風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

日々是好日

2019年01月17日 | 論語と
素読の会の須藤先生のお話は、今年の干支についてと、映画「日々是好日」から、鰍ッ軸の言葉についてのお話でした。

亥は本当は豚だったという話。

誠実に考えすぎて、行動が遅くなる豚と、猪突猛進の亥。

なんて面白いのだろう。

どういう訳か、間違った方が面白いのは、世の常で、面白いからこそ、ずっと、訂正されずに伝わったともいえるのかなと、思う。

須藤先生のいつもの新年は、家持の「あらたしき」の吟詠から始まります。
そして、今日のお話の中に、先生のお好きな梅の花が出てくるので、「寒梅」もそれぞれ参加メンバーにお願して吟詠していただきました。

須藤先生の別の会場の論語の会の方が、新しく三名参加でした。




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復活

2018年12月20日 | 論語と
第三木曜日、新越谷サンシティーの「素読の会」 須藤先生復活

        おめでとうございます!


今日は、試運転です。このまま、3月まで、体の調子を見ながら、進めていかれます。

そして、いよいよ、平成31年4月から、公式に発表し、再出発となります。

この講座は、論語だけの方と、詩吟もなさる方とがいて、今日の論語だけの出席者は、7人でした。
7人も増えると、30人定員の会議室は、賑やかいなりました。


先生も、それに力を得て、いつもの7割くらいのパワーで、お話をなさいました。
ほんのちょっとだけお話をなさって、お帰りになる位と思っていた人もいましたが、いつも通りのお話が、2時間余りも続くとは!

やはり先生は、みんなの顔を見ながら、話をなさるのが、とてつもなくお好きなのだと、思いました。


今日は、復帰第一日目の先生のお話は、どんな感じなのか、ドキドキしながら、席につきました。

愚にもつかないことを思いあぐねていたものだから、忘れ物をしたり、気持ちが行き届かなかったり、復帰された喜ばしい日に、もう少しなんとか、それらしいコメントで、お迎えできなかったのかと、反省。

言い訳をするなら、須藤先生は、いつもと違うことを好まれないので、いつものように、始まって、いつもの様に終わるのが、良かったはずと、思うことにしました。

思ったよりもお元気で、予定時間を過ぎても衰えること無く、お話が続きました。

10円硬貨をつかっての「易」は、表裏の解釈、でき上がった卦の解釈など、いわゆる占いとは違う、人生のとらえ方を、示唆されます。

それぞれがどうとらえるかによって、大いに違ってくるから、「当たるも八卦当たらぬも八卦」という表現をするのだなぁと、思う。

さて、私の卦は、何だったでしょう?

そして何を占ったのか、それは内緒。



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川間公民館

2018年12月11日 | 論語と
初めて、川間というところに行きました。

車待ち合わせ駅から、車で、延々と30分以上走って、目的地にやっと到着。


バス停は、見えるのだが、すれ違ったり追い抜いたりしたバスは、一台とてない。

免許を返上して、フットワークが悪くなった私には(あれ?ペーパードライバーだった私のセリフでは無かったね。)ことさらに、困難を感じてしまう距離でした。

このあたりで暮らすには、車は不可欠だなぁ。

今日、車に乗せてくださった方がいなければ、電車とこれから調べるバス路線に乗る必要がある。
待ち合わせをしたうえで、どなたかにお世話になるのは、苦手だなぁ。
気楽に、「ありがとう!」で、済ませられない性格というのは、可愛くないねぇ。

 
住民の意見を取り入れて、新しく建ったばかりの新しい公民館は、平屋建てです。
階段の上り下りがなく、さらにバリアフリーの設えは、良いねぇ。

しばらくの休講して、再開したのは、ここが一番早かったそうです。
長い歴史があって、しっかりとお世話をする人が育っていて、お留守でもみなさん自習をなさっていたようです。
そして二度目の今日の講座は、ずっと続けてきたかのようにスムーズに始まりました。

新しく参加された方がいたので、須藤先生は、新入生を大事になさって、いきなり難しい話をしたりなさらない。
いつでも、優しい語り口で、含蓄のあるお話をなさるので、何年にもわたって、受講している方にとっても、常に、新しい風が吹いてくるような語りをなさいます。

