光化門は景福門の正門です。1922年朝鮮総督府は府庁舎を建設するためこの光化門の取り壊しを計画しました。それに対して民芸運動を進めるうちに朝鮮陶磁器に関心を寄せていた(特に庶民の雑器)柳宗光(1889~1961)は「朝鮮建築のために」という文章を発表し反対運動を展開しました。その文章の最後の所を紹介しておきます。
「光化門よ、長命なるべきお前の運命が短命に終わろうとしている。お前は苦しくさぞさびしいであろう。私はお前がまだ健全である間、もう一度海を渡ってお前に遭いに行こう。お前も私を待っていてくれ。お前を生んだお前の親しい民族は今言葉を慎むことを命ぜられているのだ。それ故にそれらの人々に代わって、お前を愛し惜しんでいる者がこの世にあるという事を、生前のお前に知らせたいのだ」
この文章は世界各国で読まれました。結局、光化門は移転保存されることになりました。その後朝鮮戦争で焼失し1968年に元の位置に復元されました。(現在位置)その背後に旧朝鮮総督府庁舎が残り韓国政府庁舎や国立博物館として使用されてきました。しかし韓国民の間でこの庁舎が日帝時代の嫌な思い出ということで撤去運動がおこり(賛否両論あり)1995年に取り壊されました。この光化門と旧庁舎が共に存在していた時の写真が「観光コースでない韓国」にあったのですが、同じく福井氏にこのブログへのコピーは拒否されました。写真は私が撮影した光化門です。