欧米人の大半は、グローバル化が生活水準の向上をもたらす一方、雇用と職業安定には悪影響を及ぼすと考えているらしい。
しかし、グローバル化については、賛否両論、激しい論争が繰り返されており、時には国際規模での社会的な騒乱まで引き起こしている。
このグローバル化に対する標準的発想の多くを再考すると同時に、このグローバル化が避け得ないトレンドであるならば、この環境下において、アメリカ企業が勝ち抜く為にはどのような成長戦略を追求すれば良いのか、果たして最も適切で決定版とも言うべきグローバル戦略があるのであろうか、と言う問題意識で、MITの学者チームはスタディを始めた。
スザンヌ・バーガー教授の「グローバル企業の成長戦略」レポートの結論は、膨大なスタディの結果にも拘わらず、「そのような唯一無二のグローバル化対策などはなかった」と言うことであった。
アメリカのコンピューター会社デルは、製品組立を総て国外にアウトソーシングし、組織を流通販売に特化させる手法で急成長と高収益を実現しているが、同じ様な成功を収めているサムソンは、垂直統合型企業として殆どの事業を自社内で行っている。
成功した企業と言えども、同じ業界、同じ部門、同じ商品でも、会社毎に取り組み方が根本から異なっている。
このようなケースを多数検証しながら、特定の企業が特定の戦略を選んだ理由、その戦略が成功もしくは失敗した理由を、最早、グローバル化の一言で片付けられないと言うのである。
「自社内の長所や経験を社外の資源と組み合わせ、試行錯誤を重ねながら新しい機会を切り開き、経済全体に広がる競争を勝ち抜いて行くこと。
全地球規模の競争の中で成功したいならば、重要なのは”選ぶこと”であり、唯一かつ最善の戦略を探すことではない。
確実なものがあると言う幻想こそが、グローバル化の真実を見誤らせる最も危険な罠なのだ。」と結論付けている。
グローバル世界において、新しく勃発する峻烈な競争に対処し、ブレイクスルーする為に威力を発揮するのは、楽観主義と企業家精神以外にはないと言うことであろう。
ところで、ボーダーレスのグローバル経済社会になって、ヒト、モノ、カネ、情報等が自由に国境を行き来し、最早、経済に対する政府の影響力は小さくなったとする大前研一氏等の見解に対して、
バーガー教授たちは、このグローバル化の時代にあっても、企業の主要資源が母国内に残されている以上、母国の制度と政策は、企業が競争戦略を形成する過程で、大きな影響を及ぼし続けると主張する。
アイルランドとイスラエルと台湾のIT産業における技術の”蛙飛び”現象について説明し、途上国が発展過程を省略して最先端分野へ跳躍出来るのは、政府の外国企業に対する税法上の特典供与や教育・研究・基礎開発に多額の国家予算を振り向けるなどの政府の積極政策が大きく貢献しているとしている。
このレポートは、日本について1章を設けている。
その中で、日本がデジタル家電などで強いのは、複雑な電子回路を小さなフォームファクタにはめ込む技術に優れていることや、部品でも製品でもバリューチェーンの各段階の技術革新が夫々上手くかみ合っていることなど、アメリカのようにモジュール化してアウトソーシングする方式とは違った、摺りこみ技術の巧みさについて触れている。
その他、日本の技術教育、OJT、カンバン方式とカイゼン、セル方式等々日本的経営の特質について論述し、日本企業の経営戦略等についても論じている。
また、アメリカについても、バーガー教授たちは、今日のハイテク分野で、アメリカ企業が如何に先進性を発揮していようとも、イノベーション能力の優位性が生得権として保証されているとか、DNAが備わっているとか思い込むのは禁物であるとして、アメリカ企業に奮起を促すと共に、アメリカ政府にイノベートアメリカへの提言を行っている。
この様に、グローバル化され、IT革命によって大きく経済社会が変革し、先進国も途上国もなく入り乱れて闘うボーダーレスの熾烈な競争社会に突入しているが、グローバル企業といえども、色濃く母国の歴史と伝統を引き摺り、政府の政策に影響されながら生きている。
しからば、日本の企業には日本経営の伝統が色濃く息づいており、グローバル企業の成長戦略に、唯一無二の方式がないとしても、日本企業のグローバル経営と言う枠組みの中で成長戦略を模索すれば良かろう。
今日、一人勝ち故にアメリカ経営学が隆盛ではあるが、元々、アメリカ発の経営学が汎用性の効く万能の経営手法であった例はなく、経営そのものが極めて地場性の強いものである以上その地域なり国に合った固有の経営手法があるべきかも知れない。
アベグレンの言を待つまでもなく、トヨタやキヤノンの経営が脚光を浴びている今日、日本の経営に拘っても良い時期に来ていると思っているのだがどうであろうか。
