家族の大事と関吟の大会が重なりました。
という訳で、2月12日の「公益社団法人 関西吟詩文化協会 創立90周年
並びに公益社団法人設立12周年記念 全国吟道大会 東京・東海地区大会」には
欠席せざるを得なくなりました。
それがわかったのは、12月のこと。
欠席のための手配も無事終えて、2月10日を迎えました。
家族の大事とは、夫の母の四十九日の法要と納骨に鹿児島空港に降り立ちました。
お母さんは、始めてなのではないだろうか、息子に背負われるのは。
そして、機内では膝に抱かれて生まれ故郷に帰ってきました。
母を背負う夫の後姿を見て急にいろんな思いが駆け巡りました。
息子に背負われた母は、夫の胸中は、日頃の淡々ととした接し方からは伺い
知ることが出来ません。
夫は、ずっと私の目の前では何事もなさそうにすごしていましたが、一人の時
間は、心のままにしていただろうか。
それとも、納骨まではと、心を決めて居たのだろうか。
仏となったら、自由に行きたいところに行けるようになるのだから、お墓は
きっといつも留守にしているよ。
だから、思い出したときに手を合わせればよいのよ。
たぶん、思い出して手を合わせたとたんに、そこへ飛んでいくのだと思うよ。
正に「千の風に乗って」の歌のとおりです。
浄土真宗大谷派の和尚は、とても響きのある安定した声であった。
乱れることなく読経をする。
お若いのだけれど、今まで聞いたどの声よりもお経らしいと思った。
思わず、経典を読みながら自然と唱和できるほど誘い込まれる読経だった。
これが見送るということなのかなと思う。
お母さんの最期は、少しずつ食が細って行き、最後となったお昼ごはんの後、
好物のプリンに「あ~美味しかった」と言って手を合わせたそうです。
その食休み中に誰も気が付かないうちに、逝ってしまったという。
一人で潔く逝ってしまったのは、夫によるとそれこそ母の選択なのだと。
その静かな逝き方とお経の声は、実によくあっていると思う。
浄土真宗では、その瞬間に仏になるというので、霊を送る読経ではなく
お仏がより仏になるための読経ということになるのでしょう。
仏になったお母さんは、息子のところでも娘のところでもなく、
70年も待たせていた一目ぼれの夫のそばで笑っているのかもしれないね。
だから、誰にも看取らせずに一人きりで逝ってしまったのだろう。
生前、骨身を惜しまずできる限りのことをしたお母さんです。
それをじぶんでももう十分でしょと思い、孫に至るまで、してあげたいことは
もう無いよ、あとはお好きになさいませ。
すべてに納得したその時が旅立ちの時だったのだと、ちょっと寂しそうに
夫は笑って言う。
和尚の声を聞きながら心が落ち着いてくる。呼吸が楽になる。
この声を聞くためなら、はるばるやってくる気になるだろう。
お母さん、満足して旅立たれたのですよね。 合掌