唐と新羅の軍隊に扶余が包囲された時、すでに国家の滅亡を覚悟し、妻子を殺して出陣し、4度戦い、4度勝ち、ついに戦死した階伯将軍の銅像が扶余の目抜き通りのロータリーにありました。
バスを止めてもらって撮影しました。私だけでした(ガイドの説明がないから)。
唐と新羅の軍隊に扶余が包囲された時、すでに国家の滅亡を覚悟し、妻子を殺して出陣し、4度戦い、4度勝ち、ついに戦死した階伯将軍の銅像が扶余の目抜き通りのロータリーにありました。
バスを止めてもらって撮影しました。私だけでした(ガイドの説明がないから)。
「百花亭」からみた白馬江です。この川の河口付近で(特定されていない)百済再興の援助のために派遣された大和政権の一万人の兵が唐に敗北します。これが663年の白村江の戦いです。
その後、百済の遺民が大量に日本にやってきました。