日中戦争までは朝鮮人は軍隊に入れませんでした。日中戦争が長引くと日本は不足する軍人数を補うために朝鮮の青年を戦場に駆り出しました。1938年には、小学校を卒業した17歳以上の青年を対象にした陸軍特別志願制度を実施しました。戦況が悪化した1943年からは朝鮮人学徒動員が始まり、翌44年にはついに朝鮮人にも徴兵制が適用になりました。
日中戦争までは朝鮮人は軍隊に入れませんでした。日中戦争が長引くと日本は不足する軍人数を補うために朝鮮の青年を戦場に駆り出しました。1938年には、小学校を卒業した17歳以上の青年を対象にした陸軍特別志願制度を実施しました。戦況が悪化した1943年からは朝鮮人学徒動員が始まり、翌44年にはついに朝鮮人にも徴兵制が適用になりました。
植民地時代(韓国では日帝時代)の状況を示す資料が展示されていました。時間が限られていたので大急ぎで撮影したものを以下5点紹介します。
1926年朝鮮総督府(植民地時代統治のために設けられた日本政府の最高機関)は「朝鮮産米増殖計画要綱」を出しています。それは日本国内のコメの供給が不足しいるので朝鮮で増産してそれを日本国内へという計画でした。1920年~22年の平均生産量=1474万石、移出量=295万石ですが、1930年~32年の平均生産量=1713万石、移出量=724万石で明らかに日本本土へ移出は急激に増加し、朝鮮人のコメの消費量は減少しています。(日本・中国・韓国=共同編集「未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史 」p71.「韓国の歴史を知るための66章」p268)
このビラの漢字から読み取れるのは自分たちの幸せのための増産ではなく(日本への)供出米のための増産とあまりにも露骨な呼びかけですね。ひどいですね。大和協力という漢字がありますね。
戦前、日本人が食べるコメの不足を朝鮮からの供出米に頼っていたことを恥ずかしながら最近まで知りませんでした。