風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

我が家の婦人の日

2006年03月08日 | チンゲル亭
 





一日の終わり、思いがけない婦人の日になりました。

何が食べたいとたずねられ、「寿司」と答えたら、「よし!」というので、日本食のあるソウルレストランに連れて行ってくれるのかと思ったら、ご飯を炊き始めた。
          あれ?
日本から持ってきた、レトルトの散らし寿司を作ってくれました。
そして、散髪のついでに買ってきたシャンパンもありました。

へぇーーー。
しかも、錦糸玉子も自力で作ってありました。
すゴーーーい。

うれしい、一日の終わりでした。
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3月のSAVE THE CHILDREN

2006年03月02日 | チンゲル亭
お手玉 ひな祭りの歌にあわせて               出来上がったャXター

                授業風景


 3月になった教室、会話の授業の後は、先週に引き続き「うれしい ひな祭り」の歌唱指導と歌いながらのお手玉遊び。
たった一人の男の子が、お手玉を恥ずかしそうに操っていたのが印象的
みんな、器用な子、ブキッチョな子いろいろ。

今日の、授業は、「時間」
気がついたら、急に鸚鵡返しが上手になった子がいる。
耳の壁が取れたみたい。
「いち」と「しち」の発音を何度も繰り返しました。
そして、「へ」が「ひぇ」にならないように。

ャXターには、苦肉の策の「貞子の会」が毎年開く千羽鶴を日本に送る催しのカラーの新聞記事も貼られていました。
名実共に、日本語と折り紙の教室になったというわけです。



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SAVE THE CHILDREN 写真展当日

2006年02月28日 | チンゲル亭
 ニーナ賞1位写真        1位受賞式               2位写真



               2位取材中





トヤ先生(写真指導)                                   先生たち


ザナバザル美術館特設会場で、写真展がありました。
SAVE THE CHILDRENの写真の教室の子どもたちの写真が全部展示してありました。

1位の写真は、UBのビルの間から写したようです。
2位の写真は、どこからなのか聞けませんでした。
授賞式の写真は、器材提供をしているスイス人とセンターの責任者と通訳1位の男の子が写真に写っています。
その天井にかかっている赤い輪は、ゲルの天井になる木の枠が装飾として使ってありました。
手前に写っているのは、常設のショップの売り物の彫像で、写真展には関係ありません。

トヤ先生は、パワー一杯の方で、子どもたちをぐいぐいと引っ張ってきたのでしょう。
その期待にこたえて、受賞した二人は、センターに学びに来る子どもたちにとって、希望の星です。

先生たちの写真のうち男性は、モンゴルセンターの村上日本語教師です。
間もなく任期を終えて帰国されます。
ご苦労様でした。

2位の取材されている子どもは、初めてのことにとても緊張していました。

SAVE THE CHILDRENの顔見知りの先生4人のほかに、校長先生と呼ばれている方に紹介されました。
日本語と折り紙を二人で教えていますと、通訳してもらったら、日本語で「ありがとう」と答えてくれました。

今朝、いろいろと迷っていることを、吹っ切ってきたおかげで、あれもこれも納得。
それぞれの知り合いが見に来てくれたことがうれしく、楽しく写真展を見ることが出来ました。

小さいことにこだわらずに、助け合って、楽しく続けられたら、そして、その喜びが子どもに伝わることが、私にとって「VERY GOOD」なのです。

ドギーさん 「日本語の先生」
私     「いいえ、私は○○子さんよ」
ドギーさん 「いえいえ、私たちにとっては、先生です」

というやり取りがこれからも続きます。
心を込めて、背伸びをしないでお手伝いさせていただきます。

写真展をきっかけに、風が吹いた私の心の中に、ほんの小さな何かが生まれたみたいです。








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陶芸

2006年02月26日 | チンゲル亭
ろくろ第1作 といっても99%先生の手になる取っ手は一応私



    一輪挿し(ペンたて?)と手ひねりの小皿(径5cm)