この魅力に、惹きつけられて、かなり遠くて、通いにくいのを承知で、とうとう、今日だけ、一日だけと宣言して、見学に来てしまいました。

そして、参加すると必ず一吟を所望して、その漢詩の解説をしたうえで、こちらに振ってくださる。

「詩吟を聞いたことがない人を一人でも減らす」という目的は、達せられた。

来月もと言ってくださったが、すぐには、お応えができませんでした。
当分保留です。





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須藤先生

2018年12月07日 | 論語と
久しぶりに須藤先生に会う目的で、野田の画廊翠光舎に併設されている画廊喫茶コスモスでランチをしました。


今月は、内藤隶先生と私(須藤明実)展の開催中でした。

その絵の鑑賞が目的ではなく、(もちろん鑑賞はさせていただきましたよ)お休みして居た講座のこれからのとっかかりについて、先生のお気持ちと、今の体調とを聞かせていただきました。


お休みしている間に、いろいろと、イメージがわいて、先生の頭と胸の中は、一杯になっている様子でした。

無理をせず、体の回復を一番に、出来そうなところから始めて行きましょう。

すでに、講座を始めているところは、私がうかがったことのない会場ですから、イメージがわいてこないのです。


新越谷の会場では、第三木曜日の講座が、いつでも再開できるようになっていますから、まず、そこがとっかかりになります。


全員に告知する正式復活はもう少し先に送るとして、12月20日(木)には、「里仁」の本と、十円玉6個を持っていくことになっています。

さて、何を?

論語の前には、何があって、どうつながってきたかというような話になるのかな?

どんなものにも、親・ルーツがあり、突然に降ってわいたものではないのよという話らしい。

そして、その日の吟詠鑑賞の吟題は、「苧「館」王維作 です。吟詠担当の先生には、すでに依頼をしています。

療養中に思い至ったこの漢詩への思いなども聞けるのでしょう。



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須藤明実先生

2018年06月19日 | 論語と
療養中の須藤先生に会いに、ご自宅に生徒二人で行ってきました。

いつもの先生でした。

体を休めながらも、頭はフル回転しているようです。
復帰したら、あれも、これもと、授業計画やら、取り上げる題材やらを、お話の切り口やら、ありとあらゆることを考えていらっしゃる様子。

愛犬の歩歩(ぽぽ)ちゃんは、やっと慣れて、つぶらな瞳で、見つめてくれるようになりました。
そして、ワンちゃんは、ご主人様を見上げるので、首が凝っているのだと何かで、知りました。
そのあたりを、マッサージして触りまくっても、嫌がらずに喜んでくれました。

猫の匂いをさせているはずの私にも、警戒心がありません。猫が好きなワンちゃんだそうです。

我が家の13年物の梅干しが、そろそろなくなるとの話題から、先生の内には、13歳で、漬けた梅干しがまだあると、見せて頂きました。
もう皮だけになって、結晶した塩がいっぱいありました。

駅への送り迎えは、何時もご主人さまが、気軽にしてくださるので、恐縮しています。


確実にお元気になっている様です。 復帰を楽しみにしています。



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はじめの一歩 これから

2018年04月19日 | 論語と
初めの一歩は、平成26年にはじまりました。今年度は、5年目にはいります。
最初の年度から続いている方が、二名、昨年度からの方が二名、今年度も継続なさいます。
その他芦孝会から数名。

須藤先生の講座がなくても、詩吟をしたいという方たちです。

須藤先生の復帰まで、どういう形を取るか、先月からの懸案でしたが、須藤先生が復帰なさるという強い思いが、メンバーの方たちは「今まで通り」と言う結論を出しました。




先月に引き続き、自前のレコーダーに、諸先生の吟詠を録音しました。

これで、新A≠Pのテキストの、吟題は、すべて、音源を確保し、そのほかにも、数題の先生方のお気に入りを選んでの吟詠も、入れていただきました。

今までは、予習はしなくて良いと行ってきましたが、まだ習っていない吟題の模範吟を手にしたので、お暇のある方は、耳にして、予習になることでしょう。

今日も、新しい吟題の「涼州詞」は、今回1回だけで、独吟へ持っていくことができました。
一応、来月、おさらいをと申しました。
次回は、一回だけ一節ずつ声を出し、すぐに合吟で、最後の締めくくりと出来るはずです。

