(感想1、感想2、感想3、感想5、感想6、感動7、感想8あります)
最後の、宿儺の指が入った百葉箱が映る前に、宿儺と真人が会話する場面があったのだが。
宿儺はどうやら、かつて平安時代に、大きな分岐点に立ったことが2回あって、そこで別の道を取っていたら、違う今があったと思っている。
どちらも自分の恨みつらみ、すなわち呪詛をはく方を選択肢内ではいられなかった。
宿儺なりに、俺もあの頃は、青かったな、という述懐付きでw
その2つの道は、裏梅似の少女(少年?)と、若い巫女によって象徴的に示されていた。
多分、巫女の方は、若かりし日の天元だったんだろうなぁ、と思ったり。
そうなると、もしも裏梅ルートではなく、天元ルートを選んでいたなら、きっと宿儺は正義サイド、少なくとも呪術界を統治する側に立って、呪術界全体の利益のために戦っていたのかもしれない。
でも、事実は、裏梅ルートを取ることで修羅道を選択してしまった。
きっと、この選択が、今に至るまでの、宿儺、天元、羂索、それに、裏梅や天使の居場所を決定づけてしまったのだろうな。
そういえば、羂索が天元の拉致に向かった際、変わり果てた姿の天元を見て、4つ目の顔から宿儺そっくり、と言っていたのも、そういうことだったのだろうね。
想像するに、件の分岐点に達した時点ですでに宿儺は呪術師として相当の実力を擁しており、その分岐点で、彼の力の向かう先を選択してしまったのだろうな。
意外と宿儺は、裏梅ら虐げられた?有能な呪術師の側に立ち、巫女として朝廷との調整役を務めていた天元と敵対するようになったのかも。
つまり、元を辿れば宿儺は、呪術師の自由を求める革命家だった。
それがいつの間にか、単なる破壊を繰り返す呪いの王担ってしまったということで。
宿儺の伝承は、そうした朝廷サイドの評価が基調をつくり、いつしか追われるものとして、宿儺は襲撃者と戦うしかなく、それがまた彼の悪名を高めていくことになった・・・ってことかな、と。
悪循環。
物語の途中で、万が、しきりに「愛」を訴えていたけど、実のところ、宿儺は、生前は愛のために戦っていたのだが、呪物になる決心をした時点で、愛なるものを一切、捨てたのかもしれない。
というか、愛を唾棄するくらい、世界に対する呪詛のほうが勝っていた。
なんなら、愛のことなど忘れるよう、縛りをかけたのかもしれない。
・・・って、これだと宿儺があまっちょろい善人に見えてしまうけどw
まぁ、ダース・ベイダーに転じたアナキン・スカイウォーカーってところかなw
ともあれ、この真人との、極めて人間臭いやり取りと、百葉箱にある指1本からすると、続編、というか、第2部として、宿儺が善玉サイドにつく可能性も高い、とういことなのだろうな。
まぁ、『ターミネイター2』のときのシュワちゃんになる、ってことw
そうした人間っぽい宿儺の機微を、真人が理解できないのは、所詮は真人が、人間から発した呪いの感情から生まれたからなのだろうな。
善を理解する素地を真人は、呪いであるという生まれ=出自から理解できない。
だって理解しちゃったら、真人は自分の存在を全否定しなくちゃいけないから。
あー、でもそうか。
呪いは、本来的に愛を理解できないんだ。
そこが万が強調したいことだったんだな。
愛することのできる呪いを誕生させたいと考えていた。
だから宿儺は「堕天」と呼ばれたわけか。
もしかしたら、平安の呪術は、愛を捨てることで呪いに対処することができるようになったのかもしれない。
いろいろと、続編に向けて示唆的な話だよね。
最後の、宿儺の指が入った百葉箱が映る前に、宿儺と真人が会話する場面があったのだが。
宿儺はどうやら、かつて平安時代に、大きな分岐点に立ったことが2回あって、そこで別の道を取っていたら、違う今があったと思っている。
どちらも自分の恨みつらみ、すなわち呪詛をはく方を選択肢内ではいられなかった。
宿儺なりに、俺もあの頃は、青かったな、という述懐付きでw
その2つの道は、裏梅似の少女(少年?)と、若い巫女によって象徴的に示されていた。
多分、巫女の方は、若かりし日の天元だったんだろうなぁ、と思ったり。
そうなると、もしも裏梅ルートではなく、天元ルートを選んでいたなら、きっと宿儺は正義サイド、少なくとも呪術界を統治する側に立って、呪術界全体の利益のために戦っていたのかもしれない。
でも、事実は、裏梅ルートを取ることで修羅道を選択してしまった。
きっと、この選択が、今に至るまでの、宿儺、天元、羂索、それに、裏梅や天使の居場所を決定づけてしまったのだろうな。
そういえば、羂索が天元の拉致に向かった際、変わり果てた姿の天元を見て、4つ目の顔から宿儺そっくり、と言っていたのも、そういうことだったのだろうね。
想像するに、件の分岐点に達した時点ですでに宿儺は呪術師として相当の実力を擁しており、その分岐点で、彼の力の向かう先を選択してしまったのだろうな。
意外と宿儺は、裏梅ら虐げられた?有能な呪術師の側に立ち、巫女として朝廷との調整役を務めていた天元と敵対するようになったのかも。
つまり、元を辿れば宿儺は、呪術師の自由を求める革命家だった。
それがいつの間にか、単なる破壊を繰り返す呪いの王担ってしまったということで。
宿儺の伝承は、そうした朝廷サイドの評価が基調をつくり、いつしか追われるものとして、宿儺は襲撃者と戦うしかなく、それがまた彼の悪名を高めていくことになった・・・ってことかな、と。
悪循環。
物語の途中で、万が、しきりに「愛」を訴えていたけど、実のところ、宿儺は、生前は愛のために戦っていたのだが、呪物になる決心をした時点で、愛なるものを一切、捨てたのかもしれない。
というか、愛を唾棄するくらい、世界に対する呪詛のほうが勝っていた。
なんなら、愛のことなど忘れるよう、縛りをかけたのかもしれない。
・・・って、これだと宿儺があまっちょろい善人に見えてしまうけどw
まぁ、ダース・ベイダーに転じたアナキン・スカイウォーカーってところかなw
ともあれ、この真人との、極めて人間臭いやり取りと、百葉箱にある指1本からすると、続編、というか、第2部として、宿儺が善玉サイドにつく可能性も高い、とういことなのだろうな。
まぁ、『ターミネイター2』のときのシュワちゃんになる、ってことw
そうした人間っぽい宿儺の機微を、真人が理解できないのは、所詮は真人が、人間から発した呪いの感情から生まれたからなのだろうな。
善を理解する素地を真人は、呪いであるという生まれ=出自から理解できない。
だって理解しちゃったら、真人は自分の存在を全否定しなくちゃいけないから。
あー、でもそうか。
呪いは、本来的に愛を理解できないんだ。
そこが万が強調したいことだったんだな。
愛することのできる呪いを誕生させたいと考えていた。
だから宿儺は「堕天」と呼ばれたわけか。
もしかしたら、平安の呪術は、愛を捨てることで呪いに対処することができるようになったのかもしれない。
いろいろと、続編に向けて示唆的な話だよね。