私には建物などについては全く無知ですが窓の木の格子が面白いと思いました。
ヴィガンの歴史は古く南シナ海に接していることから中国との絹航路の拠点として栄え多くの中国人が移住してきました。そこにスペイン征服者(conquistador)がやってきてここを支配しフィリピン北部の政治的、宗教的、経済的の拠点になりました。
第二次世界大戦時には日本軍によって占領されその後アメリカ軍によって攻撃されあわや町全体が崩壊されるという事態になりましたが、ある日本人の機転で崩壊を免れたという話が残っています。Lonely planetの記載によれば日本軍がこの町から逃げさったのでアメリカ軍の破壊作戦は流産したと記述しています(p121)。とにかくそのため他の都市の多くが破壊されましたがここヴィガンは破壊を免れ世界遺産登録に登録されているというわけです。
ヴィガン(現地ではヴィーガン=現地ガイドの話)は1999年に世界遺産に登録されました。(120棟の建築物)フィリピンの中でも最もスペイン情緒あふれるコロニアルな町ということです。語彙力不足の私にはうまく表現できませんが何か趣(おもむき)のある町でした。世界各国からの観光客が多いようでこのような三輪車などが活躍していました。
フィリピンには中国人の血を引く人が多いようです。現在の大統領ロドリゴ・ドゥテルテ、たびたびこのブログでも登場したマルコス元大統領(日本人の血も?)など政財界での有力者には中国系の人が多いようです。しかし彼らの信仰はやはりカトリック教かな?と思っていました。
海岸線の町サン・フェルナンドにある中国寺院に出会いました。現地での説明も「地球の歩き方」でも単に中国寺院との説明でしたが、MA-CHOとあり、私は媽祖神(英語表記はma_zu)のお寺だと思います。媽祖は道教の神の一つで船乗りの守護神で中国南方の海岸地方、台湾などで(日本にも痕跡)信仰されています。「台湾」編を中断していますが再開時には台湾の媽祖信仰について紹介予定です。
このように教会での結婚式は珍しくありません。以前紹介したように中国でもハルビンで遭遇しました。2016年8月14日に紹介しています。というようにこのことからもその国の信仰状況について考えることは出来ませんし、特に私などには全く不能です。ここフィリピンでのカトリック信仰についても私には無縁です。しかし旅行前以下のような文章に出会っていました。
「今日でもフィリピンのカトリック信者の多くは聖書を持たない。特に農村部では聖書を自宅にもつ者はほんのわずかであるといってよい。聖書にかわって、パッション***が広く用いられているのである」(「現代フィリピンを知るための61章」p86)
「パッション」について注を入れておきますと「天地創造からキリストの誕生、受難、十字架の死、黙示録までが描写されているフィリピンで創作された叙事詩です」
単純化するとフィリピンでのキリスト教信仰は聖書ではなくこのパッションによるということです。そこで今回の旅行でフィリピン人にこのことを尋ねてみました。ある程度の年配の人は私の理解に基づく質問に肯定的に答えてくれました。しかし、やや若い世代の多くは「パッション」という言葉を知りませんでした。現地ガイドのVERGIE SOULISにそのことについて尋ねるとそうでしょうね、という返事でした。というわけで私の疑問は聖書も持たず、パッションも知らない信仰は若い世代ではどうなっているのだろうと、この結婚式に出会いながら考えました。(余計なお節介)
マニラ大聖堂は1581年建立でその後第2次世界大戦による破壊などで8回の再建立が行われフィリピンで最も重要な教会とされています。再建には当時の神奈川県知事の援助があったとされています。我々が訪れたときは結婚式が行われていました。
右側は鐘楼ですね。何か要塞のようにも見えますね。じつはこの教会は丘のうえにあり要塞を兼ねて造られたということです。実際に1896年のフィリピン革命の際には革命派の要塞としての役割をしました。
カトリック教はスペイン支配の尖兵であると同時に、一方ではスペインからの自立、独立の拠点という相反する役割を歴史的に担ってきました。それについては後日チャンスがあれば少し紹介してみたいと思っています。