考古学博物館で予習した翌々日、まずはエルコラーノ遺跡に行ってみました。
山側の私鉄、ベスビオ周遊鉄道にてエルコラーノへ。
エルコラーノがつく駅はふたつあり、Ercolano scavi駅で降りなければいけないところ、間違えてひとつ手前のErcolano ++駅で降りてしまいました。
(ダンナサマの誘導)
日の照りつけるホームにて次の列車を待ち、ようやく本命の駅へ。
駅前は、さすが観光地、「観光バス如何ですか~」「ランチ如何ですか~」などといろいろな客引きがいます。
観光客が全く行かないトッレ・デル・グレコ駅とは大違い。
賑わっていて、この町に泊まればよかったかしら?と思ったりもしましたが、イトウさんによると、「トッレ・デル・グレコの方が浮ついてなくてよかったですよ」と。
しばらく坂を下っていくと、遺跡にたどりつきます。
■■遺跡概要
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遺跡入り口
立派な門がありました。
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だいぶ低いところに遺跡
現在の地面より、とても深く掘ってあります。 グーグルアースの空中写真モードで見るとここだけ深く掘ってあって、いったい何だろう?と思っていました。
このエルコラーノは、ナポリ湾に突き出した位置にあり風光明媚なところで、古代ローマの大貴族のための邸宅地でした。
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奥の擁壁を見ると、この遺跡の低さが分かるかと思います。 ポンペイとエルコラーノでは埋まっている深さや材料が異なります。 ポンペイは6m程度の火山灰や火山礫が降り注いで、柔らかく積もりました。比較的柔らかい地盤のため、その後土地利用もあまりされないまま。 なので発掘もしやすい状態でした。 エルコラーノは、高温の火山泥流的なものが16~25mも分厚く堆積し、その堆積物はカチカチに固くなって、その後、土地利用も進んで新しい町が築かれたりします。 とても固い堆積物なので発掘はしにくい状態でした。
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昔の船着き場
昔の船着き場。つまりここが海岸線でした。
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船着き場復元図
こんな感じの船着き場だったようです。 エルコラーノ遺跡の発掘が進んでいた頃、町には犠牲者の痕跡が全くなく、「みんな無事逃げたんだね」と思われていたようです。 それが、この船着き場が発掘されて覆されました。
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犠牲者の発見された場所
ドックの中に、大勢の犠牲者の遺骨があったのです。 市民の大半は逃げられたのでしょうが、最後の船数隻分の避難者たちは、間に合わずに被災してしまいました。 おそらくみんな逃げるため、船を待っていたのでしょう。降り注ぐ火山灰から逃れて、みなドックの中に身を寄せ合っていたのではないでしょうか。 海岸には船があり、さあこれから乗り込もう、という状態だったのでしょうか。ここに超高温の火山泥流(火砕流?)が到達し、すべもなく埋め尽くされてしまいました。 この泥流の温度はとても高く、船着き場の広いところに出ていて直撃された人々は、脳内の水分が瞬時に沸騰して頭がい骨が破裂するほどだったようです。
泥流というのは、遺跡保存の点からはいいこともあり、固結した堆積物で密閉されていたため、木材などの有機物が多く保管されていました。 (ポンペイでは、パラパラとした火山礫が軽く積もっただけだったため、酸素や水を遮断することはできず、有機物はほとんど残っていません)
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出土した船
とても貴重な出土品の船。 「船はとても重要なすばらしい出土品なのでぜひ見て下さい」と案内係の方に言われましたが、素人には重要性はいまひとつよく分かりませんでした・・・。 考古学的には、この出土品によっていくつもの謎が解けたのでしょうか。
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出土したロープ
ロープみたいな腐り易そうなものまで残っていてすごいです。 今のものとさほど変わらないように見えますが、どうなんでしょう。
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犠牲者の遺骨
ドックのひとつ。 おそらく今は取り除いてありますが、指には指輪がはまっていたり、巾着袋みたいなものに貴重品をたずさえていたりなど、遺骨のそばには避難するときに持ち出した物も沢山あったのではないかと思います。(指輪のはまった写真は展示してありました)
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場内で見たものをいくつか。
■■床モザイクのいろいろ
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白黒モザイク
床のモザイクは、白と黒の細かい石を使ったものが多いです。 どちらも天然石で、比較的ふんだんにとれる材料なのでしょうね。 (考古学博物館で見たような壁面装飾用のカラフルなものは、色ガラス(練りガラス)製で、床には向かないと思われます) こんなに細かいと敷き詰める手間が・・と思いますが、当時は労働力はだいぶ安かったでしょうし、大きなサイズの平らな石板の方がコスト高なのかもしれません。
このエリアは、模様は特にありませんが、石の並べ方が縦、横、斜め、など異なっていて興味深いです。 手分けして作業する都合上も、石の並べ方をところどころで変えた方がいいのかもしれません。
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変形市松模様
