風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

オルティンドーをうたった

2018年04月22日 | こたろう語録
久し振りだねぇ、、、僕のお言葉は。


今日は、詩吟の大事な会があったらしい。(東京芦孝会総会と懇親会)

その懇親会で、いいことも、イマイチなこともあって、一番気になっていることを、帰宅するなり、かあさんは、とうさんに話をしていた。

父さん曰く「ただの目立ちたがり屋と思われたね」と。

母さんがっかり。

「でも、会の全員がそう思ったとしても、ただ一人、彼女は、私の歌ったオルティンドーを心から喜んで、終わったら飛んできて、私のためにありがとう!言って握手をしに来てくれたんだからぁ」と、言い訳していたよ。



その時のいきさつについて、『とりあえず、「はい! わたしが!」と出しゃばらないで、「代わりに私にやらせてもらってもいいですか?」と尋ねればよかったんじゃないか。』と、父さんは言う。


「めずらしく、そうだねぇ。。。」と、応える母さん。



「だってねぇ、ピンチヒッターになりましょうか?って聞いたら、彼女は、私に、『お願いします』と、頭を下げることになるものねぇ。それは、嫌だから。。。」    
かあさんや、そこまで。




父さんは、もう、母さんの言うこと聞いてないよ。

まぁ、めったに反応しないけど、意見を言うときは厳しいことしか言わない父さんだよね。



友情とか熱いとかこっぱずかしい父さんだからねぇ。。。



彼女との友情を温めたということで、母さんは、それだけで満足したってことだよね。
他に何と言われようと。


三日前まで、ろくに声が出なくて、詩吟もちゃんと練習できてなかったのに、何で突然に錆びついたオルティンドーだったのさ。

それは、自分でもよくわかってないみたいだね。


もしできるなら、彼女の、俳句を聞きたかった母さんは、固辞した彼女のピンチヒッターとして、詩吟をするわけにはいかなかったみたい。そりゃぁそうだよねぇ。

それで、咄嗟に、オルティンドーだったんだね。

咄嗟に、オルティンドーを選べるようになったんだねぇ。


母さんにとって、何よりも良いことだ。


完全に声が出なくなっていた2週前は、自分の存在価値がなくなったように落ち込んでいたからねぇ。

それくらいで、どん底だとは思わないけれど、僕が心配になるくらいかなり、沈んでいたからねぇ。
そこから浮上して、すっきりあく落としをして、声まで、ちゃんと出るようになったのはよかったよ。

不安のままに、「海を望む」をみなさんの前で吟じてみたら、とても良い感触があったってことだね。

それも、難関だった「晴れひらく」の頭高の『は』の音が、いい感じで出たから、抜け出したと実感したよね。

だから、咄嗟のこととは言え、オルティンドーをしたくなったんだねぇ。


その時の瞬間の判断と行動は、いつもお世話になっている彼女を助けなくては、だったんだよね。
盛り下がりかけた懇親会の空気を彼女のせいにしたくなかったこともある。

れっきとした司会者が居て、その後ろには、サメ[ト役が居て、懇親会の進行について忖度する立場ではなかったにしても。

人の期待に添いたかったわけじゃないよね。目立ちたかったわけではないよね。

でも、オルティンドーだからねぇ。。。あの声が出たからねぇ。

まぁね、当分は、「めだちたがりやのすみこ」をぶら下げているしかないね。

そのうち、また何か違うことが起こって、興味がそっちに行くから。

まぁ、ちょっとの我慢だねぇ。。。


恩師のビャンバジャルガル先生へ、お元気でしょうか。
 「発声練習もしないで、詠ってしまいました。
  モンゴル人は、居ませんでしたから、大丈夫ですよ。
  今度から、一人カラオケの時は、オルティンドーも
  練習をしますね。」と、
  母が申しております。


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