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SAVE THE CHILDREN

2006年02月24日 | チンゲル亭
昨日の活動日には、モンゴル日本センターの業務の引継ぎのために、MさんとSさんがいらっしゃっていました。

私のつたない授業を、見学されたり、写真を撮られたり。。。
余裕なく、なんとか授業を行なっている私にとっては、専門家に見学されるのは恥ずかしく恐れ多いことでした。
何しろ、無手勝流の授業なのですから。
少し私の気持ちが落ち着いたら、感想など聞きに行くことにしましょう。

しかし、担当の方が変わってもきっちり引継ぎをし、また、たまたまだったのか、私たちが活動をしている日だから選んでくださったのか、顔をあわせるときに来ていただいて、頼りになる方たちなのだと思ったことでした。
これからは、いろいろとお聞きしたいことが増えてくることでしょう。
よろしくお願いします。

いろんな状況を、話されて、おそらくちゃんとした教師を派遣することの重要さも感じられたことでしょう。
それは、子どもたちにとっても願ってもないことでしょう。
それは、決して、私の非力で資格がないということを卑下しているのではなく、彼らたちにも平等なチャンスを与えてあげられるなら、隠れていた能力が表に出てくるのなら、コミュニケーションを取るなどと控えめなことを言っていないでも済むのですから。

写真の教室も、コミュニケーションを目的に始めたことが、賞をとるほどの腕になったと、驚きをもってドギーさんやモギーさんが言っていました。
やはり、それほどの力をつけられたのは、その道の専門家が携わったからなのです。

気楽に、笑顔で係わるには、授業と言うのは私にとって気の重い作業です。
私の前にも携わっている方がいらっしゃると言うことですが、その方も大変な思いをなさったことでしょう。
出来るなら、プロの方たちのサメ[トと言う形で携われると、うれしいなぁ。

隣のおばちゃん感覚で、携われる方法を考えてくださいな。


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納豆その後

2006年02月23日 | チンゲル亭
大成功!と思った納豆は、それほどでもなかったようです。
糸の引きが余りなくて、おいしいとは言いがたいようでした。
私は、納豆を食べません。
ですから、良し悪しよく分からないのです。残念。
それでも、夫は食べています。一応おいしいといっているのですが。。。

第4回目を作るべく、メルクーリに大豆を買いに行きました。
1キロ、1,500トグルク
すると同じ店に納豆を売っていました。
何と、3パック組みが2,500トグルクです。

4回目がもっとおいしく出来ますように。
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SAVE THE CHILDREN 写真展

2006年02月23日 | チンゲル亭
SAVE THE CHILDRENの写真の教室の子どもたちの写真展が開かれます。
昨年12月19日に、招かれて写真展に行ってきたことは、ここでお伝えしました。
そのときの子どもたちのうちの二人が、モンゴルのニーナという有名な写真家(故人)の名前のついたコンテストで、1位と2位を獲得しました。

それで、ザナバザル美術館の特設展示場で、写真展を開いてくれることになったそうです。

                  記

日時 2006年2月28日(火曜日)  15時から
場所 ザナバザル美術館

お近くの方、お時間がありましたら、いらっしゃってください。
ご近所誘い合わせていってきます。
そのときの様子は、また、後ほどお伝えいたします。


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服飾研修

2006年02月22日 | チンゲル亭
ジャガーさんは7ヶ月の服飾の研修を日本で受けてつい最近帰ってきました。
7ヶ月間の幸せな研修期間は、見せてくれた写真の彼女の表情が物語っていました。
財布が丸見えのバッグを肩にかけていても、盗られる心配がない。
人々は、親切で押しのけられることがない。
町は清潔。
何より、自分の専門の勉強で、教材が潤沢であったこと。
先生が優しくて、熱心だったこと。
モンゴルでは、4~5人の学生が一着の服を作成し、それは、モデルに合わせて作るので出来上がっても誰も切ることが出来ない。そしてそれはやがて、捨てられるのだそうです。