しかし、グローバル化については、賛否両論、激しい論争が繰り返されており、時には国際規模での社会的な騒乱まで引き起こしている。
このグローバル化に対する標準的発想の多くを再考すると同時に、このグローバル化が避け得ないトレンドであるならば、この環境下において、アメリカ企業が勝ち抜く為にはどのような成長戦略を追求すれば良いのか、果たして最も適切で決定版とも言うべきグローバル戦略があるのであろうか、と言う問題意識で、MITの学者チームはスタディを始めた。
スザンヌ・バーガー教授の「グローバル企業の成長戦略」レポートの結論は、膨大なスタディの結果にも拘わらず、「そのような唯一無二のグローバル化対策などはなかった」と言うことであった。
アメリカのコンピューター会社デルは、製品組立を総て国外にアウトソーシングし、組織を流通販売に特化させる手法で急成長と高収益を実現しているが、同じ様な成功を収めているサムソンは、垂直統合型企業として殆どの事業を自社内で行っている。
成功した企業と言えども、同じ業界、同じ部門、同じ商品でも、会社毎に取り組み方が根本から異なっている。
このようなケースを多数検証しながら、特定の企業が特定の戦略を選んだ理由、その戦略が成功もしくは失敗した理由を、最早、グローバル化の一言で片付けられないと言うのである。
「自社内の長所や経験を社外の資源と組み合わせ、試行錯誤を重ねながら新しい機会を切り開き、経済全体に広がる競争を勝ち抜いて行くこと。
全地球規模の競争の中で成功したいならば、重要なのは”選ぶこと”であり、唯一かつ最善の戦略を探すことではない。
確実なものがあると言う幻想こそが、グローバル化の真実を見誤らせる最も危険な罠なのだ。」と結論付けている。
グローバル世界において、新しく勃発する峻烈な競争に対処し、ブレイクスルーする為に威力を発揮するのは、楽観主義と企業家精神以外にはないと言うことであろう。
ところで、ボーダーレスのグローバル経済社会になって、ヒト、モノ、カネ、情報等が自由に国境を行き来し、最早、経済に対する政府の影響力は小さくなったとする大前研一氏等の見解に対して、
バーガー教授たちは、このグローバル化の時代にあっても、企業の主要資源が母国内に残されている以上、母国の制度と政策は、企業が競争戦略を形成する過程で、大きな影響を及ぼし続けると主張する。
アイルランドとイスラエルと台湾のIT産業における技術の”蛙飛び”現象について説明し、途上国が発展過程を省略して最先端分野へ跳躍出来るのは、政府の外国企業に対する税法上の特典供与や教育・研究・基礎開発に多額の国家予算を振り向けるなどの政府の積極政策が大きく貢献しているとしている。
このレポートは、日本について1章を設けている。
その中で、日本がデジタル家電などで強いのは、複雑な電子回路を小さなフォームファクタにはめ込む技術に優れていることや、部品でも製品でもバリューチェーンの各段階の技術革新が夫々上手くかみ合っていることなど、アメリカのようにモジュール化してアウトソーシングする方式とは違った、摺りこみ技術の巧みさについて触れている。
その他、日本の技術教育、OJT、カンバン方式とカイゼン、セル方式等々日本的経営の特質について論述し、日本企業の経営戦略等についても論じている。
また、アメリカについても、バーガー教授たちは、今日のハイテク分野で、アメリカ企業が如何に先進性を発揮していようとも、イノベーション能力の優位性が生得権として保証されているとか、DNAが備わっているとか思い込むのは禁物であるとして、アメリカ企業に奮起を促すと共に、アメリカ政府にイノベートアメリカへの提言を行っている。
この様に、グローバル化され、IT革命によって大きく経済社会が変革し、先進国も途上国もなく入り乱れて闘うボーダーレスの熾烈な競争社会に突入しているが、グローバル企業といえども、色濃く母国の歴史と伝統を引き摺り、政府の政策に影響されながら生きている。
しからば、日本の企業には日本経営の伝統が色濃く息づいており、グローバル企業の成長戦略に、唯一無二の方式がないとしても、日本企業のグローバル経営と言う枠組みの中で成長戦略を模索すれば良かろう。
今日、一人勝ち故にアメリカ経営学が隆盛ではあるが、元々、アメリカ発の経営学が汎用性の効く万能の経営手法であった例はなく、経営そのものが極めて地場性の強いものである以上その地域なり国に合った固有の経営手法があるべきかも知れない。
アベグレンの言を待つまでもなく、トヨタやキヤノンの経営が脚光を浴びている今日、日本の経営に拘っても良い時期に来ていると思っているのだがどうであろうか。