「今日でおしまい」と言いきると、不安感を持ってしまうものですから、「次回おさらい」との言い方にしました。

次回は、「白帝城」です。

初めの一歩の始まりは、「みんなで声を出して、漢詩に親しみましょう」ということで、始まりました。

みなさんになじみやすいということで、日本の漢詩からはじまり、二年目には、誰もが知っている春暁をはじめとして、李白、杜甫の作品に、取り組み、三年目からは、和漢取り合わせてと、いう選択になっています。

のんびりゆっくりですから、年間、三題から四題の吟詠習得をしました。
さすがに4年目の昨年度は、七題と、飛躍的に増えました。

今年A-1のテキスト20題の中の、残りは、あと5題となりました。

ここまでは、テキストのコピーで、続けてきましたが、A-1が終わったら、さて、テキストはどうしましょうねえ。

須藤先生は、長年ずっと変わること無く、資料は、コピーを取って、与えてくださいました。
そして、ご自身の出された本は、無償で提供してくださることもありました。

前回、須藤先生とのお話の中で、論語の付属的講座ではなく、独立した講座と認識なさることを、望みますとおっしゃっていただきました。

ありがたいことです。

それはそれとして、ありがたくお言葉を頂いて、復帰なさったら、元のやり方同じようにする予定です。

詩吟をこそやりたいと思ってくださる方のために、もっと近くて、安い会場を探す心づもりもありましたが、いろいろと考えた末に、今まで通りとの結論が出ました。
このまま、同じ会場で、はじめの一歩を続けることといたします。

その上で、まだ、もう少しの満足感をと言う方がいらっしゃるなら、それなりに別個に、ご相談申し上げることにいたします。


場所が変わったら、お一人は、参加できないとのことでしたので、どうしたものかと悩みましたが、今まで通りと言う結論で、めでたく、詩吟をしたい方たちが、全員続けられることになりました。

先生が帰って来たら、先生の講義を今まで通り、1時15分から始めていただきます。
先生の講座を聞きに戻ってくる人たちは、今まで通りの心づもりのはずですから。
私たち詩吟組は、繰り上がっていた時間を元に戻すだけです。

1時から5時という長時間の時間枠を、目いっぱい使って、楽しんで続けましょう。
何よりも、須藤先生の体調を見ながら、元通りに戻られるのを、心から願い、ご無理をなさらないよう、十分に休養をなさってから、戻ってほしいと思います。

まずは、新年度、気持ちよく心置きなく始りました。




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素読を楽しむ会

2018年02月15日 | 論語と
第三木曜日の今日から、須藤先生は当分休講となります。

第三木曜日は、はじめの一歩が二時間目に有ります。

幸い、私は、元気で、而も詩吟のメンバーは、須藤先生の講義がなくても、詩吟にだけでも参加したいと行ってくださったので、一時間目から、時間を拡大して、「初めの一歩」を開講いたします。

この方たちは、北千住で開講していた時からの生徒さんで、長い方は、4年になります。

たった1時間でも続けることで、かなり上達なさっています。

いつだったか、その方たちのことを「自分のいる場所はわからないものだ、こんなに上達しているのに」と、書いたことがあります。

その通りのことを生徒さんの一人が、おっしゃいました。
「私は、じょうずになっているんですか?」と。


これは大変、その方が、どれだけ上達したかは、何を以てわかって頂いたらよいのだろうか。
比べる相手がいてこそ、あるいは、何かの尺度があって実感できるものなのですよね。

