アヘン戦争(注)で有名な人物、林則徐(1785~1850)はこの地にゆかりがあります。アヘン戦争の責任を問われこの地に左遷されました。しかしこの地でも善政を施し今でも人々に慕われ彼の記念館がイーニンにあります。(写真)ところが不思議なことに現在の中国の中学校の歴史教科書ではアヘン戦争と彼について詳しく述べられているにもかかわらず、この地でのことが触れられていないのが残念です。
この記念館はこのツアーの予定に入っていなかったので自由時間を利用して同行の有志2人とともに出かけました。
(注)アヘン戦争(1840~1842)
清朝のアヘン禁輸措置(このとき先頭に立ったのが林則徐)から イギリスと清国との間で起こった戦争。清国が敗北し、列強と不平等条約を結び、中国の半植民地化が始まる。日本の明治維新の志士たちにもこのことが強い衝撃を与える。さすがにイギリス本国でもこの「麻薬の密輸」という恥ずべき戦争には後の首相グラッドストンを中心に反対が多く議会では賛成271、反対262の僅差で開戦が承認された。