에드바르트 마이어의
후손들이 간직해오다 정성길 계명대 동산의료원 명예박물
관장에 의해 발견된 사진들이다.
この写真は、1883年、済物浦(現・仁川市中区)に世昌洋行
(貿易会社)を設立したドイツ人、エドバルト・マイヤーの子孫らが
保管していたもので、啓明大学東山医療院博物館のチョン・
ソンギル名誉館長が発見した。
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■100여년전의 숭례문
100年前の南大門
(連合ニュース 2月8日)
지금으로부터 100여년전 찍은 것으로 추정되는 숭례문의
모습. 1890년대 촬영으로 추정되며 무악재 방향과 서대문
성곽을 함께 볼 수 있다.
今から100年以上前に撮影されたと推定される南大門の姿。
1890年代の撮影と推定され、母岳峠方向(写真左端)に
延びる西大門城郭の様子が一望できる。
제물포에서 세창양행을 설립한 독일인 에드바르트 마이어의
후손들이 간직해오다 정성길 계명대 동산의료원 명예박물
관장에 의해 발견된 사진들이다.
この写真は、1883年、済物浦(現・仁川市中区)に世昌洋行
(貿易会社)を設立したドイツ人、エドバルト・マイヤーの子孫らが
保管していたもので、啓明大学東山医療院博物館のチョン・
ソンギル名誉館長が発見した。
(終わり)