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迷路模様の中に市松
可愛い・・・。
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迷路模様+モチーフ
幾何学的なパターンのところどころに楽しいモチーフが。 中央は、渦巻き? 右上と左下は、アンフォラ(壺)かしら。 左上は、お玉?
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女湯の脱衣場の床
とても凝った海のモチーフが描かれています。 手前の二つはイルカじゃないかな。
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たこ ダイナミックですごくかっこいいなあ。
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イカ コウイカ系でしょうか?
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白黒と色石の組み合わせ
白黒のモザイクのところどころに、色大理石を埋め込んであります。 黒の中に、カラフルで、色々なサイズの色石が、かわいい。
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色大理石の大き目サイズの組み合わせ
こちらはカケラじゃなくて、ちゃんとデザインした形にカットした色大理石。こういうのの余りが上の写真のような使われ方をするのでしょうか。
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色大理石のしきつめ
ほこりまみれで色がよく分かりませんが、おそらく色石をしきつめてあります。 磨き上げた状態だとさぞかし色とりどりで綺麗だったのではないでしょうか。
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石とセメント
また違うパターン。白い石をウロコ模様に並べ、それ以外のところはセメント?モルタル?で塗り込めてある感じです。
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■■公衆浴場
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男湯の脱衣場
肩くらいの高さにあるのが、脱衣籠を置くための棚。 お金持ちは、荷物番、体洗い係、など各担当の奴隷を数人連れてお風呂に来たようです。
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すじすじ
天井のすじすじは、結露した水滴を伝わせて、ぽったん、と落ちないようにするため。
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浴槽
ローマのお風呂は立って入るそうで、どのくらい深いのか中をみてみたかったのですが、のぞき込めませんでした。
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お風呂の脇のベンチ
ここに座ってうだうだおしゃべりしているローマ人たちが目に浮かびます。
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女湯脱衣場
男湯よりだいぶ小さ目でした。 先ほどの海モチーフモザイクのところ。
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■■庶民のアパート
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二階建てアパート
街のあちこちに、公共の水場があり、大邸宅には専用の水道もひかれていましたが、庶民の家には水道はなし。 煮炊きする炊事場もない家が多かったようです。 江戸時代の長屋の独身者の家も、そんな感じですよね。
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■■テルモポリオ(軽食堂)
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軽食堂
キッチンなし住宅が多いと必要になるのが飲食店。 カラフルな石も使った立派なカウンターには穴があり、ここには壺などがはめ込まれていたようです。 カウンター下部は仕切られていて、それぞれの壺が保温または保冷できたとか。
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古代ローマ飲食店復元図(図解食の歴史(高平鳴海著 新紀元社)より)
こちらが復元図。 人気メニューは豆入り小麦粥(プルス)ですって。 当時、製粉・製パン技術はあったものの、石のかけらなどが混入することも多かったとか。 じゃりじゃりするパンを食べるくらいなら、小麦粒のお粥の方がよかったかもしれません。あたたまりそうですよね。 家にキッチンがあり料理人を雇っているようなお金持ちでも、時には外食の味を楽しんだとか。
店員さんのそばの壁にあるものは、ララーリオ(小礼拝堂)。 日本でいう神棚みたいなものでしょうか。
こちらは店舗で、出来上がった料理をサーブする場所ですが、仕込みをする調理場はどうなっていたのかも気になります。
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■■お屋敷
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広間(アトリウム)
個人の邸宅を持てたのは、特権階級だったようです。 で、その邸宅は、立派といえば立派なのですが、分からないことが沢山。 特にこのアトリウム。 短い廊下状の玄関通路を通ってまず入る大広間なのですが、中央に水槽(インプルヴィウム)が。 おうちの中に水?
