100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代5 セゴヴィア2 水道橋2

2009年06月15日 08時38分08秒 | スペイン・ポルトガル

 この水道橋の建設について伝説が残されています。2000年前少女が井戸からの水運びに疲れ果てて自分の魂を売ってもよいので楽な方法を見つけくださいと悪魔にお願いしました。悪魔は夜中に水道橋を建設しますが、少女は魂を売ったことを後悔して神に許しを請います。神はその願いを聞き届け悪魔を懲らしめますが、水道橋は完成します。

 前回紹介したタラゴナにも同じ頃作られた水道橋があります。少し町から遠いので行くことはできませんでしたが、悪魔橋という異名がついています。今でもこのローマ人の土木技術には驚嘆させられますが、当時のこの地の人にはまさに悪魔の仕業としか考えられなかったのでしょう。


「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代4 セゴヴィア1 水道橋1

2009年06月15日 08時32分07秒 | スペイン・ポルトガル

 セゴヴィアは前述のケルト人の町でしたが紀元前80年にローマに占領されました。そのローマ時代の遺跡で有名なのが水道橋です。紀元一世紀前後に15km離れた河から水をセゴヴィアの町まで引くために作られました。全長は728m、高さは28mあります。1884年まで実際に使用され1928年からはここに水道管か設置されました。したがって現役というわけです。


「スペイン・ポルトガル」編 ローマ時代1 タラゴナ1

2009年06月13日 08時50分36秒 | スペイン・ポルトガル

 スペイン・ポルトガルに戻ります。ケルトの後にやってくるのがギリシア人、フェニキア人(カルタゴ)で、その後を追ってローマ人が来ます。セヴィリアを南に下った所にあるカディスという町は紀元前10世紀にこのフェニキア人が築きました。(2009年3月29日)しかし今回そこは訪れませんでした。残念! ローマ人は紀元前3世紀にこの地に入りカルタゴ人との角逐が始まりローマが勝利したことは良く知られたことです。そのときのカルタゴ軍の名将ハンニバルは有名です。そのローマがスペインに入り最初に築いたのがタラゴナ(当時名タラーコ)(2009年3月29日地図)の町で紀元前218年のことでした。その後5世紀にゲルマン族の西ゴートに占領されるまでローマの支配下にありました。そこでタラゴナには数多くのローマ時代の文化遺産が残されています。 ローマ遺跡といえば円形競技場です。

 Fengdanさんコメントありがとうございました。紫陽花は日本が原産地のようですね。それがヨーロッパに輸出され改良されセイヨウアジサイになりそれが日本に逆輸入され現在日本で見る紫陽花の多くはこのセイヨウアジサイだそうです。花が2種類に分かれているようなのを見ることがありますがこれが日本原種のガクアジサイのようです。私がよく拝見するホームページ「憩いのホームページ」は花が良く登場するのですが、それによれば紫陽花の花言葉は「無情」「あなたは冷たい」(本日のページ)だそうです。なお、このアイルランドの紫陽花は8月に撮影しました。日本より季節的に遅いですね。


「アイルランドのケルト」編 小妖精

2009年06月11日 08時20分26秒 | アイルランド

 バスでこっくりこっくりしていてふと眼を開けたとき目に飛び込んできたのがこの写真の道路標識でした。思わず「バスストップ!」と声を上げました。同乗の人たちはビックリして私を見ました。お詫びを言いながらバスを臨時停車にしてもらい写真を撮りました。”Leprechaun crossing” 「レプラコン(小妖精)横断歩道中」ということです。事前に読んでいた司馬遼太郎の「愛蘭土紀行」にこの道路標識の話が載っていたのを瞬間思い出したというわけです。

 現地ガイドの一人が、実在を信じているようで、真剣に真面目に妖精の話をしていたことを今思い出しました。このアイルランド人の妖精好きはケルトの伝統だそうです。そういえばアイルランド人を父に持つラフカディオ・ハーン小泉八雲も妖怪、妖精が好きですね。


「アイルランドのケルト」編 ケルト語=ゲール語=アイルランド語

2009年06月09日 08時08分26秒 | アイルランド

  アイルランドの第一公用語はケルト語に起源を持つゲール語です。第二公用語が英語です。小学校、中学校ではゲール語が必須科目です。したがってEUの公用語でもあります。但し母語としている人は4万人ぐらいだといわれています。道路標識などの文章は上にゲール語、その下に英語が書かれています。

 ゲール語を母語としている人が多数のアラン島の博物館に次のような文章が展示されていました。写真が少し見難いので原文を写しました。上部の字がゲール語です。

 In my cottage I have never heard a word of English from the women except when they are speaking to pig or dog . JM Synge  