何かの尺度とは、例えば、試験を受けて「昇段」すること。
たくさんの人が集まって、たくさんの吟詠を聞き、がっがりしたり、喜んだりすることも、必要です。


初めの一歩の中だけにいて、先生に「いいですね」と言われるだけでは、もう4年も経ってくると、十分ではないのですねぇ。

初めの一歩は、須藤先生ありきの講座ですが、詩吟を習うためだけにわざわざ遠くへ通うというのも負担に感じてしまうことでしょう。

そして、上昇志向のある方にむけて、何か良い手立てを、先生がたと相談する必要がありますね。

そうではなく、ただ淡々と、ここに来て、詩吟を楽しく吟じるだけで良いという人にも、もっと良い方法は、無いかと、考え込んでしまいました。

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素読を楽しむ会

2018年02月01日 | 論語と
第一木曜日の「素読を楽しむ会」

今日の教材は、『暦 論語抄』
  須藤先生が論語の言葉の中から、31の章句を選び、それに先生の意訳を加えて、日めくりカレンダーにしたものです。

もう手元にほとんどなくなったので、おっしゃって、貸出し用にしていたものを先生が「お孫さんに」と言って以前くださったのです。

これを、先生は、とても手の込んだ作業をして、今日の教材としては、コピーしたものをお持ちくださいました。

暦は、章句の裏のページに、意訳が載っています。
先生と一緒に学ぶときには、便利なように、縮小コピーして、一枚に章句と意訳が並んでいます。

あー、何て、手の込んだ作業をなさったことかと、私たち生徒に学びやすいように工夫をして、資料の提供をしてくださいました。

この暦で、学ぶのも、何回目になるでしょう。
先生が、考え抜いて選んだ31の章句ですから、それぞれ、奥深い意味を持っていて、繰り返されるたびに、考えが深くなったり、反転したり。

これが、本当の学びなのだなぁ。








先生が苦労して、印刷してくださったものは下の写真です。
       

     ↓を半分に切って綴じました。⇒



     



一つの章句と解説が一ページになり、読みやすく、また、めくりやすくなりました。

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「ようこそ 素読と詩吟の会へ」

2017年11月16日 | 論語と
平成29年11月16日(木) 野田市 古民家レストラン たるふじ に於いて

「ようこそ 素読と詩吟の会へ」が、開かれました。

かねてより、須藤明実先生の念願の会です。
8月に体調を崩されて療養中でしたが、この日を目標に、順調に回復されて、予定通り開催することができました。

暖房が十分でない古民家なので、11月のこの時期の気温には、ハラハラしましたが、お天道様も味方をしてくれて、天気予報を裏切って、明るい日差し風もない暖かい日となりました。

大幅に遅れたバスを降りて、しばらく行くと、先に行っていた方が、通りで手を振って待っていてくれました。「通り過ぎそうだったから」と。

古民家らしく、少々荒れた趣の庭にむかえられます。
良寛の話をするにはうってつけの、場所です。
きれいに整えられたいかにもの茶寮ではなく、須藤先生の好みのたたずまいです。
そうでなかったら、わざわざこんな遠くまで来て、須藤先生理想のお話の会を開こうとは思わないでしょうねぇ。


3か月振りの須藤先生の語りはじめは、嬉しいのが一番でした。
そして、いつものように、先生の言葉に引き込まれていくのです。

私は、午後からの詩吟の練習が、気になって、不甲斐なくも気もそぞろでした。



先生の今回の選択は、漢詩を4題です。
漢文を良くするためには、漢詩に親しみましょう。
漢詩の奥深さを知ると、中国文学や思想を身近に感じることができるでしょう。

「春望」「偶成」「勧学」と読み解いて、最後に、「仁」の文字のある論語を巻紙にしたためて、常に懐に持ち歩いていらっしゃったという良寛のお話と良寛作の「可意」。

詩吟で詠われる可意の前には、とんびとスズメのくだりがあります。

鳶は、雀に雛の世話をさせて、雀は、鳶にカラスから身を守ってもらう。鳥でさえ、お互いに守りあっているというのに、人間はどうだろう。と、人の世を観察する。

そして、「可意」へとつながっていく。

良寛は、清流に耳を洗い、要らない言葉は洗い流して、日々を穏やかに過ごしています。

仁を大事にしている良寛と、「里仁」を主宰する須藤先生の共通点を見付けました。


良寛の「てまりとこども」のイメージは、だからこそ「仁の人」だったのです。

オーガニックの材料で作ってくださるお昼ごはんは、人数の関係で、お弁当形式になっていましたが、これで三度目の食事も、おいしく、期待通りでした。
絵的には素朴を絵に描いた盛り付けですから、私のカメラの腕では、その良さは、写しきれませんでした。
けれど、みなさんの満足な様子が、本当の力を物語っています。

