熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

映像の歌舞伎・・・玉三郎の鷺娘と日高川入相花王

2006年04月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今、東銀座の東劇で「シネマ歌舞伎 坂東玉三郎―鷺娘」と「日高川入相花王」を上映している。あわせて1時間と少しの上映時間だが、歌舞伎の舞台とは違った別な臨場感があってそれなりに楽しめる。
   養老先生の話をもじれば、ある一つの特定のカメラマンの視点から見た玉三郎の舞台であるのだが、ある意味では、一番良い場所から観ているとも言えるので、表情など細部が良く見えて、新しい発見をしたような感じがする。

   ナマと映像の違いは、舞台よりも、相撲やプロ野球の観戦をしている時に良く分かる。とにかく、双眼鏡で見るとしても実際の戦いの舞台が遠いので、テレビなどとは臨場感が全く違うのである。
   実際の選手や役者が、目の前でプレイをしたり演じているのは事実なのだが、そのプレイヤー達のきめ細かい表情は、映像の世界に止めを刺す。
   それに、音響効果も、5.1chの映画の方が深みと幅が加わって良い。

   まず、日高川の清姫の舞台であるが、昨年10月での歌舞伎座での録画だと思うが、実際の舞台を観ているので、感激新たであった。
   玉三郎は、初心な娘から蛇身への変貌を全身に情念を漲らせて実に繊細にきめ細かく演じていて、人形と人との境の微妙な身体の動きが中庸を得ていて実に美しい。
   菊之助の人形遣いだが、どう鑑賞すれば良いのか戸惑ったが、右手ばかりが強調されて肝心のカシラを遣う左手の動きが気になった。
   船頭の薪車は、上手いが人形になりすぎていて演技過剰。
   いずれにしろ、綺麗な舞台で映像に映える素晴しいフィルムであった。

   鷺娘への出会いは、偶然が重なっている。最初にその素晴しさを発見したのは、NHKで放映されたニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のセンティニアル記念公演での玉三郎の舞台であった。
   次は、もう15年以上も前に、ロンドンでジャパン・フェスティバルが行われて、勘九郎父子と玉三郎がやって来て歌舞伎公演をした時である。
   演目は、鳴神と鏡獅子、それに玉三郎の鷺娘で、この時、偶然に、渡欧する前に感激してヴィデオを観ていた玉三郎そのものの鷺娘を鑑賞できたのである。
   あれが本当の男優か、と何度も友人のイギリス人が聞いていたが、その美しさと舞台の素晴しさに圧倒されてしまったが、何故か、この舞台だけはイギリス人から招待を受けた。
   帰って来てからは、残念ながら鷺娘を見ていないので、この映画が久しぶりの舞台なので、感激をあらたにした。
   最後の真っ白な鷺の衣装をつけて、雪吹雪の中で鷺神が乗り移ったように夢幻の境地で舞い続ける玉三郎の鷺はまさに芸の極致、静かにフェイズアウトして行くカメラワークに余韻を残す。

   舞台とは違うが、私は、オペラや芝居の舞台などを映画で見るのは好きである。
   最初に感激したのは、パリのオペラ座の近くの映画館で見たドミンゴとストラタス主演のオペラ「椿姫」で、あの映画は、オペラの舞台ではなく実際のロケによる映像であったが素晴しかった。
   その後、ニューヨークでベータ版のビデオを見つけて買って帰り楽しんでいたが、ソニーのベータと共に消えてしまって今はない。

   ロンドンに居た時(1992年7月11日)、BBCが「トスカ」を、オペラの設定と全く同じ時間通りに、ローマの実際のその現場で、ライブ・ロケ放映すると言う企画を行ったことがある。今でも、その舞台がビデオ化されて発売されていると思うが、実際にその放送時間を待ってBBC放送(当日の午後から翌朝5時頃まで断続的だったであろうか)を見るのは、ワクワクするほど感激であった。
   タイトルロールはキャサリン・マルフィターノ、カヴァラドッシはドミンゴ、スカラピアはライモンディ、指揮はズビン・メータ。圧倒的な迫力で、正に劇的なオペラ公演であった。

   オペラの映画が架かれば見に行くことにしているし、近松関係の演目で文楽や歌舞伎の雰囲気をかぶせた映画も結構あって見ているつもりである。
   実際の舞台では気付かない新しい発見などがあって面白いし、それに、舞台と映画との演出の違いとか役者の取り組み方の差などが分かって興味深い。

   

   
   
コメント
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