2013年5月、草梁洞の高台に詩人ユ・チファンの記念館が
オープンした。
「ヲタク」は2014年夏のプサン訪問で初めてこの記念館を
見学した。
△記念館からプサン港を望む。
まず山腹道路から屋上展望台に歩を進め、その後、階段を下りて
記念館に入館した。
1階部分は小規模な公演スペースになっている。
「ヲタク」が訪れた時、小さな舞台の上では近隣住民とおぼしき
おばちゃんたちが楽しげに談笑していたので、さすがに
写真撮影は遠慮した。
(終わり)
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2014年夏の南浦洞(ナンポドン)で、「ヲタク」は我が目を
疑うような風景を見た。
△①PIFF広場にも占い小屋
いわゆる占い小屋がいたるところで目に付いたのだ。
△写真①の占い小屋をアップで
以前よりも、はるかに増加しているような印象を持った。
(関連記事)
△地下商店街の出入り口近くにも占い小屋
場所によっては10軒以上の占い小屋が軒(?)を
並べている通りもあった。
△②占い通り(?)
この間の韓国社会の変化が、生活の格差を広げながら、
人々の精神的不安を大きくしてきたのだろうか。
△写真②の中から日本語可能な店をアップ
占いも宗教と同じで、信じる人の苦しみや不安を和らげ、生きる
希望や勇気を与えてくれるという、一種、肯定的な側面も持って
いることに間違いはない。
△占い通りの占い小屋
しかし、その反面、過度に占いに依存する精神は、客観的な
事実に基づいて真理を追究し、物事を解決に導こうとする
合理的な精神を確実に麻痺させ、場合によっては抑圧・
排撃する。
韓国では現在でも、日本と比較にならないくらい風水や占いの
社会的影響力が強い。
変わらない韓国を、「ヲタク」も以前と同じように、批判的に
観察し続けるしかないようだ。
(終わり)
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長らくプサン高校で教鞭をとっていた詩人、ユ・チファン(1908~
1967)の記念館が2013年5月、詩人ゆかりの地、草梁洞に
お目見えした。
場所は、プサン高校を眼下に見下ろす山腹道路沿いの高台で、
プサンコンピューター科学高校の斜め上にあたる。
2014年夏のプサン訪問で、「ヲタク」は初めてこの記念館の
屋上展望台に立った。
イバグ工作所の屋上展望台に初めて立った時と同じように、
「ヲタク」の両腕には鳥肌が立っていた。
それくらい感激が大きかった、ということだ。
過去、軍事的な理由から関釜フェリーの甲板からさえもプサン港を
撮影することが禁止されていた時代があった。
そういう時代、この同じ場所で、道路わきにとまったパトカーの
中から「ヲタク」に向けられる視線を意識しながら、眼下に広がる
プサン港の姿を緊張しながら写真に収めたこともあった。
それが、今では立派な展望台の上から何に遠慮することもなく、
プサン港の景色を撮りたいだけ写真に撮れる。
30年も経てば、時代も社会も変わるのだ。
ところで、この展望台には「ユ・チファンのポスト」と
名付けられたポストが置かれている。
このポストに手紙や葉書を投かんすれば、1年後に配達される
のだと言う。
今回は遠慮したが、次回にでも、自分宛ての絵葉書を投かんして
みようかと考えている。
(終わり)
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2014年夏のプサン訪問では、久しぶりに宝水(ポス)洞の
書店通りを訪ねた。
△書店通りの入口を前に妻と子ども2人を写す
現在は絶版となっているある史料(書籍)を探しに行ったの
だが、結局、手に入れることはできなかった。
史料とは言え、韓国独立後の書籍なので、近い将来には
見つけることができるだろう。
次回は、公立の図書館にでも足を運んでみるつもりだ。
△ここでも日本の漫画は大人気
現時点でその史料が何であるか公表するのは差し控えて
おくが、もし、見つけ出した暁(あかつき)には、日韓関係史に
おいて、かなり重要な意味を持つと思われるその史料について
きちんと報告したいと考えている。
実は、ヒントはもうすでに当ブログの過去記事の中に
