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100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「スペイン・ポルトガル」編 トリヴィア2 アボカド

2009年09月17日 08時31分22秒 | スペイン・ポルトガル

 この写真はポルトガルですが、スペインでもたくさんこのabogadoの表札を見ました。アレ、果物のアボガドのことで果物屋さんかな?と思いました。違いました。Abogado は弁護士のことだそうです。

 いつも引用するウィキペディアも気になるようで以下のような記述がありました。果物のアボカトを「日本で『アボガド』と呼ぶ人が多いが、『アボカド』が正しい名称である。ちなみに、『アボガド』(abogado)はスペイン語では弁護士を指す言葉である」

 なお、写真はスペインでのものがなく、ポルトガルのもので代用したのでadvogadoとなっていますが、スペインで見たのはabogadoでした。スペイン語とポルトガルとは親戚関係なのです。

 

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「スペイン・ポルトガル」編 トリヴィア1 バル

2009年09月17日 08時27分06秒 | スペイン・ポルトガル

 バルは朝のコーヒー、昼はランチと飲み物やおやつ、夜は一杯という喫茶店、レストラン、酒場を兼ねたスペインではどんな小さな田舎にでもある店です。今回の旅でもトイレ、エスプレッソ、自由食事で大変お世話になりました。

 カウンターの下を見てください。紙くずがたくさん落ちています。掃除はしないのです。客がたくさん来て繁盛している証拠なんだそうです。

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「スペイン・ポルトガル」編 闘牛4

2009年09月15日 08時25分21秒 | スペイン・ポルトガル

 闘牛は最後には殺されるわけですが、ここはその所です。そして闘牛の肉であることを明示して売りに出されます。現地ガイドの話では、不味いので値段も安いそうです。ところが前述の「読んで旅する世界の歴史と文化 スペイン」では「赤身の濃密な味は天下一品」(p276)とありますが、どちらが本当なんでしょうかね。

 ついでに以下のウイキペディアの一文をそのまま転載しておきます。「2000年代に入り、動物愛護団体からの強い批判や闘牛への人気不振を受け観客数が激減。特に2007年8月、国営放送が闘牛の生放送を中止してからの衰退ぶりは激しい。バルセロナでは2008年からの闘牛禁止が決定、2007年にはバルセロナ唯一の闘牛場の閉鎖もされている。現在ではかつての闘牛に代わって、向かってくる牛を曲芸師がジャンプして躱すなど、牛を傷つけない曲芸が行われている」

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「スペイン・ポルトガル」編 闘牛3

2009年09月15日 08時20分48秒 | スペイン・ポルトガル

 ここの場所から闘牛は出てきます。危険なので上からクサリで出口を空けます

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「スペイン・ポルトガル」編 闘牛2

2009年09月13日 08時18分02秒 | スペイン・ポルトガル

 中に闘牛博物館がありました。闘牛士の服装です。

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「スペイン・ポルトガル」編 闘牛1

2009年09月13日 08時14分29秒 | スペイン・ポルトガル

 マドリッドでは私を除く殆どの人たちが自由時間に闘牛見物に出かけました。皆さんの感想はすべて「可愛そうだ」「残酷だ」「つまらない」などのマイナス評価ばかりでした。

 しかし、「今日では、闘牛は国民的祝祭と言われるほど、スペイン人にとってはなくてはならないものである」(読んで旅する世界の歴史と文化 スペイン p266)ということでスペインでは500以上の闘牛場があります。その中で1785年に作られたスペインでもっとも古いとされるロンダ(3月29日旅程図)の闘牛場を見学しました。(闘牛見学ではない)

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「スペイン・ポルトガル」編 ファド4

2009年09月11日 08時36分06秒 | スペイン・ポルトガル

 というわけで彼のCDを買いました。Saudades de Coimbra (コインブラの郷愁)と書かれていますね。

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「スペイン・ポルトガル」編 ファド3

2009年09月11日 08時33分08秒 | スペイン・ポルトガル

 ファドはリスボンで生まれましたが、学生の町コインブラ(3月29日の旅程図)で学生たちに歌われたのがコインブラ・ファドです。写真はコインブラ・ファドの歌手Frederico Vinagreさんです。ここでは数人のファドを聞きましたが私には彼のコインブラ・ファドが一番気に入りました。

