風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

須藤先生論語の会のこれから

2017年09月21日 | 論語と
12月まで、すべて休講 
      1月から再開いたします。

① 第1木曜日(足立論語の会) 1時15分 
         サンシティ 会議室〈第1から第4のいずれか)
  
② 第2火曜日 川間公民館 1時半 論語演習他
         (コスモス論語はこちらに移行)
 
③ 第3木曜日 サンシティ 素読を楽しむ会  1時半
          中国文学全般 古代思想家の言葉 菜根譚 論語 漢詩他

④ 第3木曜日 サンシティ はじめの一歩 (詩吟)  2時45分


⑤ 第3月曜日 新越谷 ギャラリー恵風  9時50分  論語他   


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お元気になられました

2017年09月18日 | 論語と
須藤先生がお元気になられました。
今日は、先生のセカンドハウスのほうへお邪魔をして、ランチをしながら、これからのことをお聞きしてきました。


最初に決めた通り、12月までのお休みを十分取って、と言っても、先生は、のんびりできる方ではないので、あれこれしては、もう大丈夫、まだ、いまいちと、体と相談しながら、頭は、いつものようにフル回転をしていらっしゃる様子です。

たぶん9月から12か月のお休みは、長すぎると思われたことでしょう。
けれど、そんな風に、完全休止のできない先生の事ですから、早めの復帰期日を決めたら、また無理をしそうでしたから。

そんなわけで、1月から、復帰されることとなりました。

以前から、計画をしていた11月16日の「素読と詩吟の世界」は、予定通り計画を進めて、来年復帰への足鰍ゥりとしたいという思いは、少しも変わりなく、今日は、その案内状の仕上げと、配布の手立てなどを、お聞きして作業に取り鰍ゥることとなりました。

ぼちぼちと、1月復帰の連絡もして、みなさんの士気が下がらないように、元気に再スタートができるように、お手伝いをいたします。


                  記

日時   29年11月16日(木) 11時より2時半ごろ
集合場所 北越谷駅改札 10時30分  40分発茨急バスに乗ります。
会場   茶寮 たるふじ   
会費   2千円
内容  1.素読を楽しむ(論語・菜根譚・荘子他)
    2.会食
    3.漢詩鑑賞・吟詠鑑賞

募集人数  35名

      初心者大歓迎、ふるってご参加下さい!



               記その2

           1月からの論語教室ご案内

須藤先生の教室は、たくさんありますが、私が参加していた足立にかかわりのある、あるいはあった3教室について、お知らせします。

① 第一木曜日 足立学びピアで行っていた足立論語は、新越谷に場所を変更となりました。
  1月4日(木曜日)1時15分~

② 第三木曜日 新越谷の菜根譚とはじめの一歩は、変更なし
  9月から12月の第三木曜日は、詩吟だけ行います。1時15分~
  1月は、18日(木)から先生復帰です。

③ 第四月曜日 素読を楽しむ会は、他の教室とドッキングして、別の曜日になりました。


以上、お知らせいたします。こちらのほうへも、参加者歓迎です。



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菜根譚

2017年08月17日 | 論語と
人有字の書を読むことを解して
無字の書を読むことを解せず。
有絃の琴を弾ずるを知って、無絃の琴を弾ずることを知らず。
迹(せき)を以て用い、神(しん)を以て用いず、
何を以てか琴書の趣を得ん。      ≪菜根譚 後集 161≫   

「無絃の琴」についての私感をお聞きしたあと、T 先生による「飲酒  陶淵明」をご披露いただきました。


皆感動をもって、吟詠を聞きました。

陶淵明は、無絃の琴を携え、酔えば、その琴を愛撫して、心の中で演奏を楽しんだという逸話があります。

文字や言葉で遊んでいるうちは、人まねであって、物事を本当に会得することはなかなかできるものではない。

日頃、言葉を多用している私には、耳の痛い言葉である。

「天籟」に続いて、「無絃の琴」は私の、いまだわからずの単語帳に登録あいなりました。
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コスモス

2017年08月01日 | 論語と
須藤先生別の教室は、おいしいランチの出る喫茶店。
烏骨鶏、有機栽煤Aというキーワードもあるけれど、何よりも素朴なメニューで、更に何よりのことは、「おいしい」に尽きる料理が出ます。