隠れてはいるのだが・・・。
△「もったいぶりやがって・・・」
(終わり)
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2014年夏、「ヲタク」はイバグ(「物語」のプサン方言)工作所と
名付けられた文化会館を正面玄関からではなく屋上から訪れた。
屋上の展望台からは、足の下の建造物の全体像など
全く想像もできなかったが、下に降りて見ると、小規模とは
言え、なかなかりっぱな建物であった。
△変則(?)2階建てのイバグ工作所
2013年3月の開館から早や1年と半年が経とうとしている。
この間、すでに多くのイバグ(文化的な話題)を工作
(展示・提供)してきた会館だが、この夏は、8月15日の
解放記念日に合わせ、釜山を舞台にした韓日交流史を
テーマに展示が行われていた。
△「路地ごとに流れる韓・日の歴史、イバグ展」との横断幕
一通り、館内の展示物を見て回った。
△屋上展望台の真下にあたる2階の展示室
内容は文禄慶長の役や抗日独立運動、そして独島(日本名、竹島)守護の
各分野で活躍したプサンゆかりの人物の紹介が中心になっていた。
思想的には韓国愛国史観とも呼べる見方、解釈で貫かれており、
正直、「ヲタク」的には全く共感できない内容も散見できた。
ここで、その展示内容の全てに一々感想を書き加えることは省く。
ただ、一つだけここに記録するとすれば、それは日本の
植民地時代、釜山警察署で署長に爆弾を投げつけ
負傷を負わせた罪で捕えられ獄死した、ある過激な
独立運動家が、例によって「義士」として称賛されて
いた展示コーナー。
「ヲタク」としては、民族独立を求める強烈な意思には
共感できても、その過激な行動を無批判的に称賛する
ことなどとてもできない。
それにしても不思議なのは、現在、世界を揺るがしている
イスラム過激派やウイグル民族過激派のテロ行為などに
対しては、称賛どころか一切の共感や同情を示していない
ように見える現代韓国の社会精神のありようである。
もし仮に、現在世界でテロを生みだす背景にある不当な
支配や抑圧には鈍感でいながら、かたや、自国史の
中でだけは数多くの過激な「義士」を何の疑問もなく美化、
称賛できるとしたら・・・。
それはダブルスタンダードを持つ、かなり偏狭な歴史観だと
批判されても仕方あるまい。
(終わり)
2013年3月、草梁洞の高台、山腹道路沿いにイバグ(物語)
工作所と名付けられた小さな文化開館が開館した。
そして、2014年夏、「ヲタク」は初めてその文化会館に
屋上(展望台)から足を踏み入れた。
△正面がイバグ工作所の屋上展望台。右手側が山腹道路。
感動という言葉では簡単に片付けられない、奇妙な感慨が「ヲタク」を
襲ってきた。
△イバグ工作所屋上展望台
山腹道路の歩道から展望台に足を踏み入れた「ヲタク」の両腕には、
本当に鳥肌がたってきた。
釜山市の山腹道路ルネサンス構想は、険しい傾斜地のうらびれた
住宅街に、全く新しい価値を生みだしたと言える。
人間の意思が造形物となり、新しい文化的空間を生み出したのだ。
△展望台から眺める草梁の風景
いや、そもそも草梁とそこに住む人々、全てが一個の巨大な
芸術作品であり、新しい展望台は、その芸術を俯瞰(ふかん)
できる豪華な立見席と言えるのかもしれない。
縁あって草梁洞出身の女性と結婚し、草梁洞の住宅街と関わりを
持つようになって以来、20年以上が過ぎた。
その間、何十回となく訪れた(通った)場所が、こんなふうに
変わるとは、全く予想だにしていなかった。
(終わり)
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ヨンジュ洞の1か所の階段にモノレールが設置されたからと
言って、実際のところ、その恩恵にあずかることのできる
住民は洞民全体から見れば極々少数だ。
例えば、同じくヨンジュ洞のコモドホテル近くにある階段。
上から下を望めば、大の大人でも足がすくみそうなくらいの
急こう配の階段だ。
釜山には、こうした階段がいたるところにまさに無数(?)に
存在している。
歩行弱者にやさしい傾斜地の街づくりは、今、プサンで
緒(ちょ)に就いたばかりと言ったところか。
がんばれプサン!
(終わり)