 英語は豚や犬の言葉であるということなんでしょうね。

 [現代ヨーロッパの言語 田中克彦・ハールマン著」(1985年)はゲール語について次のように書いています。

 [ 総人口348万のうちアイルランド語の母語話者が4万人、第二言語として話す人を併せると79万人。17世紀以後、アイルランド語の受けた言語弾圧は英語圏では類を見ないほどのものであって、たとえば母語で書く詩人は投獄された。 ]


「臨時」編 南アフリカのWCサッカー場

2009年06月07日 08時47分23秒 | アフリカ

 私は特にサッカーファンでもないしナショナリストでもなく、世界で活躍する日本(人)の試合に「ニッポン・ニッポン」という応援をテレビなどで見ていると気分が悪くなります。しかし今朝のニュースによれば2010年サッカーWCに出場権を得て南アフリカに行けるということなので2007年10月に見たケープタウンのサッカー場建設中の写真を紹介しておきます。


「アイルランドのケルト」編 タラの丘1

2009年06月07日 08時39分44秒 | アイルランド

 ケルトといえばアイルランドを思い出します。古代ケルト民族の血や言語を最も良く伝える民族がアイルランド人だとされています。そこで横道に逸れますがアイルランドのケルト的な要素をいくつか紹介してみます。2003年8月の旅行のときのものです。

 アイルランドにケルト人が来たのは紀元前三世紀頃とされています。 映画「風とともに去りぬ」でスカーレット・オハラの「タラへ帰ろう」というセリフをご存知ですか。彼女はアイルランド系の人物なのです。そのタラとは「タラの丘」として有名なところで古代ケルト人が最初に作った連合王国の大王タラの名に因んだ丘でアイルランド人の心の故郷です。19世紀にはオコンネルがタラの丘でアイルランド自治を訴える演説会を開きましたが、この集会には100万人ものアイルランド人が集まっています。アイルランド人の民族意識の原点です。写真はきれいに整地されているタラの丘です。


「スペイン・ポルトガル」編 ケルト人2

2009年06月05日 08時39分44秒 | スペイン・ポルトガル

 レオンからルーゴに向かうサンティアゴ巡礼道(2009年3月29日地図)にセブロイ村があります。

 「地球の歩き方」(p385)には少し微妙な言い方でセブロイを紹介しています。「スペイン北部には今もケルト遺跡やケルト文化の名残が見られるが、その一つがセブロイに残る独特な形をした家屋だ。ケルト遺跡を思わせる円形の低い石壁に粗朶葺きの屋根を載せた家々には、つい最近まで人が住んでいたという」(アンダーラインの部分に注目)

 この本より詳しい”lonely planet” にはこのセブロイについて記載がありません。そして次のようなことが書かれています。

 「多くのガルシア人(注)は自分たちの先祖はケルト人だと信じているがそれは19世紀ロマン主義のナショナリスト(民族主義者)の創作であるかなり疑わしいガルシアケルト起源説である」(p536) 

 としてみると、このセブロイもこのナショナリストの創作ではないかと私は疑っているのですが。

 しかし、まずはその家屋を写真で。 

 (注)ガルシア人とはサンティアゴ・デ・コンポステラを州都とする地方の人たちで独自の文化と言語を持ちます。したがってガルシアナショナリズムなるものが存在します。歴史教科書の問題で最近も中央政府との対立がありました。ついでに余談話を一つ。キューバの元首相カストロのルーツはここガルシア地方です。村の名前にカストロというところがあります。

 Fengdanコメントありがとうございました。1万5千年前にこんなすばらしい絵を書いていたのですね。

 中谷さんお久しぶりです。立派なパンフレットを期待しています。なお中谷さんは現職の添乗員です。デスクワークもしているのですね。  


「スペイン・ポルトガル」編 ケルト人1

2009年06月03日 08時27分16秒 | スペイン・ポルトガル

 サマランカ大学の構内の案内所のようなところでふと見かけたのが写真の遺物です。文様から見てケルト人の遺物ではないかと思い尋ねるとそうだという答えが返ってきました。

 ケルト人とは古代ヨーロッパの中部に住み、ケルト語を使用した人々。前3千年紀~前2千年紀にケルト文化(オーストリアのハルシュタットが有名)を形成。その後西ヨーロッパに移住。というのが辞書的理解ですが、難しくなるのでヨーロッパ先住民族と簡単に理解しておきます。そのケルト人がピレネー山脈を越えイベリア半島に入ってきたのが紀元前900年頃だとされています。彼らは先住民であるイベリア人と混血して現在のスペイン人の原型が形成されたとされています。ということでスペイン北部ではケルト人の遺跡、文化の名残が残っています。