帰りの空港までの車の長旅で、体調を崩しました。
その苦しさと言ったら、もう勘弁してと言いたかった。
不肖の嫁に対する天罰だろうか。
半年だけお世話をさせてもらって、後の10年は、義妹に任せっきりでした。
その間詩吟にうつつを抜かしていた私に対する戒めだろうか。
いやいや、夫も義妹もお母さんでさえも詩吟を続けることを応援してくれて
いましたから単に、私の後ろめたさでしかない。
何度も車を停めながら、のろのろと行く山道は、果てしなく続き、飛行機に
間に合うのだろうか。遅れたら次の便に空席はあるだろうか。
もしかしたら、どこかのホテルを取らねばならないかもしれない。
連休のただなかに空き室はあるのだろうか。
同じことを夫も考えていたようだ。
そんなことを考えつつも、いっぽうでは、苦しんでいる私に向かって、夫は
「もし、詩吟に合流するとしたら、具合が悪くならなかったかもしれない
ね」と、冗談ではなく本気で言うのです。
当初の予定より一日前倒しになったので、鹿児島から名古屋に飛んで当日参加
という手があったと夫は言うのである。
まさか、家の片づけがしたいがためだったと思うのだけれど、そんなことを
思っていたのだろうか?
もし、元気だったら名古屋行きの飛行機に乗っていたのだろうか。
いやいや、衣装もあるからそれはない。こんな時に、何を言ってくるの?
苦しみながら頭の隅で、感心しあきれていました。
私には、法事もそこそこに飛び立つなんて、思いもしないことでした。
それに、「喪」を纏った体で記念のめでたい大会に出席するのははばかられます。
思いがけない場面で、夫の感じている「私の詩吟への思い」を知ることに
なりました。
今は、そんな無理をしなくても、お願いしますと心おきなくバトンタッチする
人材が育っています。
東京芦孝会は益々大きく発展していますねぇ。
淡々と過ごす夫婦二人の生活では、こんな出来事でもないと、その心の中を
伺いしることはなかった。おかげ様と言うのだろうか残念と言うのだろうか。