早稲田のリーガロイヤルホテルであったセミナーに参加した後、久しぶりに早稲田大学キャンパスを訪れた。
新入生も加わった所為か、学内も急に賑やかに華やかになった感じで、若さがムンムンしていた。
ホテルの裏庭が大隈庭園に接しているので、直接園に入り込んだが、綺麗に整備された中々素晴しい日本庭園でありながら広い芝生の空間があって、学生たちが寛いでいて楽しそうであった。
庭園には、古い日本家屋が残っていて、その側には可なり高低のある入り組んだ池があり、昔の屋敷風の雰囲気が残っていて良い。
構内の坪内博士記念演劇博物館では、歌舞伎座の追悼五年祭に呼応してか、「六世中村歌右衛門展~当り役を中心に~」が開かれていた。
部屋は一階にある元々の中村歌右衛門の展示室だが、中村家よりの寄贈品の中から、当り役を中心に衣装、舞台写真、公演資料、台本等珍しい品々が展示されていて、ビデオで名舞台を放映していた。
衣装は、「籠釣瓶花街酔醒」の八ッ橋のが2点展示されていた。
舞台写真は、モノクロの古い写真ほど艶やかで美しい。歌右衛門の絵姿が中々良かった。
私には、古い歌舞伎のポスターが、当時の名優の名前や世相を教えてくれていて面白かった。
今、歌舞伎座でも、この博物館から出展示されているものがあって、グレタ・ガルボから来たLOVE LOVE LOVEの電報や手鏡は、ここで見た。
その後、会津八一記念博物館で開かれている「土門拳の撮った早大生」を見に行った。
土門拳が日本工房に入って撮影した「早稲田大学経済学部経済学科アルバム」の1936年と1937年から、当時の早稲田大学の学生の珍しい学生生活風景写真がパネルにされて展示されていて、非常に興味深かった。
「カメラの覚書」では、早大生が4人オープンカーに乗って街中を走っている姿、テニス、玉突き、弓道、棒術をする学生の勇姿など非常にダイナミックに写した大型パネルが展示されていた。
また、別なコーナーには、教授の授業風景、下宿やアパートでの学生会食、コーヒー店銀座「ラスキン」での憩い、上野の仲見世、上野松屋屋上での汽車ぽっぽ、薩摩琵琶や謡曲の稽古姿、飲み屋新宿「碇萬年」での女将と学生等々、それに、早稲田の丸善の店頭写真で「今日の新刊」と書かれた看板が面白い。
苦学生もいたのであろうが、やはりあの頃の大学生は、学生貴族で趣味もスポーツも最先端を行っていたのであろう、恵まれた学生生活である。
古風な記念アルバムと対比させて最近の卒業アルバムが展示されていたが、モダンと言うかチャイルディッシュと言うかその落差が大きすぎる。
実際にも年を取っていたのかも知れないが、写真の学生と比べれば、今キャンパスで青春を謳歌している早大生が、実に子供っぽく見えて時代の変遷を感じてしまう。
これ等の写真意外に、土門拳の写真アルバムや雑誌など懐かしい写真や資料が展示されていて興味深かった。
早稲田の学生を撮った頃のライカⅢやエルマー5cmレンズ、それに、日本工房に入った土門拳に名取洋之助が与えたキャビネ版の組立暗箱が出展されていた。
この暗箱だが、カメラとフィルムから撤退してしまったコニカ(小西六)の製品である。
動きのある学生達の写真はライカで撮ったのであるが、学生達の集合写真は、この暗箱で撮ったようで、大掛かりな設営をしたにも関わらず失敗が多くて暗幕を被ったまま土門拳は中々顔を上げられなかったと言う。
私が小さい頃には、まだ、このような写真機が残ってっていて、幼稚園や小学校での記念撮影はこれで、派手にマグネシュームをフラッシュ代わりに焚いていた、今昔の感である。
新入生も加わった所為か、学内も急に賑やかに華やかになった感じで、若さがムンムンしていた。
ホテルの裏庭が大隈庭園に接しているので、直接園に入り込んだが、綺麗に整備された中々素晴しい日本庭園でありながら広い芝生の空間があって、学生たちが寛いでいて楽しそうであった。
庭園には、古い日本家屋が残っていて、その側には可なり高低のある入り組んだ池があり、昔の屋敷風の雰囲気が残っていて良い。
構内の坪内博士記念演劇博物館では、歌舞伎座の追悼五年祭に呼応してか、「六世中村歌右衛門展~当り役を中心に~」が開かれていた。
部屋は一階にある元々の中村歌右衛門の展示室だが、中村家よりの寄贈品の中から、当り役を中心に衣装、舞台写真、公演資料、台本等珍しい品々が展示されていて、ビデオで名舞台を放映していた。
衣装は、「籠釣瓶花街酔醒」の八ッ橋のが2点展示されていた。
舞台写真は、モノクロの古い写真ほど艶やかで美しい。歌右衛門の絵姿が中々良かった。
私には、古い歌舞伎のポスターが、当時の名優の名前や世相を教えてくれていて面白かった。
今、歌舞伎座でも、この博物館から出展示されているものがあって、グレタ・ガルボから来たLOVE LOVE LOVEの電報や手鏡は、ここで見た。
その後、会津八一記念博物館で開かれている「土門拳の撮った早大生」を見に行った。
土門拳が日本工房に入って撮影した「早稲田大学経済学部経済学科アルバム」の1936年と1937年から、当時の早稲田大学の学生の珍しい学生生活風景写真がパネルにされて展示されていて、非常に興味深かった。
「カメラの覚書」では、早大生が4人オープンカーに乗って街中を走っている姿、テニス、玉突き、弓道、棒術をする学生の勇姿など非常にダイナミックに写した大型パネルが展示されていた。
また、別なコーナーには、教授の授業風景、下宿やアパートでの学生会食、コーヒー店銀座「ラスキン」での憩い、上野の仲見世、上野松屋屋上での汽車ぽっぽ、薩摩琵琶や謡曲の稽古姿、飲み屋新宿「碇萬年」での女将と学生等々、それに、早稲田の丸善の店頭写真で「今日の新刊」と書かれた看板が面白い。
苦学生もいたのであろうが、やはりあの頃の大学生は、学生貴族で趣味もスポーツも最先端を行っていたのであろう、恵まれた学生生活である。
古風な記念アルバムと対比させて最近の卒業アルバムが展示されていたが、モダンと言うかチャイルディッシュと言うかその落差が大きすぎる。
実際にも年を取っていたのかも知れないが、写真の学生と比べれば、今キャンパスで青春を謳歌している早大生が、実に子供っぽく見えて時代の変遷を感じてしまう。
これ等の写真意外に、土門拳の写真アルバムや雑誌など懐かしい写真や資料が展示されていて興味深かった。
早稲田の学生を撮った頃のライカⅢやエルマー5cmレンズ、それに、日本工房に入った土門拳に名取洋之助が与えたキャビネ版の組立暗箱が出展されていた。
この暗箱だが、カメラとフィルムから撤退してしまったコニカ(小西六)の製品である。
動きのある学生達の写真はライカで撮ったのであるが、学生達の集合写真は、この暗箱で撮ったようで、大掛かりな設営をしたにも関わらず失敗が多くて暗幕を被ったまま土門拳は中々顔を上げられなかったと言う。
私が小さい頃には、まだ、このような写真機が残ってっていて、幼稚園や小学校での記念撮影はこれで、派手にマグネシュームをフラッシュ代わりに焚いていた、今昔の感である。