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「スペイン・ポルトガル」編 ファド2

2009年09月09日 08時22分34秒 | スペイン・ポルトガル

 伴奏楽器はギターラと呼ばれるポルトガル独特のギターです。写真がそれです。私はオンチなので楽器のことも良く知りませんが、6組の複弦で全12弦、形も普通のギターとはだいぶ違うようですね。

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「スペイン・ポルトガル」編 ファド1

2009年09月09日 08時16分14秒 | スペイン・ポルトガル

 日本で演歌、フランスでシャンソンといえばポルトガルではファドです。ということでポルトガルのリスボンでファドを聞きに出かけました。ファドは「運命」「宿命」を意味します。また、歌詞の中にサウダーデ(郷愁)という言葉が多く出てきます。したがってテーマは人生の哀感を歌ったものが多いそうです。

 起源にはいろいろ説があるようですがリスボンの底辺の人たちとブラジルの黒人奴隷の音楽が融合して19世紀に成立したというのが一般的のようです。

 なお、今回の添乗員堤さんが中丸明の本の一節を引用してポルトガル人の海外侵攻時代の家族たちの思いを歌ったものだとの説を紹介しましたが、ウイキペディアではそれについて以下のように書いています。「大航海時代に帰らぬ船乗りたちを待つ女たちの歌という起源説は、1974年まで続いた独裁政権の文化政策の中で作られたでっちあげである」

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「スペイン・ポルトガル」フラメンコ8 グラナダ3

2009年09月07日 09時00分08秒 | スペイン・ポルトガル

 家族出演のようです

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「スペイン・ポルトガル」編 フラメンコ7 グラナダ2

2009年09月07日 08時57分38秒 | スペイン・ポルトガル

 もう一枚

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「スペイン・ポルトガル」編 フラメンコ6 グラナダ1

2009年09月07日 08時50分20秒 | スペイン・ポルトガル

 ツアーコースには入っていなかったのですが、グラナダでは洞窟で行われるフラメンコに出かけました。

 フラメンコの成立については不明な点が多いようですが、確かなことはスペインに残された隠れイスラーム教徒とヒターノ(スペインに住むロマ人《ジプシー》)の芸能が融合して18世紀末に成立したことです。 グラナダではロマ人(ジプシー人)が住む洞窟でのフラメンコでした。本来フラメンコはこのように個人の家プライベート空間で行われるものでした。

 Fengdan さんお久しぶりです。フラメンコの起源については今日少し紹介しましたが少しし注を入れておきます。ロマ人(ジプシー人)と書いていますが、最近ではジプシーと言う呼称は侮蔑語だということで使用されなくなっています。今朝の朝日新聞にはロマ人に関する記事が掲載されていましたが、ジプシーという語は一切用いられていませんでした。 

 今回のこの旅行中添乗員の堤さんが「ジプ**」といいかけて慌てて「ロマ人」と言い直したことを思い出しました。

 ついでにもう一つ余談話を。北欧の少数民族サーメ人の民族博物館で添乗員がラップ人と紹介してそこの係りの人から注意を受けたことを思い出しました。サーメ人は以前ラップ人と呼ばれたことがありましたがそれは「単純な人」という意味で侮蔑語ということで現在はサーメ人と呼ばれているのです。

 更にもう一つついでに。北極圏にエスキモーと呼ばれる少数民族が住んでいますが、彼らは自分たちを「イヌイット」と呼んでいるので「エスキモー」でなく「イヌイット」と呼ぶべきだという説がありますが、これについてはまだ決着がついていないようです

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「スペイン・ポルトガル」編 フラメンコ5 セビーリャ4

2009年09月05日 08時21分07秒 | スペイン・ポルトガル

最後の一枚

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「スペイン・ポルトガル」編 フラメンコ4 セビーリャ3

2009年09月05日 08時16分53秒 | スペイン・ポルトガル

 もう一枚

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