今回のWBCは、実力のなせる技とは言え、奇跡的にも運命の女神の微笑によって、日本が優勝したとも言える面もある。
しかし、いずれにしろ、国際舞台での競争(Competition)について、色々なことを教えてくれる貴重な経験でもあった。
最も重要な教訓は、神様の仕業かどうかは知らないが、有り得ないような偶然によって色々なことが発生して、時には運命が逆転してしまうことがあると言うこと。
すなわち、多くの歴史の厳粛な事実は、偶々、何かの偶然による振り子の振れによって、推移してきたと言うことで、恐らく必然と言うことは有り得ないのではないかと言うことである。
ところで、今回のWBCの推移を見ていて、強烈に印象に残っているのは、イチローの日本人としての振る舞いと言うか、言動を含めて示した行動の数々で、日本人としてのアイデンティティを強く感じさせたことである。
TVでイチローのインタヴューを見ていて、一番印象に残っているのは、優勝の翌日に言っていた言葉である。
たしか、今度の日本チームは最高のチームでこのチームで一年大リーグでやってみたいと言った後で、アメリカでは10伝えるのに15説明しなければならないが、このチームでは2か3言えば伝わる、と言っていた。
いくら実力者とは言え、イチローは、異文化国アメリカの中で、大変なカルチュア・ショックを経験しながら大変な苦労をしてきたのだなあと感に耐えなかったのである。
言葉の問題もあろうが、まずアメリカと言う異文化の社会で生きて行く為には、日本の経済社会と全く違うアメリカの文化伝統は元より、価値観と生活習慣を理解してそれに慣れなければならない。
その上に、アメリカの場合は、人種の坩堝で色々な歴史的民族的背景を背負った異邦人と遭遇せねばならず、これがまた大変で、単一民族で、単一の日本語を喋り、文化と伝統を共有し同じ価値観を共有しており、殆ど説明せずに理解し合える日本とは全く違う。
イチローの場合は、これまで実績により実力で自分の存在価値をアピールして来た。
特に、歴史上稀に見るリーディング・ヒッターとしての年間最多安打の記録を残した時点で、アメリカと言う異文化の中での重圧から開放されて自分自身に目覚めたと思っている。何も、恐くなくなったのである。
次に、湧き起こるのは、当然、故国日本への熱き思いである。
異国に居て、異文化の中で生活していると、何を置いても何時も思い出すのは故国日本のこと、懐かしい故郷や友たちのことで、それに、日本の文化や歴史や社会など、気付かなかった日本の良さが痛いほど分かってくる。
イチローは、迷うことなく日本チームに合流して日本の国旗をバックに戦う決心をして喜び勇んで合宿に合流した。
この中で、イチローは痛いほど自分の日本人としてのアイデンティティに感激し日本人であることの幸せと王監督やチームメイトとの生活の中で、今までになかった最高の幸せな団体生活・社会生活を送れたのだと思う。
大リーグの実力を知っているイチローには、王監督に率いられる日本のチームは最高だったはずで、この思いが、対韓国戦でのイチローの発言に如実に示されている。
ここで、それまで1人で孤独な戦いをして来たイチローに、心を通じ合える幸せな仲間達と共にチームで戦うことが如何に喜びであるかを感じさせたのだと思っている。
WBCでは、リーグ編成で、アメリカは、大リーガーが目白押しのドミニカ、プエルトリコ、ヴェネズエラ、それに、実力NO.1のキューバを外して、御し易いと思った日本、韓国、カナダを自分達のリーグに入れる姑息な策略を取ったが、簡単に敗退して、マスコミから、これからベースボールと言うのではなく「ヤキュウ」と呼ぼうと揶揄されてしまった。
審判の判定が問題になってアメリカに負けたが、オリンピックでも、日本選手が優勝すれば自分達に有利なようにルールを変えてしまう、フェアな筈の欧米が平気でアンフェアなことをする。
そのような逆境の中で、異文化との遭遇に苦しみながら、スポーツでも芸術でも、そして仕事でも、日本人は外国で戦わなければならないのである。
