100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 海外侵攻時代13 リスボン3 発見のモニュメント2

2009年08月18日 08時25分16秒 | スペイン・ポルトガル

 こちら側の先頭はアフリカ王という異名のあるアフォンソ5世(1432~1481)です。次が誰でも知っている喜望峰を回ってインドに到達したヴァスコ・ダ・ガマ(1460~1524)です。彼はアフリカ東海岸からインドにかけてはアラブ人水先案内人を雇いました。この海域は古くから季節風モンスーン(モンスーンはアラビア語起源)を利用しての交易が盛んでした。

 この水先案内人について遠藤晴男はその著「オマーン見聞録」(p63)で以下のように書いています。「ヴァスコ・ダ・ガマの水先案内人を務めたのはオマーン人の有名な船乗りのアハメッド・ビン・マジッドで*****。筆者は、日本に最初にやってきたポルトガル船にもオマーン人が乗っていなかったと調べてみたが、その痕跡は全く見当たらない」


「スペイン・ポルトガル」編 海外侵攻時代12 リスボン2 発見のモニュメント1

2009年08月18日 08時18分06秒 | スペイン・ポルトガル

 ポルトガルのレコンキスタ完了はスペインより早く1249年でした。したがって海外侵攻も早く具体的には1415年の北アフリカのセウタ(現在スペイン領土で北アフリカにある飛び地)侵略に始まります。このようにポルトガルの海外侵攻は最初アフリカから始まります。それはコロンブスが黄金郷ジャパンを目指したのと同じくアフリカの金でした。アフリカの「金」とヨーロッパの関係ついてはこのブログの2007年6月28日に紹介しているので参考にしてください。

 この海外侵略に重要な役割を果たした人物がセウタ侵略にも参加したエンリケ航海王子(1394~1460)です。その没後500年を記念して1960年に作られたのが「発見のモニュメント」です。先頭が彼です。