たっぷりの量と品数で、はじめ目の前に並べられた時は、とても食べられないと思います。
しまった、ご飯を少なめにと言えばよかったと思うのですが、ごちそうさまをした時は、きれいに食べつくしてしまいます。
そして、満腹したのですが、時間が経っても、お腹はすっきりして、持ち重りのしないお腹が残ります。

これが、本物の食べ物なのだと思います。

さて、おいしいものを食べに行ったのではなく、今日は、先生の論語の教室に、詩吟をしに行きました。
先生に、先の恵風のように、ここの教室でも詩吟をと、望んでくださいました。
今回は、私一人での参加です。

子の喫茶店は、須藤先生の絵が常時展示されています。そして、そのほか、写真展の予定もあります。

隣が、画材屋さん(オーナーがおなじ?)で、画廊にもなっているのです。
そのような環境で、学ぶ論語も須藤先生らしくて、件p性の溢れた教室です。
先生は、「野田のコスモス」おっしゃって、私もそのように認識していますが、正式名称なのかなぁ。。。

須藤先生ったら、そんなことにこだわらないので、つい正式名称を覚え損なうのです。
と、先生のせいにしてはいけませんねぇ。。。


先生との最初の出会いは、「吟詠」が、縁を結んでくれました。
そして、その次は、「山中問答」の漢詩を書いた大きな鰍ッ軸です。

今日は、その、ゆかりの「山中問答」を取り上げられ、また、もう一つは、中江藤樹の「戊子の夏書生と月を見て偶成る」を取り上げて、漢詩の解説・鑑賞ののち、吟詠と言う運びでした。

この教室は、とても勉強熱心で、活発に意見の出る生きの良いメンバーがいらっしゃいます。
「こんなのきもちよすぎるだろう」と、言いたいくらいです。

先生が同じ須藤先生なのに、それぞれの、教室の雰囲気が違うものなんだ。

いいねぇ。



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素読論語の会

2017年07月24日 | 論語と
素読論語の会、須藤先生のきょうの12人の思想家のテーマは、「楊子」

極端な利己主義、個人主義を唱えたとされる人であるが、須藤先生の私感は。。。

『仁の里』ー古代中国の思想家たちのお話ーp63~p68から、抜粋

    前略
  
  昔の人は                  
  生も死も、
  そのままに受け止め
  生きるだけ生きて
  死を受け取った、
  自分の楽しみ
  決して捨てずに
  あるかままに
  こころ豊かに。
  すべてのものが
  異なっているのは
  生きている間のことだけで、
  死ねばみんな
  同じ白骨。
 
    後略


人の顔色ばかり窺い、自分の判断させ持たず、持てず、そんな人生に何があるのかと、問われる。

顔色を評価と変えても良いねぇ。








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須藤先生

2017年07月12日 | 論語と
7月12日 7月19日 7月31日の三日間
足立区生涯学習センタ―5階 研修室Iにて

『四書五経』の世界に親しむ

                    講師 須藤明実  


所用で、後ろの半分の講義を聞くことができました。
去年までの、テーマの論語ではなく、今年は「四書五経」という大きなくくりの学びです。
こんなに大きなテーマでは、さぞ、語りにくいだろうと思ったのですが、そんなことをものともせず、いつもの自然体でお話をされていました。


先生のレジメの「中庸の第一章を読む」から、
天がその命として与えたものが、性。性とは、性分、本性。その本性にあるがまま従って行くのが、道。その道を治め整えたのが、教え。道は、しばらくの間も人から離れない。離れられるような者は、真の道ではない

本性の意味を間違えていると、この言葉は、正しく機能しないなぁ。
本性とは、天の命とは。

              
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菜根譚

2017年06月15日 | 論語と
人能誠心和気 愉色婉言


家庭で優しい顔、穏やかな言葉 これさえあれば 心身お互い通じ合うことができる。
家庭の力は万倍である。


こたろうとは、優しい顔、穏やかな言葉で接することができるから、お互いに通じ合い、特に心地よいときは、ゴロゴロと喉を鳴らして、合図を送ってくれます。
誠に穏やかな豊かな時を過ごすことができます。