異国アメリカの大リーガーとして、イチローは人知れず大変な辛酸を舐め苦労に苦労を重ねて今日の自分を築いてきたので、イチローの頭には優勝以外にはなかったのではないかと思っている。
韓国に対する発言に物議を醸したが、韓国チームが問題ではなく、あの時のイチローには優勝のための途中の躓きは許されなかったのであろう。
優勝後のWBCについての主なアメリカの新聞の電子版を読んだが、たった大リーガーが2人の日本が勝ったことに一様に感心していた。
ワシントンポストには、松井や城島が出なかったことに触れ、特に、松井がノーサンキューと言って辞退したことが日本で問題になっていると伝えていた。
日本では大変なヒーローのように思われているが、松井にしろ城島にしろ、実力の世界アメリカ社会はそんなに甘いものではなく、まだ彼らの地歩は極めて脆弱であり、結果が悪くなれば何時でも放逐されて転落する、その瀬戸際で戦っているのであり、脇目を振っている余裕などないのである。
従って、今回の日本チームへの不参加は、苦渋だが穏当な決断だったと思う。
余談ながら、今回の日本チームへの大塚選手の参加は特筆に価すると思っている。
世界屈指のマエストロの一人としてボストン交響楽団の正指揮者を10数年続けていた当時の小澤征爾でも、インタヴューで、机の淵に指を這わせながら、自分の地位はこの机の縁を歩いているようなもので勉強と精進を怠ると何時谷底に落ちるか分からないのだと言っていた。
小澤征爾も、イチローも、ゆくゆくは、結局、日本に帰って来て、日本の為に後進の指導等日本で活躍するのは間違いないと、私は思っている。
海外生活を14年もやると色々な経験をするが、野球音痴を覚悟で、自分の経験を通して、イチローの熱い思いに感激したので雑感を綴ってしまった。
異文化に遭遇すればするほど、その挑戦が強烈であれば強烈であるほど、日本の良さに痛いほど感じ入って、日本人としてのアイデンティティに強烈に目覚める。
(追記)黒椿は、ナイトライダー。
しかし、いずれにしろ、国際舞台での競争(Competition)について、色々なことを教えてくれる貴重な経験でもあった。
最も重要な教訓は、神様の仕業かどうかは知らないが、有り得ないような偶然によって色々なことが発生して、時には運命が逆転してしまうことがあると言うこと。
すなわち、多くの歴史の厳粛な事実は、偶々、何かの偶然による振り子の振れによって、推移してきたと言うことで、恐らく必然と言うことは有り得ないのではないかと言うことである。
ところで、今回のWBCの推移を見ていて、強烈に印象に残っているのは、イチローの日本人としての振る舞いと言うか、言動を含めて示した行動の数々で、日本人としてのアイデンティティを強く感じさせたことである。
TVでイチローのインタヴューを見ていて、一番印象に残っているのは、優勝の翌日に言っていた言葉である。
たしか、今度の日本チームは最高のチームでこのチームで一年大リーグでやってみたいと言った後で、アメリカでは10伝えるのに15説明しなければならないが、このチームでは2か3言えば伝わる、と言っていた。
いくら実力者とは言え、イチローは、異文化国アメリカの中で、大変なカルチュア・ショックを経験しながら大変な苦労をしてきたのだなあと感に耐えなかったのである。
言葉の問題もあろうが、まずアメリカと言う異文化の社会で生きて行く為には、日本の経済社会と全く違うアメリカの文化伝統は元より、価値観と生活習慣を理解してそれに慣れなければならない。
その上に、アメリカの場合は、人種の坩堝で色々な歴史的民族的背景を背負った異邦人と遭遇せねばならず、これがまた大変で、単一民族で、単一の日本語を喋り、文化と伝統を共有し同じ価値観を共有しており、殆ど説明せずに理解し合える日本とは全く違う。
イチローの場合は、これまで実績により実力で自分の存在価値をアピールして来た。
