張学良の通学用の車です。近くにお住まいの大連出身の方は張学良はただの「ぼんぼん」「坊ちゃん」に過ぎないと評価されました。現地のガイドさん二人とも中国歴史上一番尊敬する人物は「張作霖」次が孫文、毛沢東と私に語ってくれました。張学良は歯牙にもかけないといった様子でした。
中国の歴史教科書にも出ていない人物「張作霖」を最も尊敬する人物というこの地の一般人の歴史認識に出会ったことが今回旅行の一番の収穫でした。私と安部総理とは歴史認識でかなりの隔たりがありますが、これほどでは無いように思います。
張学良の通学用の車です。近くにお住まいの大連出身の方は張学良はただの「ぼんぼん」「坊ちゃん」に過ぎないと評価されました。現地のガイドさん二人とも中国歴史上一番尊敬する人物は「張作霖」次が孫文、毛沢東と私に語ってくれました。張学良は歯牙にもかけないといった様子でした。
中国の歴史教科書にも出ていない人物「張作霖」を最も尊敬する人物というこの地の一般人の歴史認識に出会ったことが今回旅行の一番の収穫でした。私と安部総理とは歴史認識でかなりの隔たりがありますが、これほどでは無いように思います。
瀋陽にある張作霖(1875~1928)張学良(1901~2001)父子の私邸兼官邸跡を訪れました。張作霖は20世紀初頭中国東北部の実質的支配者でした。そこで満鉄を拠点とする日本との関係が微妙でした。結果日本関東軍によってこの瀋陽近郊の鉄道に爆薬を仕掛けられ爆死します。この爆死現場はツアーコースにはなかったので自由時間を利用して訪れる予定にしていたのですが体調不良のためあきらめました。
その子張学良も日本軍との関係は微妙でしたが、結局、日本軍との対決を決断して当時の中国での2大勢力蒋介石国民党と中国共産党との対日統一戦線結成のため蒋介石を西安の華清池の一角に閉じ込め説得し国共合作に成功します。(1936年)したがって現代中国では張学良を「愛国的将校張学良」(世界の教科書シリーズ 中国の入門歴史p988)と評価されています。ところがこの書では張作霖爆死事件についての記載はありません。というわけでこの屋敷跡の入り口にこの様な張学良の銅像がありました
なお、西安事件とその現場をこのブログn2011年1月22日に紹介しています。