日本では、目を見張るほど多種類の、生地を選び、一人一人が自分のサイズで一着の服を仕上げます。
そして、ファッションショーで発表するのですが、ずいぶん長い時間をかけて、完成を目指すことに驚いたそうです。
モンゴルでは、突然ショーの日が決まり、一日で仕上げるそうです。
いろんな行事が、その日まで分からない、その日の朝になっても始まる時間が分からないということが良く聞かれるのは、そういうことなんだなぁ。
思いつきで、イベントをやっているようです。
話は飛びますが、いまだに今年のモンゴル建国800年の記念行事も、いまだに日程がわからないと言うことは、こういうことなんですね。

すっかり、話すことには不自由がなくなった彼女です。
学生に教えていると、また、さらに学びたくなったそうです。
日本の大学の入学についても調べたそうですが、試験問題が余りに難しかったそうです。

先生に、会話は蒙大丈夫ですから、漢字を覚えてまたいらっしゃいと言われたそうです。
漢字は、辞書を引いて、ひたすら書いて覚える作業しかないでしょう。
確かな目標がある彼女は、きっとがんばれることでしょう。

             がんばれ ジャガー!
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ドガラ教授の話

2006年02月22日 | チンゲル亭
ドガラ教授は、一昨年60才になりました。
その教授が大学に留学したときの話です。
数学に非凡な才能を示した彼は、UBを通り越して、いきなりロシアの大学に行ったそうです。
ホブドと言う西の端の田舎から、ロシア語も知らないで留学をしたというのですから、それだけでものすごいのです。

40年以上前の話ですから、ホブドでは、お金を使うこともなく、買い物もしたことが無かったそうです。
ですから、言葉も分からず、お金の使い方も分からず、買い物が出来なかったそうです。
10日ほど水だけで生きていたとき、何かの記念日に突然花火が上がったそうです。
それはそれは体験したことのない大きな音だったそうです。
言葉も分かりませんから、その日、花火が上がることなど知りもしませんでした。
その突然さと余りの音の大きさに、第三次世界大戦が起きたと思ったそうです。

空腹と疲れと驚きと恐浮ナ、彼は気を失ったそうです。
病院に担ぎ込まれて、点滴を受けるほどの重症で、何ヶ月かの入院を余儀なくされたと言うことでした。

彼の指導教官たちは、彼を国に帰すことを検討したそうです。

しかし、彼を良く知る教官の一人が、彼の優秀さを話しました。
それは、教官が前に来なさいと言っても言葉も分からないので、教官が彼の席までやってきて、手を引いて黒板まで導いたそうです。
そして、そこに書かれた数式を解きなさいと指差すと、あっという間に難問を解いたと言うことです。
それで、彼は学校に残ることが出来、入院中にロシア語を覚えたそうです。

もっと、面白いエピソードを聞きましたが、夫は、彼が本を書くことを勧めたそうです。
ですから、もっと面白い話は、彼が本を書いてからのお楽しみにいたしましょう。

夫が、教授が自分のことを語るのは初めてだといっておりました。
モンゴル語の通訳さんを雇ったおかげか、2年半経って教授がやっと気安くなってきたおかげか分かりません。
あきれるほどすごい体験をされたことを聞いて、穏やかな芯の強い、派手なことを好まないドガラ教授にちょっと興味を持ちました。
昔昔、学ぶことを始めた人たちにとっては学ぶこと事態が戦いであった時代なんですね。

そのような、話を聞いて若い通訳さんは、驚きとても興味を持って目を丸くしていたそうです。

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甲斐ちゃん

2006年02月21日 | チンゲル亭
お客様

お母さんの次に好きなノホイ(犬)の縫いぐるみ



どう?僕、かっこよくなったでしょ


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