ここにも、良寛に通ずる須藤先生の思いが実現されていると感じます。


午後からの吟詠をいたしましょうが始まるとすぐに、その場にいる30人余りの人たちが、とても良い笑顔を私に向けてくださいました。

心から湧き上がる笑顔は、須藤マジックです。
その、マジックにかかった人たちが、体操で調整した体から、声を伸びやかに出しているのですから、その30余りの笑顔を、見ているのは、相対している私だけというもったいない状況でした。

その笑顔から発する声は、なかなかのもので、超初心者が半分以上のものとは思えない、爽やかな声でした。

そして、最後に、4つの漢詩を、芦孝会会員のいつもの須藤論語素読教室メンバーそれぞれが吟じて、みなさんにお聞きいただきました。

みなさんがあまりに気持ちよく声を出してくださっているので、1時間みっちり「偶成」のお稽古ができました。
バスが1時間に1本と言うまばらな運転のおかげで、予定時刻を30分オーバーしての、吟詠の時間でした。

四題の独吟は、それぞれが個性たっぷりで、初めての方にも、楽しんで聞いていただけたと思います。

やはり、練習の後で、吟詠をお聞きいただいたのが良かったと思います。

30人余りの大人数のお客に慣れてなかったのか、それとも、どんな時も変わらないもてなしをなさるのか、きっと後者でしょうが、おかみさんの淡々とした様子が、近所のおばちゃんにもてなされたという感じで、押しつけがましくないので、好感を持ちました。

今日の先生のお話とのギャップの無い会場でした。


帰りのバス停までの道すがらの、おしゃべりも楽しみながら、渋滞で時間通りに来ないバスにも、腹を立てること無く、さらに、遅れた来たバスの到着を待ちました。

誰一人、異を唱えること無く、終始和やかに、時が過ぎました。

第1回の、「素読と詩吟の世界」は、須藤先生の病からの復帰を心から喜びました。
そして、第2回へとつながっていくようでした。


先生、そしてみなさん、お疲れ様でした。

この人数で、トイレが一つ、この時代に、お座敷で正座という会場は、この先、どのような感想をもって、迎え入れられるか、入れられないのか、興味が尽きません。

須藤先生のお話は、数字とは無縁の世界にあり、頭で考えるより、感性で、受け止めるものと思います。
この会場で良いんだろうねぇ。


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いつもの中央会で

2017年09月24日 | 論語と
第4日曜日の中央会は、詩吟です。
なのに、記事カテゴリ―を「論語と」にしたのは、なぜか。

先日の関西吟詩文化協会会長との懇談会で、関吟出も論語が注目されて、詠えるようになるらしいとの情報を得ました。

それに力を得て、11月に須藤先生と計画している「ようこそ、素読と詩吟の世界へ」を宣伝させていただくことを、野田会長に了承を得て、中央会幹事さんたちに、ご案内をさせて頂きました。


常々、論語を吟じてほしいとのご希望をなかなか叶えられないまま、ここに至っているのですが、関吟本部でもそういう動きがあるということで、先生の望みが叶えられる日が、近づいてきたのです。

芦孝会公式の行事ではないので、忙しい幹事会の短い時間の中へ、このご案内をさせて頂くのは、申し訳ないことなのです。

さっそく、1名の申し込みがあり、先日の初めの一歩で、3名の申し込みがあったのと、私たち芦孝会会員であり論語の生徒である4人を入れて、8名となりました。


須藤先生の念願を果たす第一歩として、上々のスタートです。

論語の孔子をはじめとする中国の思想家について、先生の深い考察、自在な精神を一人でも多くの方に知っていただきたく思います。

そして、その自在さが、漢詩から詩吟へと結びついたことで、私の吟詠への思いをさらに発展させて、物事を広く、深く考え、自由に羽ばたきたいと思わせ、その準備に導いてくださったことに思いを深めています。

習うということは、ひな鳥が何度も何度も羽を羽ばたかせて、ついに大空へと飛び立っていく。
その、何度も何度もたゆまず続けることを意味するのだと、知ったとき。

習い、知るということはどれほど自由な精神になるのか、大空を羽ばたいて、さらに、見聞を広め、また習い、知る。

小さい世界に甘んじていないで、井戸から飛び立ち、大空を自由に飛び回ろうよ。



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