慶州には石窟庵と同じころやはり金大城によって創建され同じく世界遺産に登録されている仏国寺があります。
「石窟庵を来世の父母の菩提を弔うために建てられたとすれば、仏国寺は現生の父母の安寧を願うために建立した」と韓国で最も古い歴史書「三国遺事」に記載されています。(崔碩義著「韓国歴史紀行」p255からの孫引き)
お寺への寄進はこのように屋根瓦のかたちをとるのですね。国際色豊かです。中華民国(台湾)、イタリア、スイス、メキシコ、ドイツの人の名前がありますね。その他インド、チリ、ヴェトナム、トルコ、ハンガリー、日本、その他アラビア語で書かれているためわたくしには国名不明のものありました。
石窟と言っても自然の洞窟ではなく人工のものです。内部の本尊はお釈迦さまです。周りに菩薩像、羅漢さんなどがあります。私たち一般客はこの釈迦如来坐像をガラス越しにしか見ることはできません。そのため写真が少しボケています。
日本民芸運動の柳宗悦はその著「石仏寺(石窟庵)の彫刻について」で以下のように記しています。
「東洋の文化がその高潮に漂ったときに、その霊気に活きた新羅の人によって始創されたのである。***この窟院こそ一国の制作ではなく実に隋唐の仏教の結晶であり、ひいては東洋の宗教ならびに芸術の帰結であった。***この石仏寺(石窟庵)の彫刻が世界に誇るべきに値するから、これを世の中に紹介する最初の一人になるつもりだ」(崔碩義著「韓国歴史紀行」p245からの孫引き)
2011年3月29日から始まり2011年8月20日から中断していた「韓国」編を再開します。
慶州(2011年3月29日旅程表)は紀元前57年から始まり朝鮮半島に最初の統一王朝を建て紀元後935年に滅びた新羅の古都です。そのため2つの世界遺産を含む多くの文化遺産があります。
私たちが最初に訪れたのは1995年に世界遺産に登録された石窟庵です。石窟庵は新羅王家の菩提寺として751年宰相金大城によって創建されました。
今回お世話になった現地スタッフの皆さんです。左から、アシスタントのフィナさん、日本語ガイドのマミさん、ドライバーのセラさん、荷物車ドライバーのエリさんです。大変お世話になりました。ありがとうございました。
今回で「マダガスカル」を終わりにします。次回からは?
2012年12月31日に紹介したようにマダガスカルに人類が住み始めたのは新しく2000年~1500年前からですが、国家の形成も遅く約500年前頃と言われています。その中で最も大きな国家はメリナ王国でした。その最初の首都がアンブヒマンガでした。その後1794年首都はアンタナリヴへ移ります。1896年にはメリナ王国はフランスによって滅ぼされフランスの植民地になり1960年共和国として独立を回復します。現在の国旗はメリナ王国に由来しています。アンタナリヴの王宮は世界遺産指定の直前1995年火事により(放火説あり)喪失し、現在メリナ王国の面影はアンブヒマンガに残されています。アンブヒマンガは聖地で現在は公開されていますが、以前は外国人の立ち入りは禁止されていました。
写真はアンブヒマンガ王宮跡(現在博物館)入り口ですが、2013年10月23日に紹介したトラブルでわれわれ車が立ち往生しているところです。