特に、歴史上稀に見るリーディング・ヒッターとしての年間最多安打の記録を残した時点で、アメリカと言う異文化の中での重圧から開放されて自分自身に目覚めたと思っている。何も、恐くなくなったのである。
次に、湧き起こるのは、当然、故国日本への熱き思いである。
異国に居て、異文化の中で生活していると、何を置いても何時も思い出すのは故国日本のこと、懐かしい故郷や友たちのことで、それに、日本の文化や歴史や社会など、気付かなかった日本の良さが痛いほど分かってくる。
イチローは、迷うことなく日本チームに合流して日本の国旗をバックに戦う決心をして喜び勇んで合宿に合流した。
この中で、イチローは痛いほど自分の日本人としてのアイデンティティに感激し日本人であることの幸せと王監督やチームメイトとの生活の中で、今までになかった最高の幸せな団体生活・社会生活を送れたのだと思う。
大リーグの実力を知っているイチローには、王監督に率いられる日本のチームは最高だったはずで、この思いが、対韓国戦でのイチローの発言に如実に示されている。
ここで、それまで1人で孤独な戦いをして来たイチローに、心を通じ合える幸せな仲間達と共にチームで戦うことが如何に喜びであるかを感じさせたのだと思っている。
WBCでは、リーグ編成で、アメリカは、大リーガーが目白押しのドミニカ、プエルトリコ、ヴェネズエラ、それに、実力NO.1のキューバを外して、御し易いと思った日本、韓国、カナダを自分達のリーグに入れる姑息な策略を取ったが、簡単に敗退して、マスコミから、これからベースボールと言うのではなく「ヤキュウ」と呼ぼうと揶揄されてしまった。
審判の判定が問題になってアメリカに負けたが、オリンピックでも、日本選手が優勝すれば自分達に有利なようにルールを変えてしまう、フェアな筈の欧米が平気でアンフェアなことをする。
そのような逆境の中で、異文化との遭遇に苦しみながら、スポーツでも芸術でも、そして仕事でも、日本人は外国で戦わなければならないのである。
異国アメリカの大リーガーとして、イチローは人知れず大変な辛酸を舐め苦労に苦労を重ねて今日の自分を築いてきたので、イチローの頭には優勝以外にはなかったのではないかと思っている。
韓国に対する発言に物議を醸したが、韓国チームが問題ではなく、あの時のイチローには優勝のための途中の躓きは許されなかったのであろう。
優勝後のWBCについての主なアメリカの新聞の電子版を読んだが、たった大リーガーが2人の日本が勝ったことに一様に感心していた。
ワシントンポストには、松井や城島が出なかったことに触れ、特に、松井がノーサンキューと言って辞退したことが日本で問題になっていると伝えていた。
日本では大変なヒーローのように思われているが、松井にしろ城島にしろ、実力の世界アメリカ社会はそんなに甘いものではなく、まだ彼らの地歩は極めて脆弱であり、結果が悪くなれば何時でも放逐されて転落する、その瀬戸際で戦っているのであり、脇目を振っている余裕などないのである。
従って、今回の日本チームへの不参加は、苦渋だが穏当な決断だったと思う。
余談ながら、今回の日本チームへの大塚選手の参加は特筆に価すると思っている。
世界屈指のマエストロの一人としてボストン交響楽団の正指揮者を10数年続けていた当時の小澤征爾でも、インタヴューで、机の淵に指を這わせながら、自分の地位はこの机の縁を歩いているようなもので勉強と精進を怠ると何時谷底に落ちるか分からないのだと言っていた。
小澤征爾も、イチローも、ゆくゆくは、結局、日本に帰って来て、日本の為に後進の指導等日本で活躍するのは間違いないと、私は思っている。
海外生活を14年もやると色々な経験をするが、野球音痴を覚悟で、自分の経験を通して、イチローの熱い思いに感激したので雑感を綴ってしまった。
異文化に遭遇すればするほど、その挑戦が強烈であれば強烈であるほど、日本の良さに痛いほど感じ入って、日本人としてのアイデンティティに強烈に目覚める。
(追記)黒椿は、ナイトライダー。