なのに、もう一人の家族とは、なかなかこうはいかないのである。

そんなときは、甘いものや、趣味などから得られる満足感とでエネルギーの交換をして、解消することができて、趣味のおかげといつも感謝しています。

続けて洪自誠は言います。
優しい顔と穏やかな言葉さえあれば、呼吸法で気を養ったり、座禅で悟りを開くことなど必要ないのだと。




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12人の思想家

2017年05月22日 | 論語と
中国の古代思想家の歴史の最初に出てくるのは、管子。
 孔子は、管子の没後90年に生まれています。

「管鮑の交わり」という親友同士の関係を表した言葉にある、「管」は、管仲(管子)のことであり、「鮑」は、鮑叔牙のことです。

詩吟でもよく吟じられる杜甫作 「貧交行」の転句に『君見ずや管鮑貧時の交わり」と出てくるのがこの有名な史記にあるお話です。

敵味方にわかれた時点で、決裂するはずの関係が、管子の才を十分に知る鮑叔牙が管子の命を助けることとなりました。

管子は、鮑叔牙の「小さな筋道のことで恥じるより、天下に名を表さないことのほうが恥だ」と言う言葉に殉死を思いとどまり、生きて才能をさらに伸ばすことになります。

その管子の言った言葉の中で、心に残ったのは、「義」について。
講義の中で、度の教科書にも使われていない言葉で、説明をなさいました。

その言葉がずっと引っかかって、頭をぐるぐる回ります。
自己宣伝とは、ある意味、自己紹介もやり方によっては、自己宣伝になるよね。
その、境目というのは、どこなのだろうと。

それは、須藤先生の講義をお聞きして、わかってきたことは、すべて、他人が決めることではなく、自分で決めるのだということ。

そうなのだろうけれど、その時々によって、境目は、違ってくるだろう。
その境目を決めることこそ、まだ、物事が本当にわかっていないってことだ。
「手放して、つかみとる」またか。

この言葉は、物事を知れば知るほど、ついて回って、何事も人任せではいけないと迫ってくる。

待てよ、今日の学びのもう一つは、漢字に対して持つ自分のイメージ、時代のイメージが変わっているという発見がありました。
これも、大きな発見で、おかげで、またまた、わからない混沌に放り込まれた。





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菜根譚 108番

2017年05月18日 | 論語と
怨因徳彰。    怨みは徳に因りて彰わる。
故使人徳我、   故に人をして我を徳とせしむるは、
不若徳怨之両忘。 徳怨のふたつながら忘るるにしかず。
仇因恩立。    仇は恩によりて立つ。
故使人知恩、   故に人をして恩を知らしむるは、
不若恩仇之倶泯。 仇恩のともに泯(ほろ)ぶるにしかず。


「感謝も怨みも受けぬがいちばん。」


そうは言っても、人を喜ばせたいと思うのです。
それで、一人を喜ばせると、他の人は、怨みを抱くもの。
だから、感謝も怨みも、共に忘れてもらうのが一番だ。

洪自誠は、そう言うけれど、怨みはいらないが、感謝はされたいなぁ。
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新越谷論語の会

2016年12月26日 | 論語と
第4月曜日は、第4日曜日の翌日であり、詩吟の中央会の翌日です。
一番大事で大きな集まりのあとだから、お酒も食事も進んでしまいます。
その翌日でしかも午前中という時間は、ちょっとつらいのです。

お酒を飲まない私でさえそうですから、こよなくお酒を愛して、重要な会を終えた後は、気心の知れた仲間とでは、お酒も進むことでしょう。

なんて、いきなり、今年最後の素読の会の始まりの言葉では無かったなぁ。


今月の詩吟の時間は、いつもより長い時間を下さったので、須藤先生の講義にかなり食い込んでいます。
須藤先生が好きでいらっしゃっている生徒さんは、一刻も早く先生の授業を始めてほしいはずです。

今日司会と解説は、三回目の方もいらっしゃることだし、二回目で、ぶっとんだ私見をしゃべったので、須藤先生にかなりフォローをしていただきました。ですから、短くしました。


慣れてくると、吟者さんも一吟の前に、一言おっしゃってくださるようになったので、それで十分で、わたしの出るのは、もういらないと思いました。

ただ、この、前説のおかげで、漢詩を鑑賞して、心躍らせることができるようになりました。
解説というと、テキストの文言が正解と思っていました。

漢詩を解説いただいてからというもの、詩の鑑賞することは、自由でよい、正解はあってなきがごときということを感じ取ってから、自由に膨らませて、たまには、フォローが必要になるくらい、飛んでしまう鑑賞の仕方ができるようになりました。


年明けから、奇数月は、須藤先生チョイスの漢詩の吟詠、そして、偶数月は、芦孝会メンバーの選んだ漢詩を、冒頭に吟詠するということになりました。

1月は、大伴家持の「あらたしき」です。
さて、2月の吟題は、何にいたしましょうか。
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