位置的に、来客を通したり、家族が団らんしたりする、メインのリビングルームじゃないかと思うのですが、そこに水。
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水槽(インプルヴィウム)
雨水を貯めておくためのものだそうですが、設置場所から考えると鑑賞用(自慢用)の価値も大きそうです。 このあたりはとても乾燥した気候なので、当時の人は、水を見ると豊かな気持ちになったのかなあ。
それにしても。 蚊は?蚊はいないのね? あと、水たまりってすぐにぬめぬめになってしまいますが、お掃除はどうやっていたのかしら。 使用人(奴隷)がそういう作業をするとはいえ、どの程度の頻度で?バケツに一度全部の水を移し、たわしで擦ってまた水を戻したのかしら。 そういう手間も含めて、これを所有することは価値があったのかなあ。
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水槽の上の天井
水槽に雨水を流し込むため、その上の屋根は内側に傾斜し、丁度水槽と同じサイズの穴があいています。 明かり取りにもなるし、よさそうではあるけれど、冬は寒くないのかなあ。
古代ローマ時代以外の時代で、こういう屋根穴(+水槽)がつくられた時期ってあるのだろうか。 すたれたとしたら、やはり不都合もいっぱいあったのではないだろうか・・・。
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ネプチューンとアンフィトリテの家
こちらはまた別の御屋敷。 おそらくエルコラーノで一番有名な壁面装飾です。 右下の床のくぼみ部分は、水を貯めるための水槽。(この部屋はアトリウムじゃなかった気がするけれど、よく分かりません) 比較的小さなスペースですが、この水盤の周りに寝そべってくつろいだりしたと想像されています。 その想像図によると、左の壁龕の中央には彫像が、左右にはランプが置かれていました。
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ネプチューンとアンフィトリテの家
練りガラスのモザイクで、ネプチューンとアンフィトリテの精巧な絵が描かれています。ふちどりは貝殻。 モザイクでない場所は、絵が描かれています。 オレンジ色の背景の、サバンナのような模様。 モザイクの極彩色で緻密な色・柄と、この壁画は、それほどマッチしていないようにも思いますが、こういうのが当時の流行だったのでしょうか。
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エルコラーノ遺跡は比較的狭いエリアなので、じっくり見ても時間がかかりすぎるということはないです。
ポンペイよりもお手頃の狭さ。
円形闘技場や劇場はありませんが、見ごたえは結構ありました。
日本語ガイドさんもいるようなので、お願いすると情報量がぐっと増えるのではないかと思います。
(個別ガイドは3人にはちょっと高かったのと、英語のグループガイドは丁度出てしまったところで、われわれはガイドなしで見て回りました)
■ポンペイ・エルコラーノ遺跡の参考資料
Youtube動画 「ポンペイとソンマ・ベスビアーナ」青柳正規先生(考古学者・国立西洋美術館長)その1 その2 その3
旅行に行く前に、何か予習しておいた方が、とYoutubeで探してたまたま見つけたもの。
とても勉強になりました。見ておいてよかったです。
復習として、映画「ポンペイ」を見たいなあ、と思っているところ。
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