アレキサンダー(アレクサンドロス)大王はあまりにも有名で紹介の必要はありませんがお墓が見つからないのは東の英雄?ジンギスカンと同じです。ところが彼の父フィリッポス2世と彼の息子アレキサンダー4世のお墓はヴェルギナ(07年4月5日の旅程図をご覧ください)に存在することが最近確定されました。(発掘は1972年)フィリッポス2世は息子のアレキサンダー大王が20歳の時、娘の結婚式の最中に親衛隊(ボディガード)の一人に暗殺されました。
その理由について「アレクサンドロスの征服と神話」(森谷公俊著)ではこの親衛隊員とフィリッポス2世の一人の青年をめぐる恋の恨み(同性愛 フィリッポス2世は両刀使い?)が原因と書かれていました。ところが現地ガイドの説明によれば、フィリッポス2世の妻は夫と仲が良くなく息子のアレキサンダーを早く帝位に即けるため仕組んだことだということでした。そこで日本に帰って調べてみると古来この両説は喧々諤々のようです。森谷氏が何故片方の説だけを断定的に書いているのかは私には良く判りません。