関吟流の譜№25は、常に問題をはらみ、一喜一憂させられる詠い方です。
関吟流を続けるにおいて、「25」を代表とする数字で、譜について語られることが度々出てきます。
昨日の中央会の練習では、33番と18番が問題になりました。
あるコンクール出場のため、より吟詠をパワフルにするために譜18を譜33に置き換えて吟詠されました。
私は、関吟流として完成された譜を用いて、作譜(作曲)された吟詠を変える
ことは、あり得ないことと思っています。
中には、コンクールに勝ち上がるためそのコンクールの傾向と対策のため
作戦を立て研究をして多くの時間を割いて切磋琢磨をしておられます。
その選択肢の一つとして、譜を変えてしまうという技もある様です。
18番の落ち着いた流れるような譜は、その詩の吟調を良く表しています。
しかし、それをもっとパワフルに詠いたいと33番に置きかえることしたようです。
アクセントの都合上「八」の高さが必要となりました。
「八」の出しにくい高さを詠うのと、18番の柔らかい吟調のまま吟じるのと、どちらにもリスクがあります。
コンクールの審査で、加点が望めない、むしろ減点かもしれないという計算があります。
どちらを取るか、よく考えて決断したらよい。
約束事に反してまで、変更した吟詠が、どれだけ力を発揮するのか、日頃の
練習の積み重ねをどこまで生かすのかをよーく考えた上で、決めましょう。
変えただけで事足りたと、自己満足で終わらせないでまっすぐに戦って下さい。
先ず完璧な関吟流を身につけなさいませと、申し上げたい。
総ての譜を詠いあげて、持てる楽器のコントロールを更に磨きなさいませ。
その上で、その漢詩をどのように詠いたいか、譜の表現をどのようにするか、
設計できるようになって、それで、初めて、戦える気がするのです。
詩吟では、洋楽のように全世界共通ではない流派ごとの歌い方があることが、
そういう現象を引き起こしているのでしょう。
関吟の公式の場で詠うときは「譜を変えて吟じさせて頂きます」と、一言
添えてから吟詠をしましょうということも申し添えたいと思います。
中央会は、他の教場とは異なり、公式の場であることを再認識なさいませ。
コンクールは、個人で戦うのであって、流派は関係ないというけれど、
流派に身を置いて、そこで育ってきたことを思うと、関係なくはない。
関吟流に敬意を払ってその上で、選択するというのであれば、それはそれで
仕方のないところです。
勝つことって何?